ツルの日記

38歳からはじめたバレエ。49歳の今年はポワントでバリエーションを踊り動画アップがノルマです

時間つくらなきゃ

2005年11月30日 | Diary
いよいよ冬という寒さになってきた。そして明日から12月。ダンナが最近忙しく昨夜も12時に帰ってきて今朝も5時半に出かけたからなんだか睡眠が足りない。割り切って自分のパターンを作っちゃえばいいんだけど。

でも契約が更新になって来年3月までフルタイムだからスケジュールを真剣に考えなきゃ。昨日バレエのレッスンに行ったら右の軸が最後までとれなかった。そういえば先週は出られなかったから2週間ぶりだったんだよね。何とか週に2日通えないものか。やっぱりがんばるしかないよね。

ついでにこの前の土曜日のルンバのステップがまだうまくできない。2つのステップを組み合わせただけなのに。レッスン中は相当集中して練習したんだけどな。

そういってる間に時間は過ぎてしまうので、さあまずスペイン語。それに読みたい本もある。

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カツ丼弁当売り切れ

2005年11月29日 | Diary
今夜はバレエのレッスンで十時過ぎまで食べられないからおなか保ちのよいカツ丼を買いにいったらちょっと出遅れてしまい売り切れ〓。インドカレーになった。

夕飯にはもう手羽先と里芋の煮物とコマツナのおひたしを作ってあるしあとは定時に出て(?)お茶しながらスペイン語の予定だけどそううまくいくかしら?
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ややこしい例文

2005年11月28日 | スペイン語
OXFORD take off in Latin American Spanishという本を入手した。テキスト一冊、CD5枚、Travel Dictionary and Phrasebookという構成だ。テキストは思ったより難しいので後回し。スペイン語は学校に行かず独学でと決めたのでもうずいぶんいろいろなテキスト買っちゃったけどいつ終わるんだろう?やっぱり一日30分じゃ短すぎるよね。

本体はともかく付属のTravel Dictionaryはとてもコンパクトで家族、ショッピング、野生動物、政治など65のトピックにわかれてそれぞれ50ずつ位の単語、句、例文が載っている。

まだはじめの方なので家族familia。父、母、息子、娘、異母兄弟、義父、義母、孫、義息子、義娘、結構細かい。やはり家族はラテンの基本的な社会単位だから細かいのね。

そして例文。

Mira, Ana, las fotos de la familia de mi hermana Angela. Son de cuando los visite el mes pasado.
見てアナ、私の姉のアンジェラの家族の写真よ。先月行ったときのよ。

! A ver! ? Es esta tu hermana? !Que joven es!
どれどれ、これは妹さん?とっても若いのね!

No, esa es mi prima Ana. Mi hermana esta aqui, al lado de mi madre. Y este es su marido , mi cunado con sus padres.

違うわ、いとこのアナよ。私の妹はここ。私の母の隣。その夫。私の義理の弟とその父親たち。

? Y quienes son estos?
この人たちは?

Mis hermanos Andres y Carlos. Carlos es mayor que yo y Andres es dos anor menor.

兄弟のアンドレとカルロス。カルロスは私の兄で、アンドレは私より2歳下。

?Y esta senora mayor?
こちらの年配の女性は?

Es la suegra de mi hermana. El bebe que lleva en brazos es el hijo de mi hermana.
それは私の妹の義理の母。この抱っこされてぐっすり眠っている赤ちゃんは私の妹の息子。


こんな感じでまだまだ続く。ややこしいけど結構リアルな例文?
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うちの鉢植え

2005年11月27日 | Diary
今日は起きたらまたしても昼だった。いいお天気。のんびりブランチを食べ洗濯をした。

乾燥しているせいか植木鉢がからから。でも5年以上植えっぱなしの水仙は今年も順調に伸びている。きっと1月にはまた花を咲かせるだろう。うちの植木たちはずぼらな人間に鍛えられているため乾燥に強い(そういうものしか残っていない)。
水を上げると、乾ききっているから「しゅっ」という音がすることもある。ばらの苗を購入して、冬水を控えていたらそのまま枯れていたということもあった。

