土曜の朝出張から帰ってきたダンナが昨夜になって「あなたにこの記事を読ませようと思って」とJALの機内誌「SKYWARD 10月号」をくれました。それはコシノジュンコさんの連載で1996年の彼女のトロピカーナでのショーにまつわる思い出についてでした。以下はその抜粋です。当時と現在では演出家やキューバ情勢もずいぶん変わっていると思いますけれどもこういう時代があったんですね。やはりまだまだ私の理解が不十分なんですね。
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パリで、今年どこに行きたいかときくとハバナという人が多かったので1996年3月頃、パリ - ニューヨーク - カンクン経由ではじめて訪問しました。
常夏の国だと思っていたのが、3月ではまだ寒いくらいでした。しかし太陽の光が美しく、街は50年代のまま時が止まっているようで、古いキャデラックのオープンカーやサイドカーがグラフィカルに走っている光景に思わずカメラマンになったような気分でシャッターを切ったものでした。
キューバの人たちの純粋で人間的な人柄にほだされ、その年の8月末に、トロピカーナでファッションショーをやることになりました。
トロピカーナには、サンチャゴ・アルフォンソという演出家兼振付師がいて、国家公務員のダンサーが300人もいるといいます。みんな真面目で楽しいダンサー達でした。毎日8時間の練習を20日間やり、本番はたったひと晩という贅沢さ。
ダンサーたちのそこでの食事は、チケットと引き換えに、決められたメニューから選ぶ方法です。食事の間もいつも笑顔で楽しそうなのがステキでした。・・・・・
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パリで、今年どこに行きたいかときくとハバナという人が多かったので1996年3月頃、パリ - ニューヨーク - カンクン経由ではじめて訪問しました。
常夏の国だと思っていたのが、3月ではまだ寒いくらいでした。しかし太陽の光が美しく、街は50年代のまま時が止まっているようで、古いキャデラックのオープンカーやサイドカーがグラフィカルに走っている光景に思わずカメラマンになったような気分でシャッターを切ったものでした。
キューバの人たちの純粋で人間的な人柄にほだされ、その年の8月末に、トロピカーナでファッションショーをやることになりました。
トロピカーナには、サンチャゴ・アルフォンソという演出家兼振付師がいて、国家公務員のダンサーが300人もいるといいます。みんな真面目で楽しいダンサー達でした。毎日8時間の練習を20日間やり、本番はたったひと晩という贅沢さ。
ダンサーたちのそこでの食事は、チケットと引き換えに、決められたメニューから選ぶ方法です。食事の間もいつも笑顔で楽しそうなのがステキでした。・・・・・
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