2007年の9月に山梨県北杜市の「風林火山館」に行ってきました。ブログにアップし忘れ、いまさらながらアップです。
2007年のNHK大河「風林火山」は覚えていますか?山本勘助が主人公のドラマでしたね。上杉謙信をGacktが演じていましたね。そのドラマ撮影を北杜市が誘致するため設置したオープンセットが風林火山館である。2006年8月に完成すると『風林火山』(2007年NHK大河ドラマ) 、『天地人』(2009年NHK大河ドラマ) 、『BALLAD 名もなき恋のうた』(2009年映画) で実際に撮影に使われた。ドラマの風林火山の影響もあって、2007年に訪れた当時は観光客が盛りだくさん。大型バスが駐車場にバンバン留まっており、観光ツアーも来ているようでした。2007年9月時に、「入場者40万人突破」とある。
これが風林火山館の全体図です。さあ、さっそく入りましょう。
風林火山館だから、これは武田氏の躑躅ヶ崎舘がイメージされて作られていると思う。なかなか立派な土塁・櫓と堀。昔の歴史ドラマでは、戦国時代が舞台でも江戸時代城郭のようなセットが使われるなど誤解も多かったが、最近は歴史考証もよく進んでいる。
冠木門です。館の外にはテナントのお土産物屋がいっぱいあります。
館の小口にある大手門です。一乗谷朝倉遺跡の義景館をイメージして作られたんでしょうか。では、義景館の門を見てみましょうか。
(↑福井県福井市の一乗谷朝倉史跡の義景館跡)
この義景館の門は戦国時代当時の門ではなく、江戸時代に建てられたものですが、土塁が小口の周辺だけ石垣になっているのも似ています。
(↑岐阜県飛騨市の江馬氏館跡の復元門)
門の前が土橋になっているのは、この江馬氏館からイメージをとったものと思えます。よく見ると門は江馬氏館の方が似ていますね。江馬氏館跡の復元門は、洛中洛外図屏風の門を参考に復元しているのですが、きっとこの「風林火山館」も同じなのでしょう。
門の近くにある御番所です。番屋ですね。「館を守備するために小人頭や足軽が詰めていた所」と説明版にはあります。その割には結構しっかりした建物ではないですか?まず第一に礎石建物ですね。番屋程度なら掘立柱建物じゃないですかね。しかも建物自体も総柱で簡易なものでもよかったのでは?と思います。いまいち考証が甘い?
大手門近くにある二階櫓。結構質素なつくりですね。それだけ戦国時代に近い感じが出ています。櫓の下が石垣になっていますが…、これはどうでしょうねえ。
風林火山館の主殿です。人が集まっていると主殿っぽくないですね。主殿の中は入れませんでした。その代わり武田24将展とかいって、武将の絵が飾ってありました。
主殿の前にある馬屋です。馬がいなくて人が座っていると、全く雰囲気がでませんね…。
唐門です。門の向こうには長屋があるみたいですが、残念ながら行けないようです。説明版には「唐門 屋根に独特の唐破風がある門。平安時代後期に生まれたデザイン。」と書かれている。反対側の堀重門に進みます。
堀重門です。館内はこのような門で仕切られていました。それは館内の表である「ハレの空間」(来客や宴会などの晴れ舞台)と、「ケの空間」(食事や睡眠など日常生活を送るための空間)に分けるためである。だからこそ、門に屋根がない。槍を持った移動などでは邪魔になるからであり防御性というより、空間の仕切という役割なのである。
隅櫓です。土台に石垣がないのが戦国時代っぽくていいですね。築地塀と合わせてとても戦国の雰囲気がでています。これがセット?という感じさえします。
的場です。弓矢の練習場が館内にあり、軍事訓練をこのようなものを使って行われたことがわかります。単なる的より、このような土壁の方が何度もつかえてエコ&経済的ですね。これも戦国時代の知恵なんですね。
館の外側には、仕度場がありますが、多くはテナントになっており、お土産物屋や飲食店になっていました。
このように、戦国の雰囲気を味わえる「風林火山館」ですが、残念ながら2008年12月に休館となり、2009年3月に正式に閉館となりました。大河ドラマが終ったことで見学客の減少、それに伴いテナントの撤退という問題があったようです(ウィキペディアより)。現在は撮影時のためにまだ施設はありますが、それも2011年の土地の貸借が終了した後は取り壊される模様。時代劇のセットの維持費って大変なんですね。
太秦映画村や日光江戸村は観光として成り立ってるからこそ、セットが残されているんでしょうか。戦国時代のオープンセットテーマパークがどこかに開園しないかな…なんて思ったりします。
