畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

新潟・長野へ歴史旅行~其の1~

2010-09-13 05:44:00 | 旅行・観光
 9月11日(土)と12日(日)の日程で歴史友達の武藤舜秀様と新潟・長野へ歴史旅行へ行ってきました。まず最初に新潟県での春日山城に訪問記をアップします。


 春日山城の最寄駅はJR春日山駅。あまり大きい駅ではありませんね。



 駅前には、さすがに最寄駅らしく、春日山周辺観光マップがあります。駅前から春日山城までは、城のふもとまでの車で10分程度、本丸までは20分程度かかります。また、春日山城は見るべきものがかなりあちこちに点在しているので、歩きだとかなりかかります。訪城には車が適していますね。



 春日山駅のすぐ近く(徒歩30秒)にある、「上杉謙信交流館」です。こんなところにも資料館があるのか…と思ったら単なる公民館でした。中では保育士の研修会などが行われていました。しかし、春日山城の案内マップや上越市観光マップ・お土産マップなどがあるので、資料をいただいてから史跡を周るのがいいですね。



 では春日山城を周りましょう。最初に訪れたのは春日山城の説明板がある交差点。こういうのを見逃すと後悔しませんか?まだまだ山の麓ですが、このあたりから城は始まっていたんですね。かなり広い城域をもっていたことが体感できます。



 説明板がある交差点から少し歩いた距離にあるのが、「上越市埋蔵文化財センター」です。体系的な春日山城の資料館がないので、ここのセンターが実質的な春日山城の資料館として機能しているのでしょうか。

 建物の前に「上杉謙信の銅像」があります。とはいえ、春日山の至る所に謙信の銅像があるので、「これは撮っておかねば!」感がありません。もっと銅像の数を減らして希少価値を出せなければならない、などと心配してしまいます。


 さて、センターの中に入りましょう。

訪れた時は、「謙信公と春日山城展」という企画展をやっていました(平成22年7月23日~同年11月28日まで)。企画展では上杉謙信に関する出来事などを見やすくまとめています。謙信が行った合戦が生涯で70回もあり、タッチパネルでそれを調べられるようになっていましたが、これは花ヶ前盛明氏の著書から抜粋したものでした。




 謙信ばかりでなく、父親の長尾為景の歴史についても触れていました。私は謙信のようなあまりメジャーな人物に興味がないので、こういう展示はうれしいです。文書の展示をするあたりが「埋蔵文化財センター」というより、資料館に近いなって思ったりします。同様に謙信の義理の息子・景勝の歴史についても展示で触れていました。




 春日山城のジオラマ模型がありました。春日山城の縄張り図などがないのでこれを参考にするのが一番春日山城をイメージしやすいでしょう。

 本丸付近のジオラマを拡大してみました。このジオラマは発掘調査を踏まえて作られたもののようです。天守閣や本丸跡にはこんな建物が建っていたのでしょうか。どれほど発掘調査が行われたか明示していないので、確認するす術がないのが残念です。




 埋蔵文化財センターらしく春日山城で出土した品も展示されています。あまり展示数が少ないなと思ったら、春日山城全体の1%しか発掘調査がされていないようで、そのために出土品が少ないとのこと。写真左上には珠洲焼のすり鉢があります。珠洲と直江津は主要海路となっており、かなりの交易があったと思います。それだけにきっと城内では多くの珠洲焼が使われていただろうことが想像されます。




 「体験!春日山城」というコーナーがありましたが…ちょっとちゃっちいです。春日山城の竪堀がプラスチックで館内に実物大復元されています。謙信が土塁に塩を塗って表面を固くし、簡単には登らせないようにした、というのは結構な発見。さすが戦闘のが多い戦国時代の知恵。他の地域でもこういう事例があるかもしれませんね。



 さて、この上越市埋蔵文化財センターでは発掘調査の展示に加え、もうひとつ重視している展示があります。

それがGackt謙信です。以前、NHKの大河ドラマで「風林火山」をやっていましたが、Gacktはその時、上杉謙信を演じました。その綺麗な容姿から歴女などがワーキャー言っていたのは想像に難くありませんね。その歴女ブームにあやかろうと、大河ドラマ「風林火山」の撮影の様子などのパネルが結構ありました。ちょっと前に大河ドラマ「天地人」がやっており、上杉景勝の被官である直江兼続を主人公にしていたのですが、そのドラマより武田信玄という謙信のライバルを主人公とする「風林火山」の方が取り上げられる始末。ちょっと展示内容がミーハーな気がしないでもないです。