ベランダは冬は風も強いのであまり繊細な花は残らない。アブラムシにやられてしまうものもあるし、山椒はアゲハ蝶の幼虫に食べつくされて丸裸になってしまった。やはり適応できるものとそうでないものがあるらしい。チューリップは花屋さんで売っているものとは違い、あっという間に開ききってしまいその状態が続いたので唖然としたこともあった。

ゼラニウムはほぼ一年中。万両も実をつけていることが多い。今はセージとイソギクが咲いている。次は水仙。そしてクリスマスローズ。ミニシクラメン。春になるとムスカリ、ローズマリー、ラベンダー、松葉菊、グミ。100円で買ったコーヒーの木は30センチぐらいに育った。でも木になるのはまだまだ先。ちょっとかわったところではドリアン。だんなが食べた後種を植えたら芽が出てもう50センチぐらいに育った。

このほかにもゴールドクレスト、手ノ子ヒバ、折ツルラン、笹、金のなる木、月桂樹、サンセベリア、サボテン。アマリリス、アネモネ、ギボウシ。いろいろあるので水遣りは30分くらいかかる。置く場所がもうないのでここ数年増やしていない。でも球根や宿根草も多いのでベランダを見ていると季節の移り変わりがわかる。

でも秋だからヒヤシンスの水栽培でもしようかな?赤いアネモネもいいな。
そろそろクリスマスの飾りつけもしないと。

筋肉痛はあまりなかった。一歩も外に出ない一日だった。




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2週間ぶりのレッスン

2005年11月26日 | Diary
2週間ぶりにキューバダンスのレッスンに行った。ショーダンスのレッスンは4人。簡単にウォームアップを済ませると、比較的単純な、でも私達がやると全然かっこわるいコンビネーションの練習。右の次は必ず左でもやる。頭がこんがらがる。最後はさすがに左はあきらめ右に専念。

しかも前から習っていてショーにも出ている生徒さんが来ていたせいかいつもより難度が高い。先生は振りを一生懸命ああでもない、こうでもないと考えて一人で納得したり、うーん違うってな感じで動いていく。でもその振付ているときの踊りがまた本当にきれい。ターンもピルエットの後、脚を上げて回れと言われても私はそもそも脚がしっかり伸びないし、途中で回転が切れてしまう。最期はジャンプも入った。

そして私達・・・。でも先生はまたしてもめげずにゆっくり音楽なしで何回もやらせる。そして今回はラテンのショーダンスっぽいインストラメンタルの曲に合わせて踊るよう指示。鏡を見なけりゃショーダンサー気分(笑)。でも見かねて音楽にあわせて先生がひっぱって踊ってくれたけど本当に速い。1時間のレッスンのはずなのに何と1時間30分。とにかく本当にダンスのレッスンを受けたという感じだった。いつかああいう振付で一曲踊ってみたいな。

そしてルンバは3人。私はいままで習っていたスタイルの癖で腰をキュッと引いてしまう。そうではなくゆっくりバネを使うよう注意される。でもそれって本当に筋力がいるんだよね。回転していくときも必ず腰の動きを止めないよう注意される。

そして先生は前に座ってじっとみんなの動きをチェック。鏡を見ると自分の顔ながら真剣で怖い。そしてなんだかいつもより曲が速い。しかもアフロ系の曲の特徴で、だんだん速くなっていくからステップもどんどん速くなる。だから楽しい。でも2レッスン目だから最後は根性!

2時間半も踊ってしまった。終わったあとのビールが本当においしかった。でも来週はもっと人が来るといいな。何しろ先週は1人だったそうだ。
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LLEGO...VAN VAN VAN VAN IS HERE

2005年11月25日 | 音楽
AMAZONからメールが来た。何と取り寄せ中だった筈のOxford Spanish-English Pocket Dictionaryは入手不可のためキャンセルとのこと。ほぼ2ヶ月たってからそう言われても・・・。そのためにほかのCDや本も待ってたのに!

