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憧憬の地ブルターニュ・・・の牛

久々に家族で絵画展に行ってきた(6/10滑り込み?)、「憧憬の地ブルターニュ」@国立西洋美術館。

チケットにも刷られているゴーガンがメインだったような。
でもうちでは彼の作品はそんなに好かれていないのだった^^;

ので、つらつら見ているうちに気が付いたのが1つ。
ゴーガンの初期の頃って、あんまりