前回までのあらすじ。埋蔵文化財センターと春日山城史跡広場へ行きました。
さて、次の周る候補を探して謙信交流館でもらったパンフレットを見ると、春日山城史跡広場にある監物堀の復元以外も、春日山城の大手道が復元されみどころだと書いてあるので行ってみることに。
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大手道の看板が目立つ。駐車場に湧き水の沸きだし口があり、喉を潤そうと思ったが、チョロチョロとしかでない水に地元の方が4本も大きなペットボトルを注いでいる最中で一向に「お先にどうぞ」の気配がないので、あきらめました。
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大手道を歩いて行くと、かなりの高低差の崖が見えました。ここが大手道の入口ということを考えると、多分監物堀から続く春日山城の総構ではないでしょうか。ここまで城域が続くとは…かなり広大ですね。
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さて、いよいよ復元された大手道に到着…してるよね…。なんだか単なる遊歩道みたい。パンフレットに説明がなければ復元とわからない。通路の階段は木で整備されていますがビスで留められています。戦国時代は石段で整備されていたのでは?とも思います。とにかく、当時の姿を復元したのか、大手道があった地域に遊歩道を整備したのか、説明板のようなものがあればよかったですね。
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大手道を歩いていくと視界が開けてきました。そこになんだか小山があります。どうやらこれが番所跡らしいです(石碑が建っている小山)。小山は土塁の跡だそうです。この小山を除いて他は削られてしまったのですね。無念。眺めはいいのですが、「ここから春日山城の本丸が見える」そうですが、よくわかりませんね。本丸の櫓か何かを復元してくれればわかりやすかったのですが。
9時に春日山駅に集合しすでに11時半。本城攻略は時間がかかるとみてご飯を食べにいきます。ついでに短時間でみれる史跡を、ということで御館(おたて)に行きました。
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ここは、北条氏康に追われて長尾景虎を頼って来た上杉憲政のために作られた館があったことから「御館」(おたて)と呼ばれたみたいです。後には謙信が政庁としても使用し、さらに上杉景勝と上杉景虎が争った御舘の乱の地とも有名です。現在は住宅地の間にある公園になっていますが、発掘調査はされたらしく、説明板がありました。
さて、いよいよ春日山城の本城を攻略です。まずは春日山神社をめざします。うん?まだ車で上に行けそうということでさらに先へ。進むと「林業関係者以外は車で進まないでください」の看板。ここから三の丸が近そうなので歩いて行くことに。
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それにしてもだいぶ高くまで登ってきた。
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車をおいて最初に登った場所にあったのは「甘粕近江守宅址」。屋敷跡は草が生い茂っていてあまり広さを体感できませんでした。
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三の丸到着。。説明板には三の丸には「上杉三郎景虎屋敷」と「米蔵」もある結構大きい郭です。城内の食料庫があるということは、かなり重要な郭であることがわかります。上杉景虎(謙信の養子)も謙信に大切にされていたことがわかります。
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さらにこの郭にはよく土塁が残っています。この郭はぜひ発掘調査して復元してもらいたいですね。
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三の丸からさらに二の丸の方へ登っていくと、深い堀が見えます。この堀は現在は草が生い茂っているけれど、当時は竪堀で岩肌が露出してとても登れないような堀だったらしいです。「上越市埋蔵文化財センター」の「体感!春日山城」の堀はこのことかもしれません。
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二の丸です。ここは本丸の真下にあり、本丸と並ぶ中心の郭です。古絵図には「御二階」「台所屋敷」や「お茶屋」と記されており、笹井戸の存在から生活の中心となる郭だったのかもしれません。
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二の丸を上がると「天守閣址」があります。はたして戦国時代初期に天守閣があったのか?と疑問です。天守閣というより、櫓があったのではないでしょうか?
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こんなに上越市街が一望できます。まさに越後を支配するのに適した城です。この眺めはサイコーです。春日山城登城の際はぜひここは訪れてもらいたい!
さて、2つ上の写真で分かる通り、天守閣と通路を挟んで本丸があります。
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天守閣に比べてこちらの本丸の方が郭の面積が広いです。ということはおそらく主殿があったのはこちらでしょう。
ここで、ちょっと「上越市埋蔵文化財センター」で見たジオラマを振り返ってみたいと思います。
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こちらのジオラマでは、天守閣に二階建ての建物がありますね。本丸にはごちゃごちゃと建物があります。一方で本丸の直下に二の丸も見えます。天守閣と本丸は空堀があり木橋がかけられていますね。現在の挟まれた通路は、もっと深い堀だったことがわかります。本丸へは二の丸から登るような道だったのですね。
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本丸を裏側に見ると、「大井戸」があります。かなりの大きな井戸で、この郭は「井戸曲輪」と呼ばれています。現在でもなみなみと水があるようですが、暗くて確認できませんでした。この位置にこれだけの水量があると、かなり籠城に有利になりますね。また、本丸側への崖がかなり急です。あまりの急斜面で登っても滑ってしまうことから「油流し」と言われているそうです。本丸への防御は完璧ですね。さすが五大山城に例えられる春日山城です。
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井戸曲輪から「鐘楼跡」「景勝屋敷跡」に向かおうとすると、かなりの落差になります。こんな坂を戦争時に登っていたら、すぐに城兵に抹殺されてしまいますね…。春日山城恐るべし。
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三の丸~本丸までは結構小さな郭が続いていましたが、本丸から裏側の景勝屋敷などはかなり郭が広いのが特徴です。
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写真は「柿崎和泉守屋敷跡」を見下ろしています。かなり広い郭です。この郭は説明版によると、「城内の山地で唯一ハンノキが自生する場所で、植生から水分を多量に含む土地であったことがわかります」「池であったとすれば、春日山城で唯一庭園を合わせ持った郭の景観が想像されます。」とあります。しかしどうでしょう。重臣とは言え、一族でもない者の屋敷郭にしか庭園がない。これって変ではないですか?上杉憲政や村上義清など客将をたくさん迎えた謙信が、殺風景な春日山城の会所で客をもてなすでしょうか?あるいは客人を迎えるたびに、重臣である柿崎に謙信が「すみません、客人が来たんですが庭園がある会所は柿崎さんのところだけなので、貸してもらっていいですか?」なんて言うでしょうか。ここは庭園があったとするなら本当に柿崎の屋敷だったのでしょうか。ちょっと疑問です。
ここまで回ると、最初の車を置いたところに戻ります。そして、少し下って春日山神社に到着。
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ここにはお茶屋が1軒、お土産屋が2軒あります。謙信グッズはここでも買えます。しかしながら郷土史家の冊子などはほとんど売っていません。残念です。
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春日山神社への入口に「春日山城跡案内図」がありました。5時間近く春日山城を探索しましたが、それでもまだ春日山城の60%くらいを周ったに過ぎないんですね。相当の広さです。
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春日山神社は普通の神社です。歴史的な建物ではなく、普通にお参りをして後にしました。
春日山城を訪れた感想は、五大山城にふさわしい巨大な城を体感することができた、ということです。この日の予定は1日かけて春日山城探訪に充てていたのですが、正解でした。もし2時間の予定を立てていたら、春日山神社しか周れず春日山城の大きさを体感することすらできません。ぜひ春日山城を訪れるなら時間をとって周っていただければと思います。もう1つ感じたことがあります。復元の様子が中途半端だということです。「春日山城史跡広場」の監物堀、番小屋にしろ、大手道の復元にしろ、なかなか一般受けはしないのではないでしょうか。素人目ならたんなる公園整備にしか映らないのではないでしょうか。
五大山城と言えば、観音寺城(滋賀県)、月山富田城(鳥取県)、小谷城(滋賀県)、春日山城(新潟県)と、七尾城(石川県)の5つの城です。七尾城の発掘調査の進み具合が遅く私はガッカリしています。同じ五大山城でも、メジャーな人気の上杉謙信を擁する春日山城はどうだろうかと思うと、正直七尾城の状態と似たり寄ったり。発掘調査も復元もほとんどされておらず、ロクに博物館もないので発掘調査報告書や展示の図録や縄張り図などの書籍も売っていない。こんな状態でいいのであろうか。もっと一乗谷朝倉史跡のように戦国時代を体感できるような工夫が必要ではないだろうか。
次回、「新潟・長野へ歴史旅行~其の3~」では、長野県中野市の「高梨氏館」の訪問記をお送りします。
さて、次の周る候補を探して謙信交流館でもらったパンフレットを見ると、春日山城史跡広場にある監物堀の復元以外も、春日山城の大手道が復元されみどころだと書いてあるので行ってみることに。
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大手道の看板が目立つ。駐車場に湧き水の沸きだし口があり、喉を潤そうと思ったが、チョロチョロとしかでない水に地元の方が4本も大きなペットボトルを注いでいる最中で一向に「お先にどうぞ」の気配がないので、あきらめました。
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大手道を歩いて行くと、かなりの高低差の崖が見えました。ここが大手道の入口ということを考えると、多分監物堀から続く春日山城の総構ではないでしょうか。ここまで城域が続くとは…かなり広大ですね。
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さて、いよいよ復元された大手道に到着…してるよね…。なんだか単なる遊歩道みたい。パンフレットに説明がなければ復元とわからない。通路の階段は木で整備されていますがビスで留められています。戦国時代は石段で整備されていたのでは?とも思います。とにかく、当時の姿を復元したのか、大手道があった地域に遊歩道を整備したのか、説明板のようなものがあればよかったですね。
