ツルの日記

38歳からはじめたバレエ。49歳の今年はポワントでバリエーションを踊り動画アップがノルマです

アチチュード

2007年04月24日 | Diary
1年9ヶ月習っているショーダンス。うまくなったところとどうしようもない部分が混在していると友人はいうが、自分の踊る姿をビデオでみるかぎり「いったいどうしたら少しはみられるようになるんだろう???どこが上達した部分なんだろう???」と思う。


そしてこの前の土曜日、またどうしようもないポイントが追加になった。それはアチチュード。右足を後ろにアチチュードにして上体を後ろに反らせてその足を前につま先立ててついてポーズだったんだけど・・・。そもそもアチチュードなんてアダージオのフォンデュの中の通過点としてしか練習したことはない。当然バーなしなんて初めてだししかも足を横に開きすぎて「犬の立ち○ョ○」になるのがおそろしく開かないようにしたら余計姿勢が苦しい!家に帰ってダンナに見せたら「狂言してるの!?」と大笑いされた。ついでに上体そらしも硬くて長い胴にはツライ!でもやれといわれたらやるのだ。できないとはじめからトライしなければそこで可動域を制限してしまうことになるので。


そしてヨルバ。ここ2週はオチュンという女の神様。ステップに躍起になっていたら先生に「リズムを聞きなさい」と指摘された。確かにステップだけみて左右の新しいステップと思ったら実は最初に習ったチャチャロカフーの前後の横バージョンだった。ありゃ。まあ気長にやるしかないでしょう。


そんなとき意外なサイトにヨルバのコラムがあるという話を聞いた。Salsa Hotline Japan のサルサな話題、快楽Salsa日記by Ryokoである。(http://www.salsa.co.jp/talk/index.html)。早速読んでみるとコレが面白い。ヨルバやルンバのレッスンを受けているといずれこれがどう発展していくのか見えにくいけれど両方ともインプロビゼーションを目指しているんだというのがわかった。プロの方の話なのでそんなレベルにはとても到達しないけど、ステップの話等具体的でとても参考になった。ぜひご一読を!


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羊のショーン--- Shawn The Sheep

2007年04月24日 | Diary
NHK教育 日曜午後5時25分-

クレイアニメ「ウォレスとグルミット」に出てくる羊のショーンが独立して新シリーズに。4月から放映スタート。なんと1回3話!

いい年してフィギュアを持ってる。ひさびさにDVDをみなおそうとおもったら見つからず。どこにやったのやら。
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ダンスと加齢にどう付き合っていく!?

2007年04月17日 | Diary
土曜日ショーダンス、ヨルバ、個人レッスンと3時間半以上ダンスのレッスンを受けたらさすがにものすごい筋肉痛。仕方なく全身にタイガーバームをたっぷり塗ったら寒かった!今日ようやく楽になったけどまだ中のほうの筋肉の疲れが残っている。


レッスンのあと友人とビールを飲みながら、やっぱこのトシからダンスの基礎を習おうなんて体力的に無謀いうことを言ったら、いつものように励ましてくださった。


「それでもまだ40ならできるのよ。後になるとわかるわよ」
(2ヶ月弱で41!!)


だから友人は2つのレッスンを受けた後ヨレヨレになった私に


「時間がもったいないからさっさと個人レッスンはじめなさい!」とはっぱをかけてくださる。


でもレッスンで本当に限界になってくるとさりげなくストップをかけてくださる。もう1人の方も私がスペイン語が不自由なので電子辞書を片手に見ていてくださる。そうなるとがんばらないわけにはいかないような環境が出来上がってくる。


しかし疲労は早く回復しなければ。火曜の夜はバレエだ。疲労があると知らず知らずのうちにバランスがずれ注意される。「どうしたものか」と考えていたらNHKスペシャルで「あなたの若さを保つ・鉄人アスリートに学ぶ楽々健康術」というのをやっていた。ダンナが「タイミングよすぎ」と笑う。結局気をつけてできることを地道に続けるしかないという結論なんだけど元気が出た。


