私は今まで、ヒロシマ・ナガサキの原爆について、関心も知識も持っているほうだと、自負していた。
でも、壊滅状態にあったヒロシマの街がどのようにして復興してきたのかについては、3月16日放送のテレビ番組を見るまで全く知らなかった。
その番組は、NHK総合の「ヒロシマ 復興を夢みた男たち」。
「復興を夢みた男たち」の中心にいたのは、戦後初めての市長選で市長に選ばれた、浜井信三氏。
彼は、被爆時は広島市役所の職員だったが、戦後ヒロシマの街を復興したいと願う人々の強い推挙を受けて、市長選に立候補し当選された。
自ら街頭に立って平和を訴える、浜井信三市長
番組は、市長になられてからの浜井市長の苦難に満ちた闘いの道のりを(ドラマ仕立てで)追い、彼が、復興に向けて、先ずは広島市民の心を一つ
にするために、「平和祭」を開催し、そこで初めての「平和宣言」をされる姿を描いていた。
昭和22年8月6日に開かれた、第1回平和祭
しかし、平和祭の開催がそのまま、広島の復興につながったわけではない。
復興を実現するためには、復興に必要な財源がなくてはどうしようもない。
ここから、市長の、財源を確保するための、厳しい闘いが始まる。
詳細は省くが、苦闘の末、昭和24年5月に、「広島平和記念都市建設法」が国会で可決され、復興財源を確保する道が開けた。
こうしてヒロシマは、復興に向けて、力強く歩み始めることができたのだった。
私はここ20年くらい、ヒロシマ・ナガサキの「平和祈念式典」を必ずテレビ中継で見、両市長の「平和宣言」に耳を傾けている。
その「平和式典」「平和宣言」が、このような形で始まったことを初めて知り、私は、新たな感動を受けた。
浜井市長の歩みは、市長自らが書き綴られた文章(ガリ版刷り)を基に、今では「原爆市長」という本として刊行されている。
そして今この本が、東日本大震災の被災地で、復興に向けて歩もうとしている人々に、大きな示唆と勇気を与えているのだという。
私はこの事にも強い感銘を受けると同時に、被災地のより早い復興を、願わずにはいられなかった。
そして、この番組の中で、私が感動したことが、もう一つある。
それは、「復興を夢みた男たち」が集まった“場所”のことだ。
その“場所”とは、戦後1年めに建てられたバラック、純音楽茶房『ムシカ』。
「夢をかたる会」の面々(その中の一人が浜井氏だった)は、そこ『ムシカ』で、(戦争中は禁止されていた)クラシック音楽を聴きながら、ヒロシマの将
来について、喧々諤々の議論をたたかわせていたのだ。
その議論の中から、徐々に復興への道筋が見えてき、浜井市長を誕生させることにもなった。
そして、驚いたことに、その『ムシカ』は、現在も、当時の店主の息子さんによって、営業されているというのだ。
当時の店主・梁井義雄氏(左)と、現在の店主の、息子・忠孝氏(右)
今の『ムシカ』と、終戦直後の開店以来ずっと店内に掛けられている、ベートーヴェンのデスマスク。
私は、クラシック音楽を聴きながら夢を語り合った人々のことを思い浮かべると、なぜか、うれしくなってくる。
(クラシック)音楽が、人々の夢を実現するための大きな後押しになることが、証明できたような気がするからだ。
やっぱり、音楽のチカラって、スゴイな!
私には今、願っていることがある。
それは、近いうちに広島に行って、『ムシカ』でベートーヴェンを聴きながら、コーヒーを飲みたいなあ!ってこと。
そしてできたら、店主の梁井さんたちとも、いろいろお喋りしたいなあと‥。
この夢、実現できるかな?
でも「ムシカ」には、絶対行ってみたいです。
「私は広島の子」とだけあって、どんな方なのか分かりませんが、共に平和を願い、核廃絶を実現できるようにしたいですね!