そう言いながら今週はそいゆうわけでやっと届いたばかりのロスバンバンの週だった(といってもたったCD2枚だけど。何しろ35年もやってるバンドだからそう簡単にはフォローできない)

そして1999年のアルバムLLEGO...VAN VAN。英語の簡単な説明がついていた。私がいいなと思っていたティンバの曲、TEMBA, TUMBA Y TIMBAはTEMBAさんとTUMBAさんとTIMBAさんという3人のご主人と2人の女の人のややこしい関係の歌だったのね(笑)。あとは離婚しちゃってお料理中の黒人の男の人、スペインとアフリカが混在するキューバ人のこと、出稼先のアメリカからの小切手の入った手紙、恋人同士のけんか、イタリア人とイタリアに行っちゃったムラータの女の人・・・。

改めて聴いてみるとアフロ系の要素がも濃い。神様もたくさん出てくるし、ルンバも入っている。でも歌詞は本当に全部わかったら考えさせられるものも多そう。

私はラテン(サルサ等)の延長で偶然キューバのダンスをはじめ音楽を聴き始めたんたけど、リッキー・マーチンやNYサルサとはやっぱり違って、ラテンではなくキューバ音楽なんだ。ただこのアルバムのAPPAPAS DEL CALABARという曲は、「Juan Formellがアバクア族の隠語で書いた曲」とだけ書いてあって、タイトルの意味すらわからない。これって外人には伝える気はないということ!?

キューバに輸出された奴隷は西ナイジェリアがルーツのヨルバ族(ちなみにブラジルではカンドブレ)、アバクア族いろいろいるそうだし、もちろんスペイン系、ハイチが独立したときキューバに行ったフランス系、中国系、20世紀はじめのアメリカの影響も受けているせいなのか確かに魅力的。

でも最近The Boomなんかもよく聴くようになった。
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ありゃ

2005年11月24日 | Diary
やっと家に着いた。火曜のPCのトラブルが影響して今日は残業。でも終わってよかった。
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のんびり休日

2005年11月23日 | Diary
いいお天気だった。洗濯してお昼食べて昼寝(!?)から目覚めたらもう真っ暗。夕飯は何にしようかな!

 
 つるくんお誕生日おめでとう
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何が幸いするか

2005年11月22日 | Diary
今日はまたPCトラブルで終業直前ファイルが壊れてしまった。ああ。だんなの誕生日プレゼントを買ってバレエのレッスンに行く予定が、会社を出たらもう間に合わない時間。

ふと思い立ったのがジムのバレエ。それなら間に合う。駅から走って駆け込んだら、入り口に若い先生が。長いバーが2本。全部で20人弱。結構余裕。前の方にいる人はレオタード姿も決まっている。

1時間のレッスンだから何をするかと思ったら、ストレッチとかはなしでいきなりバー、一通りのポジションでプリエをして、その後いきなりタンデュ、フォンデュ、ロンデジャンブアテール、バットマン。忙しい。でもバレエを習っていたと言う感じの人ガ多く、らくらくこなしている。いつもの教室は初心者向けだから曲はゆっくりだと先生はいってたけど、これくらいが普通なんだ。アダージョの曲の間に各自ストレッチ。

次はセンター。タンデュ、二番、パッセ。それからトンベパドブレピルエット、ステュニュ。次はシャッセ、グリッサード、パディシャ、アラベスク、次は逆方向に。ジムのスタジオは広いからついていけないけど楽しい。それにちゃんとできる人も多いから見てるだけで参考になる。

あっという間に終わってしまったけどとても楽しかった。またいってみたい。
そしてその後ジャグジー。忙しかった一日も忘れてすっかりリラックス。
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ダイエットしなきゃ

2005年11月21日 | Diary
ランチセットのカフェラテに砂糖を入れようとして思い出した。最近太った。パンツに余裕がない。そういえば寒くなるとミルクティーを夜飲むのでおやつにも手が出る。そして最近だんなが出張やおみやげで甘いものが家から途絶えることがない。

まずい。1キロのダンベルを両手に持って踊る姿をイメージしてみる。つらそうだ。私が2キロ太ったところで周囲の人から見ればあまり変わらないと思うけど、ヒザには大きな負担になる。せっかく最近調子がいいのに。

