畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

七尾城の保存・整備は生きているうちに…

2008-08-28 20:21:00 | 歴史

 私の家から車で20分程の書店は蔵書が20万冊と言われる程多い。ほとんど図書館並みである。今回は雑誌『戦国史研究』55号を買ってきた。実際に手に取れるのはやはりいいなぁ。もう一つ購入したのが『日本の遺跡19 根城跡』(同成社)という本だった。昨年に武藤様と一緒に一乗谷朝倉史跡に行って以来、考古学に目が向くようになった。それ以降、草土千軒などの発掘調査や、大内館、大友館などの発掘調査を追っている。いつかその知識が本格的な七尾城の発掘調査が始まった時に役立つと思ってのことである。
 しかし、私が『日本の遺跡19 根城跡』を読みすすめていくうちに、「生きているうちに七尾城の発掘調査と整備は終わるのか?」と、疑問に思った。

青森県八戸市・根城の調査・整備まで
・史跡の公有化開始(1972年~)
・史跡の発掘調査(1974年~1989年)
・「史跡根城跡環境整備基本設計書」が策定される(1983年)
・遺構整備方法の検討開始(1987年)
・整備区域の測量~主殿の復原(1985年~1994年)
・「史跡根城の広場」一般公開開始(1994年~)

 史跡地域の公有化から、史跡公園のオープンまで22年の年月…。

一方の七尾城跡は…
・七尾城保存整備計画策定の動きが始まる(1998年)
・七尾城保存管理計画の概要が発表される(2002年)
・七尾城本丸跡地中をレーダー調査(2005年)

 えっ…これだけ…。1992年くらいに七尾城下町の発掘調査報告がなされたが、これは老人ホーム建設に伴う緊急発掘調査である。2005年にも七尾城下町が発掘されたが、これは能越自動車道建設予定地の範囲での発掘調査である。七尾市教育委員会もぽつぽつと発掘調査をやってはいるらしいが、財政状況から範囲は小さいらしい。しかしやっているのなら定期的に報告をしてもらいたいものである。「広報ななお」なんかに発掘調査の報告がでているのかな?
 発掘調査に関して言えば、七尾城跡より、宝達志水町の御舘館跡の方がよっぽど進んでいる。御舘館跡の発掘調査は、旧押水町教育委員会が行っている。2000年の押水町の人口は約8500人。この時期の七尾市(旧七尾市)の人口は5万人ほど。人口規模が違えば財政状況も違ってくるなかで、自前で発掘調査をするとはさすが…。静岡県旧水窪町は2000年当時で人口3200人程度。その人口・財政規模で、水窪町は町おこしのため、中世山城史跡・高根城を復原したのである。一体あれだけの規模の城を復原するために費用はどのくらいかかったのであろうか。
 現状の七尾城跡は史跡の公有化も終わっておらず、根城の整備スケジュールに当てはめると、1972年以前の段階である。仮に公有化が5年後の2013年に始まったとして、根城の整備スケジュールに照らし合わせると、史跡七尾城公園のオープンまで、2035年までかかることになる。七尾城は史跡の範囲も広いことから、整備により一層時間がかかることになるかもしれない。私が生きているうちに、七尾城の史跡公園整備は終了するのだろうか。命あるうちに七尾城の復原景色をみたいものである。