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大手道を歩いていくと視界が開けてきました。そこになんだか小山があります。どうやらこれが番所跡らしいです(石碑が建っている小山)。小山は土塁の跡だそうです。この小山を除いて他は削られてしまったのですね。無念。眺めはいいのですが、「ここから春日山城の本丸が見える」そうですが、よくわかりませんね。本丸の櫓か何かを復元してくれればわかりやすかったのですが。
9時に春日山駅に集合しすでに11時半。本城攻略は時間がかかるとみてご飯を食べにいきます。ついでに短時間でみれる史跡を、ということで御館(おたて)に行きました。
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さて、いよいよ春日山城の本城を攻略です。まずは春日山神社をめざします。うん?まだ車で上に行けそうということでさらに先へ。進むと「林業関係者以外は車で進まないでください」の看板。ここから三の丸が近そうなので歩いて行くことに。
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それにしてもだいぶ高くまで登ってきた。
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車をおいて最初に登った場所にあったのは「甘粕近江守宅址」。屋敷跡は草が生い茂っていてあまり広さを体感できませんでした。
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三の丸到着。。説明板には三の丸には「上杉三郎景虎屋敷」と「米蔵」もある結構大きい郭です。城内の食料庫があるということは、かなり重要な郭であることがわかります。上杉景虎(謙信の養子)も謙信に大切にされていたことがわかります。
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さらにこの郭にはよく土塁が残っています。この郭はぜひ発掘調査して復元してもらいたいですね。
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三の丸からさらに二の丸の方へ登っていくと、深い堀が見えます。この堀は現在は草が生い茂っているけれど、当時は竪堀で岩肌が露出してとても登れないような堀だったらしいです。「上越市埋蔵文化財センター」の「体感!春日山城」の堀はこのことかもしれません。
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二の丸です。ここは本丸の真下にあり、本丸と並ぶ中心の郭です。古絵図には「御二階」「台所屋敷」や「お茶屋」と記されており、笹井戸の存在から生活の中心となる郭だったのかもしれません。
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二の丸を上がると「天守閣址」があります。はたして戦国時代初期に天守閣があったのか?と疑問です。天守閣というより、櫓があったのではないでしょうか?
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こんなに上越市街が一望できます。まさに越後を支配するのに適した城です。この眺めはサイコーです。春日山城登城の際はぜひここは訪れてもらいたい!
さて、2つ上の写真で分かる通り、天守閣と通路を挟んで本丸があります。
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天守閣に比べてこちらの本丸の方が郭の面積が広いです。ということはおそらく主殿があったのはこちらでしょう。
ここで、ちょっと「上越市埋蔵文化財センター」で見たジオラマを振り返ってみたいと思います。
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こちらのジオラマでは、天守閣に二階建ての建物がありますね。本丸にはごちゃごちゃと建物があります。一方で本丸の直下に二の丸も見えます。天守閣と本丸は空堀があり木橋がかけられていますね。現在の挟まれた通路は、もっと深い堀だったことがわかります。本丸へは二の丸から登るような道だったのですね。
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本丸を裏側に見ると、「大井戸」があります。かなりの大きな井戸で、この郭は「井戸曲輪」と呼ばれています。現在でもなみなみと水があるようですが、暗くて確認できませんでした。この位置にこれだけの水量があると、かなり籠城に有利になりますね。また、本丸側への崖がかなり急です。あまりの急斜面で登っても滑ってしまうことから「油流し」と言われているそうです。本丸への防御は完璧ですね。さすが五大山城に例えられる春日山城です。
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三の丸~本丸までは結構小さな郭が続いていましたが、本丸から裏側の景勝屋敷などはかなり郭が広いのが特徴です。
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ここまで回ると、最初の車を置いたところに戻ります。そして、少し下って春日山神社に到着。
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春日山神社への入口に「春日山城跡案内図」がありました。5時間近く春日山城を探索しましたが、それでもまだ春日山城の60%くらいを周ったに過ぎないんですね。相当の広さです。
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春日山城を訪れた感想は、五大山城にふさわしい巨大な城を体感することができた、ということです。この日の予定は1日かけて春日山城探訪に充てていたのですが、正解でした。もし2時間の予定を立てていたら、春日山神社しか周れず春日山城の大きさを体感することすらできません。ぜひ春日山城を訪れるなら時間をとって周っていただければと思います。もう1つ感じたことがあります。復元の様子が中途半端だということです。「春日山城史跡広場」の監物堀、番小屋にしろ、大手道の復元にしろ、なかなか一般受けはしないのではないでしょうか。素人目ならたんなる公園整備にしか映らないのではないでしょうか。
五大山城と言えば、観音寺城(滋賀県)、月山富田城(鳥取県)、小谷城(滋賀県)、春日山城(新潟県)と、七尾城(石川県)の5つの城です。七尾城の発掘調査の進み具合が遅く私はガッカリしています。同じ五大山城でも、メジャーな人気の上杉謙信を擁する春日山城はどうだろうかと思うと、正直七尾城の状態と似たり寄ったり。発掘調査も復元もほとんどされておらず、ロクに博物館もないので発掘調査報告書や展示の図録や縄張り図などの書籍も売っていない。こんな状態でいいのであろうか。もっと一乗谷朝倉史跡のように戦国時代を体感できるような工夫が必要ではないだろうか。
次回、「新潟・長野へ歴史旅行~其の3~」では、長野県中野市の「高梨氏館」の訪問記をお送りします。