畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

国立歴史民俗博物館へ行って来ました~其の1~

2008-08-15 16:38:31 | 歴史
 お盆は帰省ラッシュで高速道路も新幹線も空港も混雑×混雑。我が家はというと、先週の金~月で実家に帰省。帰省ラッシュもまったくなしでした。今週も有休を取っているので、久々に歴史関係に打ち込む時間となりました。とりあえず前々から行ってみたかった「国立歴史民俗博物館」に行きました。歴博を紹介する…というよりは、私義綱の備忘録みたいなものです。私的感想を含んでおりますので、どうかお許しください(笑)

 国立歴史民俗博物館(略して「歴博」)は、千葉県佐倉市(空港のある成田市より西)と、ちょっとアクセス的に不便なところにあります。当然歩くのが大嫌いな義綱は、我が愛車「能登号」で行く。ひとりで行くのも少し寂しいので、職場の(とっても歴史好きな)先輩と行きました。私は最初先輩に「歴博って2時間くらいあれば見てまわれますか?」と聞いたら、先輩は一笑した「とてもじゃないけど、無理だね2時間じゃぁ。」その言葉を理解するのは、現地に行ってからだった。

 お盆なのに…いやお盆だからみなさん帰省しているのか首都高はありえないほどの空き具合。首都高→京葉道→東関道と通って四街道ICで下車。佐倉街道を進むとあっという間に着く。当初予定より30分ほど早い計算で9:40に着く。歴博は9:30から開館しています。


 デジカメを持っていくのを忘れてしまい、携帯カメラになってしまい画像が悪いのです。スミマセン。でも、デジカメを忘れたことを後悔するのは、博物館に入った後だった…。
義綱「どうせ、博物館は写真撮影禁止だから、デジカメなくてもいいや!」
先輩「えっ?博物館は個人利用で使う写真なら原則写真OKなんだよ…。」
義綱「なっ!?なにぃ~~!」
義綱(…ガッカリ)
 みなさん!国立歴史民俗博物館に行くときにはデジカメは必須アイテムですよ~。(お前が言うな…)
 この「国立歴史民俗博物館」。意外に歴史が浅かった。誕生したのが1981年で、展示公開が1983年。展示を始めてまだ25年なの!?とビックリ。まあ、上野に東京国立博物館もあるしねぇ。ただこの博物館は、毎年超分厚い「研究報告書」(もちろん史学研究のね)を出していて一冊7000円ほどする。それだけ国の予算を懸けて歴史を研究するなんて…「国はエライ!」
 さてさて、ではショーもない携帯カメラの画像を含めて紹介していきましょう。

まず最初に縄文時代。写真がないのが残念なんですが、まずビックリしたのが、三内丸山遺跡(青森県)の模型展示。縄文時代って狩りや採集が忠臣だから大きな遺跡と思っていたんです。大きいといっても三内丸山遺跡の人口が500人くらいだからたいしたことないだろうと思っていたら、長大な竪穴式住居が…。市民ホールみたいな大きさ。人も50人は入れる?
http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/
上記、公式「三内丸山遺跡」サイトによると、長大な竪穴式住居の長さは32メートルになるという。もう「竪穴」じゃないですよね。こんなに縄文時代が文化的だったとは思いもよらなかった。青森県に行ってみようかな。八戸の根城も行きたいし…。


 う~ん、ただでさえちょっと気味悪いえづらなのに写真がぼやけててさらに君が悪い。これは弥生人の戦闘鎧です。盾みたいなのに石の槍を持っています。鎧の素材は木だけど結構本格的装備。
義綱「弥生時代から、こんなフル装備があったんだぁ。」
2世紀頃のもので、静岡県浜松市伊場遺跡で発掘されたらしい。
※現地(浜松市伊場遺跡)はこんな感じで復元展示されているらしいっス。
http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/hamahaku/09annex/iba_park.htm
 それから、環濠集落の展示模型がありました(写真無いですごめんなさい)。発掘された場所は横浜市。「横浜市歴史博物館」公式サイトによると、大塚・歳勝土遺跡公園という場所に、環濠集落が復元展示されているらしい。結構近いので行ってみたい…。うむうむ古代もなかなか面白なぁ。
http://www.rekihaku.city.yokohama.jp/


 さて、この写真の復元模型の村。何時代のものだと思われます?私は最初室町時代のものかと思いましたが、なんと古墳時代!…でも平安時代まで貧しい農民の村と言えば竪穴式住居で弥生時代とそんな変わりがない気がしていたのだけど…。模型の元になった遺跡は「黒井峯・西組遺跡」(群馬県子持村)。残念ながら現在は埋め戻されている状態だそうです。しかし、国指定史跡として、子持村は、遺跡を元に復元した村の見学施設や、資料館を備えた歴史公園として整備する計画があるらしいです。古墳の模型もありましたが、わたしゃ復元された五色塚古墳(兵庫県)を行ってきたのでいいや。五色塚古墳の参考URLを提示しておきます。
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/57/maizoubunkazaic/spots/html/tarumi/gosiki.html
ちなみに、この五色塚古墳は天皇陵でないとされたから、復元されたと聞きます。もし、天皇陵であれば宮内庁の立ち入り禁止区域になってたことでしょう。現在でも天皇陵とされる古墳では発掘作業もできません。古墳時代をよく知るチャンスなんでしょうけど、色々なしがらみがあるんでしょうね。


 いよいよ奈良時代。これは木簡です。平城宮跡はもともと国指定史跡であり、世界遺産に登録されています。世界遺産に登録されたのは、埋蔵文化財としての価値です。この間5月に見たのは、平城宮(内裏と政府の政庁を含めたもの)の正門である「朱雀門」は復元ですので、歴史的価値はないわけです。(ちなみに、歴博に模型展示してあるのは、「平城京」(平城の街全体)の正門である「羅生門」です)平城宮は国営公園化が決定し、さらに遷都1300年祭に備えて復元工事を進めています。近鉄奈良線も移設のうごきがあるし、今後の平城宮跡から目が離せませんね。まあ、市街化された京都平安京の復元や発掘は難しいものがありますので、(平城宮跡は旧市街地のため奇跡的に残った)史跡公園化して、ぜひ注目を浴びてもらいたいものです。
 
 さて、ここでようやく第1展示室の古代が終了(第1展示室の沖ノ島の展示は見逃してしまった…)。ここまでですでに11:30。職場の先輩と話しながら詳しく見ていて楽しいので時間はあっという間。第5展示室までと企画展示まであるのに!今日中に見終われるの?

 …先輩が、「とてもじゃないけど、無理だね2時間じゃぁ。」という意味が痛いほどわかりました。ということでブログも次の日に続きます。

 最近はブログで書きたいことが山ほどあります。8月15日は滝山城と八王子城に二度目の訪問に行って来たので(モチ!デジカメ持参で)、その様子も今後アップします。