ポイントは足腰の強化。阪神の金田は脚の筋力強化とビタミンの効率的な摂取。横浜の工藤は股関節周りの柔軟性と筋肉向上。そして「別に40過ぎたからって技巧派に変える必要はない。鍛えてやれるかぎりこれまでどおり速球で続けるつもり」というようなことを言っていた。とはいえ普通の人に簡単にマネできるわけではない。そこでマラソンの弘山選手が参考に。運動は無理せず長く続けること。


その他のポイントは食事の摂り方と内容。
私はついダンナを待って夕飯を食べるから遅い。それはマズイ。そしてこのトシになると意図的にエクササイズしないと脚力は落ちてしまうということだった。


最近女性の就業率の向上が叫ばれ、私などはその数値に含まれる。要するに少子高齢化で労働力が減り(2050年には日本の労働人口は40%減るという試算もある.
労働年齢の拡大。移民とう社会構造の変化は考慮されていない)働ける人間は誰でも働けということ。そしてあと25年働かないと年金はもらえない。元気でがんばらなくては。


話はダンスに戻る。レッスン中先生に「モットオドッテクダサイ。アナタノハコウ」とぴょんぴょんとしているマンボのステップがマネをされ、見本に踊ってみせてくださり、終わりには「カンガエテ」とダメを押された。


友人のコメントは「まだ先生が直すどうこうという段階ではない」。そしていつもの「あなた本当につま先が伸びないわね。意識して直さないと絶対変わらないわよ」(1年半以上言われている。しかしそれが意識できるようになるのはバレエを始めて早い人で3年くらいはかかるのも友人は知っている。)に加え、「手の先がぴょこぴょこする癖がある」そして「ショーダンスをキレイに見せるのは本当に難しいわね。


つま先ねえ。前回のレッスンでつま先が伸びなかったところは復習してできるようになったんだけど、パターンが少し違うともうできない。さすがにちょっと落ち込んでネットでバレエを調べてみたらやはり「少しバレエになってきた」と感じられるようになるのは「4年たったあたり」位が多いらしい。ということはあと少なくとも2年か。でも多分あきらめずに少しずつでも努力を続ければやった分だけはそれなりに技術は向上するのだ。


問題はそのとき私のショーダンスはキレイか!?ということだ。ショーダンスの目的はずばりきれいで楽しめること。それには元の容姿がキレイじゃないと話しにならないということがある(特に技術が不十分な場合)。


前回の個人レッスンで友人が撮ってくれたDVDを見てガク然。


脳は現実を良いイメージで覆い隠すという性質もありレッスン中は鏡に映る自分の都合のいいところしか見えない。しかしビデオは正直。それはわかっているから別にショックはない。しかし一緒に写っている先生は美し過ぎ!!美しいのは知っているけど毎週見ているし「チガキレイニナル」とラッキョウをボリボリ食べていたり、「カタガイタイ」(40肩か!?)なんて姿も見ているし、「ミンナニワカイッテイワレル」とご自分の美しさには絶対的な自信を持っているので感動はない。たまに少し離れた距離からパフォーマンスを見たりすると「そういえば先生ってキレイだったんだよね」と思う。


そして私。3レッスン目で疲れていて髪はテキトーにバレッタでとめているだけでなんかぼさぼさ。ユニタードの肩ヒモが細いので肩腕がすごく太って見えるし(見えるだけ!?)、白いレッグウォーマーは短い脚を分断している。マズイ。見直すと気力が萎える!せめて自分が気持ちよく踊りに集中できるようにしなければ。


そこで土曜日は肩ヒモの太いユニタードにしてレッグウォーマーはやめ、髪はアップにし、アイラインをして友人にビデオを撮ってもらう位置を前回とは反対にしてもらった。


結果、踊りは相変わらずだけど、少なくとも私は前回よりすっきりみえるようになった。気分がいい。それにしても私って地味。次は少しでも目の存在ははっきりするようにつけまつげでもしようかしら。