そして私は砂糖を入れるのをやめ、帰りは一駅余分に歩き、そして家についてロイヤルミルクティーと六花亭のレーズンバターサンドを食べたのだった。

気をつけよう!
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Chapeando(道を切り開け)

2005年11月20日 | Diary
今週末はダンスのレッスンに行けなかったからちょっとさみしいと思っていたら、9月末に注文していたロスバンバンのChapeandoがやっと届いた。8月のライブは行けなかったけど、レッスンでいつもかかっていていいなと思ったから欲しかったのだ。

ピアノのイントロで始まるこの曲、なんとなく明るくてなごむ気がして大好きなんだけど、タイトルのChapeandoの意味がわからない。辞書にも載っていない。わからなければ聞けばいいのだけど何しろスペイン語ができない。

そしたら日本語の解説が入っていた。ラッキー。問題のChapeando(邦題「道を切り開け」)は「マチェーテ(山刀)でサトウキビを切り倒す」というスラングで曲自体がアフロ系の宗教サンテリアの言語だそうなので訳は難しいそうだ。キューバはスペイン語じゃなくてクーバ語というけど実感。話は変わるけどマチェーテって、去年ライブに行ったGrupo NicheのImaginationというアルバムに入っていたクンビアの曲のタイトルであった。それもテンポがよくて好きな曲だ。

ついでにグラミーをとったLLEGOも入手。これは日本語がないからこれからじっくり解読(!?)。

今日は家でムーブメントの練習をした。ルンバは突然腕の力が抜けて脚から動きが連動するようになった!でも毎日練習して2ヶ月かかった(笑)。やっぱり基本ステップ&ムーブメントは地道に練習するしかないよね。そしてこれからがやっと本番。何しろまだ板についていないから。ついでにショーダンスのムーブメントも練習。ロスバンバンのCDかけてたら思わずのりのりになってしまったのでストップ。そう、今日は疲れているので楽しいからといってやりすぎてはだめ。明日締め切りの仕事もたくさんあるし。

さあ、スペイン語。
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2005/11/19

2005年11月19日 | Diary

札幌は夕方までサイモン&ガーファンクルの冬の稲妻(hazy shade of winter)みたいと思うほどの天気だったけど夕方からは晴れた。今日からイルミネーション。
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2005/11/19

2005年11月19日 | Diary
いま札幌。法事が無事おわった。きょうはあられまじりの大雨。風も強くとても寒い。寒さの質が違う。お坊さんのお話はこういう機会に見えないものを信じる、畏れを持つことが重要で、それは自分自身の中にあるということだった。自分でコントロールできること。できないこと。
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今日はメンテ

2005年11月17日 | Diary
会社帰りに中国式整体に行ってきた。仕事柄目と首が疲れるのではじめたけれど、そのうちダンスも原因になり、今日も何も言わなかったんだけど左足、ずいぶん丁寧にマッサージしてくれた。

火曜にバレエのレッスンちょっと疲れてたんだよね。でもドゥミプリエが前よりかなり深くはいるようになり、でもその分最期にお尻が出ちゃうからもう少しターンアウトしてと言われがんばっちゃったんだよね。

何事も足りないくらいがちょうど良い。さあこれからのんびりお風呂。
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12年経って

2005年11月17日 | Diary
あさっての晩から二人で札幌に行く。毎年1回の墓参り。でも今年は義母の十三回忌。彼はもう過去帳、念珠、お布施袋まで準備し、親戚への手土産を考えている。

13年前義母ががんで最後に入院したとき彼の転勤でバンコクにいた。バンコクでの2回目の正月に遊びに来たときは歩くのもつらそうだったけど負けず嫌いの母は息子や私の手は借りず、日傘をさしてワンピースを着てパンプスで歩いていた。その4年前、最初に手術したときすでに転移があったので、それから好きなことをして暮らしていた。でも一人息子の彼はそこまで深刻な病状だとは知らされていなかった。