2007年のNHK大河「風林火山」は覚えていますか?山本勘助が主人公のドラマでしたね。上杉謙信をGacktが演じていましたね。そのドラマ撮影を北杜市が誘致するため設置したオープンセットが風林火山館である。2006年8月に完成すると『風林火山』(2007年NHK大河ドラマ) 、『天地人』(2009年NHK大河ドラマ) 、『BALLAD 名もなき恋のうた』(2009年映画) で実際に撮影に使われた。ドラマの風林火山の影響もあって、2007年に訪れた当時は観光客が盛りだくさん。大型バスが駐車場にバンバン留まっており、観光ツアーも来ているようでした。2007年9月時に、「入場者40万人突破」とある。
これが風林火山館の全体図です。さあ、さっそく入りましょう。
風林火山館だから、これは武田氏の躑躅ヶ崎舘がイメージされて作られていると思う。なかなか立派な土塁・櫓と堀。昔の歴史ドラマでは、戦国時代が舞台でも江戸時代城郭のようなセットが使われるなど誤解も多かったが、最近は歴史考証もよく進んでいる。
冠木門です。館の外にはテナントのお土産物屋がいっぱいあります。
館の小口にある大手門です。一乗谷朝倉遺跡の義景館をイメージして作られたんでしょうか。では、義景館の門を見てみましょうか。
(↑福井県福井市の一乗谷朝倉史跡の義景館跡)
この義景館の門は戦国時代当時の門ではなく、江戸時代に建てられたものですが、土塁が小口の周辺だけ石垣になっているのも似ています。
(↑岐阜県飛騨市の江馬氏館跡の復元門)
門の前が土橋になっているのは、この江馬氏館からイメージをとったものと思えます。よく見ると門は江馬氏館の方が似ていますね。江馬氏館跡の復元門は、洛中洛外図屏風の門を参考に復元しているのですが、きっとこの「風林火山館」も同じなのでしょう。
門の近くにある御番所です。番屋ですね。「館を守備するために小人頭や足軽が詰めていた所」と説明版にはあります。その割には結構しっかりした建物ではないですか?まず第一に礎石建物ですね。番屋程度なら掘立柱建物じゃないですかね。しかも建物自体も総柱で簡易なものでもよかったのでは?と思います。いまいち考証が甘い?
大手門近くにある二階櫓。結構質素なつくりですね。それだけ戦国時代に近い感じが出ています。櫓の下が石垣になっていますが…、これはどうでしょうねえ。
風林火山館の主殿です。人が集まっていると主殿っぽくないですね。主殿の中は入れませんでした。その代わり武田24将展とかいって、武将の絵が飾ってありました。
主殿の前にある馬屋です。馬がいなくて人が座っていると、全く雰囲気がでませんね…。
唐門です。門の向こうには長屋があるみたいですが、残念ながら行けないようです。説明版には「唐門 屋根に独特の唐破風がある門。平安時代後期に生まれたデザイン。」と書かれている。反対側の堀重門に進みます。
堀重門です。館内はこのような門で仕切られていました。それは館内の表である「ハレの空間」(来客や宴会などの晴れ舞台)と、「ケの空間」(食事や睡眠など日常生活を送るための空間)に分けるためである。だからこそ、門に屋根がない。槍を持った移動などでは邪魔になるからであり防御性というより、空間の仕切という役割なのである。
隅櫓です。土台に石垣がないのが戦国時代っぽくていいですね。築地塀と合わせてとても戦国の雰囲気がでています。これがセット?という感じさえします。
的場です。弓矢の練習場が館内にあり、軍事訓練をこのようなものを使って行われたことがわかります。単なる的より、このような土壁の方が何度もつかえてエコ&経済的ですね。これも戦国時代の知恵なんですね。
館の外側には、仕度場がありますが、多くはテナントになっており、お土産物屋や飲食店になっていました。
このように、戦国の雰囲気を味わえる「風林火山館」ですが、残念ながら2008年12月に休館となり、2009年3月に正式に閉館となりました。大河ドラマが終ったことで見学客の減少、それに伴いテナントの撤退という問題があったようです(ウィキペディアより)。現在は撮影時のためにまだ施設はありますが、それも2011年の土地の貸借が終了した後は取り壊される模様。時代劇のセットの維持費って大変なんですね。
太秦映画村や日光江戸村は観光として成り立ってるからこそ、セットが残されているんでしょうか。戦国時代のオープンセットテーマパークがどこかに開園しないかな…なんて思ったりします。