 さて、企画展が終ると、ガラスケースの向こうに大量の出土物が。なるほど、ここは確か「埋蔵文化財センター」ですもんね。ちゃんと仕事しているんですね。さてガラスケースをみると大量の珠洲焼があります。大きな壺や甕があり、珠洲と直江津の経済的つながりがみてとれます。

 さて、資料館の出口と言えば、企画展や常設展の図録の販売が行われており、それらを購入する楽しみがあります。…しかし、残念ながら今回の企画展の図録販売はなし。それどころか、春日山城の発掘調査報告書や縄張り図すら売っていません。僅かに『上越市史』などの販売もしていますが、売り切れの巻も多く書籍の販売が充実していません。売店で売っている書籍も、全国の書店で販売されている『歴史群像シリーズ』で謙信に関わるもののみ。あとは、謙信グッズやGackt謙信グッズ、地域のお土産ものって感じでまさに歴女をターゲットにしている感じが…って、おい!歴女は史実の知識も結構求めていますよ。だからもっと資料館らしい図録などの販売などをしてほしかった。
 そんな、ちょっとがっかりな気持ちで「埋蔵文化財センター」を後にしました。さて、これから春日山城を登ってもいいのですが、もう時刻は昼前。飯の前に春日山城に登って疲れるのは避けたい。なので武藤さんと話あって、「先に城山のふもとで行けるところには行っておき、昼飯の後に本城を攻略する」ことにしました。



 こちらは通称「東条砦」。現在は「春日山城史跡広場」として監物堀と柵が復元してある史跡公園となっています。春日山城の城域の東端にあり、昔は一体化していたものと思われますが、今では住宅が広がっていて連続性を感じられなくなってしまっています。ですので、この地域は東条砦という別名ではなく、春日山城の一端と考えるのが正しいです。城の端である総構(そうがまえ)となっている堀です。



 監物堀の大きさも土塁の大きさもなかなか大きい。春日山城の外堀とも言えるのでこういう復元は体感できるのでいいものだと思います。歴史サイトで春日山城を取り上げている時、せっかく復元されているのに東条砦の復元監物堀と土塁をアップしている事が少ない。春日山城本城と離れている事と、アピール不足が影響していると思います。



 この復元監物堀を、近くにある「春日山城ものがたり館」からみると、こんな感じになります。う~んいい眺め。しかし、歴史好きにはわかるが、一般の人には単なる公園にしか見えないかも。やはりアピール不足か。




 「春日山城史跡広場」内にある通路です…。しかし、実はこれも復元だったりします。道幅が3mもある道路が場内にあったようです。しかも排水溝も発見されています。結構な規模だったんですね。しかし、その復元を感じさせない地味さがなんとも言えず。



 通称「東条砦」と言われるだけあって、一段高い場所があります。その場所から見ると、広場がよく見えるし、総構がよくわかります。

 さらにこの一段高い場所には、掘立柱建物が復元されています。おそらく見張りなどをした番小屋のような役割をもっていたのでしょう。

 番小屋の裏には「長池」があります。長池という割には結構小さな池です。波もなく、どこの川につながっている池でもなく、いったいなぜここにあるのかわかりません。なぜここに池があるのかというような理由も説明がほしかった。



 「春日山城史跡広場」の側には「ものがたり館」という施設があります。小学生の春日山城に関する作文など、展示内容にう~ん、思うものが多い中…

 「春日山城史跡広場」の発掘調査の内容や、復元についての説明などがされている。これをみると多少広場の史跡広場の意義がわかる。しかし、この広場、文化庁と新潟県教育委員会の協力のもと作られているらしいが、史跡公園としての価値を重視しているのか、公園広場としての役割を重視しているのかよくわからない。一乗谷史跡のように、復元のイメージを前面に出すのか、勝沼氏館跡のように平面展示で大きさを体感させるのか、もうちょっと復元のコンセプトを明確にしないと。


 さて、次回「新潟・長野へ歴史旅行~其の2~」では、春日山城の復元された大手道といよいよ本城に登城します。