帰国後の3月に入院し、その後退院して自宅療養していたが、義父も家事は義母にまかせっきりだった人で細かいことは気づかなかったし、当時仕事も忙しかったこともあり、転勤先の大森のマンションで母が動ける範囲で家のことをしていた。6月に一度2人で母の見舞いに一時帰国し、私はしばらく一人で残った。そのとき家事を手伝い、車椅子を押して近所の総合病院に通ったが、私はそれだけでぐったりしてしまう全く役に立たない人間だった。

義母には大学時代にも何度か会ったことはあったけれど、当時結婚二年目で、結婚後すぐバンコクに行ったのであまり接する機会はなくまだお互い遠慮があった。家のこともどの程度手伝っていいのかよくわからなかったし、私は食事を作るのも2時間かかるほど手際が悪かった。だから本当に最低限のことしかできなかった。でも義母は後から考えるとインターフェロンの副作用で鬱だったと思う。2週間ほど手伝ってそのまま帰ってしまったが、もっと家を介護用に整えておくべきだった。

今でこそ介護用品はどこでも手に入るし、ヘルパーサービスも充実してきている。ただ当時はそこまで便利ではなかったし義母もまだ56歳だった。そして私は何を準備しておくべきか頭がまわらなかった。

その後は何となくバンコクで2人でのんびりしていた。深刻さを事実として受け入れられなかったのだと思う。彼の上司は帰任させてあげるとも言ってくれたようだけれど、義父がついていたのでバンコクでがんばろうということになった。でも七会忌も過ぎたころ、彼が「本当は怖かった」と言った。

そして10月に入りとうとう痛みが耐え切れなくなり入院した。もう治療という段階ではなかったのでモルヒネと栄養剤ぐらいしかなかった。2人で会いに行ったとき、もう義母はほとんど食べられなかったしあまり話しもしなかった。そして私一人残り実家から毎日病院に通った。義母の容態は毎週悪くなるばかりだった。11月も半ばになると、病院に行っても話すこともできず、特に何かを手伝ったわけではなかったけれど私は疲れきってしまっていた。

彼は2週間に1度の割合で見舞いに帰ってきた。最後に見舞いの帰り際、義母が「帰るの」という目をした。そして一週間後義母は亡くなった。その3日位前から、危ないからと朝5時ごろ呼び出されたりしたけれど、私は(当然彼も)最期には間に合わなかった。

その後はあまり覚えていない。ただ私は精神的に目一杯で彼や義父のことは全く思い遣ることができなかった。とにかく目の前の用事をこなしていくという感じだった。

四十九日の法要は2月の雪の札幌だった。とにかく寒かった。そしてそれが義父と話した最期になった。

2人でバンコクに戻り、私はタイ語を習ったりして気ままに暮らしていた。彼はまだ入社4年目だったので仕事で手一杯だった。義父はまだ現役で出張も多く、友人も多かったので、きっと大丈夫、またそのうちバンコクに遊びに来てもらえばいいぐらいの感覚だった。それが6月24日、家に帰ると義父が倒れてICUに入っていると彼からの電話があった。その夜満席の飛行機に飛び乗り翌朝病院に駆けつけると義父の会社の人と私の父がいた。

病名は肺梗塞だった。倒れる前日札幌でゴルフしたそうだ。ただ夜東京で会社の人と一杯飲んだとき、どうも調子が悪いと言っていたらしい。でも朝自分で救急車を呼んで、病院に着いたときは歩いて中に入ったそうだ。だから担当医も、「今は人工呼吸器をつけてますけど、麻酔をやめれば意識が回復します。」と手馴れた感じの説明だった。ところが麻酔をやめても義父の意識は戻らなかった。そして「限りなく植物状態に近い状態」と言われた。

義母の時とは事情が変わっていたので、彼は帰任できなかった。私は一人だった。そのような状態で4ヶ月入院し11月に義父は亡くなった。義母の1回忌と父の四十九日を同時に行うことになり、彼は本当に一人ぼっちになってしまった。そして私はまたしてもそんな彼をいたわるような余裕は全くなかった。

12年経った今になって言えることは、逝ってしまった両親も若すぎたけど、私達もそれを受け止めるには若すぎて、後悔だけがたくさん残った。

そして私達は今度40歳になる。

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