ドラマ「美丘-君がいた日々-」
結論は見えていましたよね。「決して乗り越えることのできない死」そして「生と死への葛藤」。ドラマにはありきたりのストーリーであって、決して目新しいものではない。
しかし、人の人生は決して「ありふれた」ものではない。人生は1つとしての同じストーリーはない。ありきたりのストーリーであっても美丘の人生は、主人公「美丘」だけの2つとないオリジナル。平凡な幸せ…平凡な死…。一人一人にオリジナルのストーリーがある。第二次世界大戦で亡くなった何百万人の死。数字で表せない、一人一人の人生がある。
美丘のドラマ視聴率は10%ちょっとほど。決して高い数字ではない。このドラマも「ありきたりのドラマ」と見てしまえば、何も目新しさを感じることがなく見終わるかもしれない。
しかし、ドラマではよくある話でも、このような実体験はめったにないはず。これが実体験なら、不治の病に侵された本人も、周囲もきっと心の葛藤で悩み、傷つき…また幸せを感じることだろう。
ドラマ中、美丘の恋人・太一は「ずっと美丘のそばにいる」と言ったが、それは難しい。作中では、途中で美丘の意識や記憶が戻ったが、現実はそううまくいかない場合の方が多い。そういう時、その現実を受け入れられなくて離れてしまう人もいるだろう。実際に離れないまでも「そばにいられない」ほどの葛藤を抱えるのは人間として当然かも。そして、死後。いつまで美丘のことを思っているんだろう。作中、美丘がボイスレコーダーで「太一君の将来が私に見えるよ。素敵な人と出会い、結婚し、幸せな家庭を築く。」と予想している。美丘には、きっとそうなってほしい、という願望だったのかもしれないが、結果的に予想は当たることも多いと思う。人間は良くも悪くも忘れていく生き物。だからこそ、新たな出会いに挑戦する。そうなると、新たな出会いも大切にするので、「ずっと美丘のそばにいる」というのは太一が結婚したら叶えられなくなる。だって家族にとって、いつまでも「亡くなった美丘」が一番好き。では困るから。だからこそ、私ならこう言いたい。「ずっと美丘を大切にするね。」大切に思うのは自分の心。だから、何物にも邪魔されない。新しい家族が大切でも、亡くなった人の大切に思う気持ちは尊いものだと思う。
こんなことを真剣に考えるのは、私には実体験があるから。それは自分の娘猫の「たっち」の死。決して治ることのない「扁平上皮ガン」。みるみる内に体の病が進行し、目に見える傷が増えていく。家族として何もできない悔しさ。傷を見る辛さ。いっそのこと安楽死させたいと考えてしまうほどの病気の進行…しかし、生きる望みと、現在生きていることへの僅かな幸せ…。
身近な動物の死では誰もが感じる葛藤かもしれない。きっと他人からすれば、私の娘猫の死などありふれたストーリーにしか過ぎない。だけど、私の人生にとってはとってもとっても大きな出来事だった。たっちの病気進行中は、その他のことをよく覚えていないほど停滞していた。そして、死を迎えた後の周りの者の再出発。人間の悲しみは永遠には続かない。新しい猫「めい」の登場、新しい生活が新しい出会いが待っており、忙しい日々。
一方で私の携帯の待ち受けはいまでも「たっち」。忘れられない思い出。だからこそ、ずっと大切にしたい。我が娘猫「たっち」のこと。
いいドラマだったドラマ「美丘-君がいた日々-」。
結論は見えていましたよね。「決して乗り越えることのできない死」そして「生と死への葛藤」。ドラマにはありきたりのストーリーであって、決して目新しいものではない。
しかし、人の人生は決して「ありふれた」ものではない。人生は1つとしての同じストーリーはない。ありきたりのストーリーであっても美丘の人生は、主人公「美丘」だけの2つとないオリジナル。平凡な幸せ…平凡な死…。一人一人にオリジナルのストーリーがある。第二次世界大戦で亡くなった何百万人の死。数字で表せない、一人一人の人生がある。
美丘のドラマ視聴率は10%ちょっとほど。決して高い数字ではない。このドラマも「ありきたりのドラマ」と見てしまえば、何も目新しさを感じることがなく見終わるかもしれない。
しかし、ドラマではよくある話でも、このような実体験はめったにないはず。これが実体験なら、不治の病に侵された本人も、周囲もきっと心の葛藤で悩み、傷つき…また幸せを感じることだろう。
ドラマ中、美丘の恋人・太一は「ずっと美丘のそばにいる」と言ったが、それは難しい。作中では、途中で美丘の意識や記憶が戻ったが、現実はそううまくいかない場合の方が多い。そういう時、その現実を受け入れられなくて離れてしまう人もいるだろう。実際に離れないまでも「そばにいられない」ほどの葛藤を抱えるのは人間として当然かも。そして、死後。いつまで美丘のことを思っているんだろう。作中、美丘がボイスレコーダーで「太一君の将来が私に見えるよ。素敵な人と出会い、結婚し、幸せな家庭を築く。」と予想している。美丘には、きっとそうなってほしい、という願望だったのかもしれないが、結果的に予想は当たることも多いと思う。人間は良くも悪くも忘れていく生き物。だからこそ、新たな出会いに挑戦する。そうなると、新たな出会いも大切にするので、「ずっと美丘のそばにいる」というのは太一が結婚したら叶えられなくなる。だって家族にとって、いつまでも「亡くなった美丘」が一番好き。では困るから。だからこそ、私ならこう言いたい。「ずっと美丘を大切にするね。」大切に思うのは自分の心。だから、何物にも邪魔されない。新しい家族が大切でも、亡くなった人の大切に思う気持ちは尊いものだと思う。
こんなことを真剣に考えるのは、私には実体験があるから。それは自分の娘猫の「たっち」の死。決して治ることのない「扁平上皮ガン」。みるみる内に体の病が進行し、目に見える傷が増えていく。家族として何もできない悔しさ。傷を見る辛さ。いっそのこと安楽死させたいと考えてしまうほどの病気の進行…しかし、生きる望みと、現在生きていることへの僅かな幸せ…。
身近な動物の死では誰もが感じる葛藤かもしれない。きっと他人からすれば、私の娘猫の死などありふれたストーリーにしか過ぎない。だけど、私の人生にとってはとってもとっても大きな出来事だった。たっちの病気進行中は、その他のことをよく覚えていないほど停滞していた。そして、死を迎えた後の周りの者の再出発。人間の悲しみは永遠には続かない。新しい猫「めい」の登場、新しい生活が新しい出会いが待っており、忙しい日々。
一方で私の携帯の待ち受けはいまでも「たっち」。忘れられない思い出。だからこそ、ずっと大切にしたい。我が娘猫「たっち」のこと。
いいドラマだったドラマ「美丘-君がいた日々-」。