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つまり、
「ニッポンの祭政には 超近代の萌芽がある」
これは、どういうことか。
その前に、近代文明は、
1,個人の成立
2,合理思想を前提
だが、この二つはない、存在しえないのだ、
個人はない 個人に似たものがある
一瞬一瞬、変動している、
「わたしは わたしの影である」
この辺は、仏教がお得意、
仏法習うとは
己に習うことなり
己に習うとは
己を忘れることなり・・
合理的思考のは、1905年の相対性理論の宣言によってひっくり返された、
「この世界・この宇宙に絶対はない」
「時間と空間も 絶対ではないのだ」
だから、古いものが新しかった、祭りの喧騒と笛の叫びのなかに、新しい時代への、
「呪文が かくされている」