肝心の踊りはあきらめないでがんばるしかないでしょう。













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『世界を席巻する黒人音楽--ブルース、ジャズからヒップホップへ』

2007年04月03日 | Diary
標記はジェームズ・マクブライドという人のナショナル ジオグラフィック 日本版 4月号の記事。

「ヒップホップを話すように歌う『スピーチソング』の一種と考えるとそこには長い歴史がある」という。「民族音楽の研究者によれば、ヒップホップは西アフリカの語り部グリオによる踊りや太鼓、歌が起源で、言葉と音楽を融合し、アフリカからの長い航海を生き延びた奴隷の苦難を表現したものだという・・・」


そのあたりはカリブ海諸国の音楽のルーツとも共通だけれども、その後の発展という意味ではヒップホップやラップの存在と影響はコマーシャリズムという面で圧倒的だ。私は年齢的にも個人の嗜好としてもあまりヒップホップは好きではない。


でも私が興味を持ったのはこの記事の後半部分だ。


私が昨年末キューバに行って、いろいろ見て、今までブログに書けなかった理由を言い当てている。それは子供時代レバノンに、そして新婚時代バンコクに4年住んでいたときの何となくげんなりした理由でもある。


「ニューヨークから飛行機で8時間。揺り起こされて目を覚ませば、そこはもうアフリカ西部、セネガル共和国の首都ダカールだ。私はアフリカにやってきた。ヒップホップの起源を探りにきたのだ。ところが、取材するつもりが、取材対象に飲み込まれてしまった。鼻を刺激するあまりにも強烈な貧困の臭いが、ヒップホップの起源を探るなどというロマンチックな考えを抱いていた私を、一気に現実に引き戻した。」

「ホテル・テランガは要塞さながらに頑丈なコンクリートの壁に守られていて、表門の周辺には物乞いが群がっている。その前を、ジーンズにハイヒールをはいたフランス人観光客が、知らん顔で通り過ぎる。彼らはダカール市外を王侯貴族のように闊歩し、市場で値切って買い物をしたり、子どもと一緒にホテルのプールで泳いだりする」


「その光景は1950年代の米国南部をほうふつとさせる。浮かれ騒ぐ白人に、黒人が仕えるという構図だ。500メートルほど離れたところでは、住民がピーナッツを売ったわずかな稼ぎで、極貧にあえいでいる。あたりに不穏な空気が漂い、何かが間違っているという意識が根深く巣くっている。」


「セネガルには現在、何百というラップグループがあり、ナイトクラブにはフランスのテレビ局スタッフがしょっちゅう出入りして、コラという弦楽器やタマという打楽器の演奏を撮影している。だが、ドラムの演奏やダンス教室、観光客の投げ入れるチップが立てる音の裏には、セネガル人の絶望的な怒りが静かに煮えたぎっている。」


「何かが間違っている」と本当に思う。8歳のときベイルートに行って14歳のメイドさんがいたこと。1975年の中東戦争でベイルートを脱出したこと。バンコクで信号待ちの車に花を売ったり、山のように廃材を積んだリヤカーを押す子供の横で運転手が運転するベンツで1人で通学する小学生がいたこと。経済格差のため日本では考えられないような生活をする自分。無意識に見ないようにしているけれど日本にも存在する同様の問題。


その一方で人種的には私は黄色人種で差別される対象でもある。海外では中国人とからかわれることもしょっちゅう。卒業旅行で友人とロンドンの赤い二階建バスに乗って運賃を払おうとしたら、車掌さんが「内緒だけどいいから」と受けとらなかった。どうやら私たちはpoor little asian girlsに見えるのだ(おそらく12歳位と思ったのだろう)。パリやニューヨークのアッパーイーストのレストランにでも行けば他の白人の客に露骨にいやな顔をされることも多い。


人は生まれる環境も人種も選べない。この問題のあまりの重さに対し個人は無力だ。批判はあるだろうが私にできることは元気なうちは働いて少しでも税金を払うことぐらいと思っている。




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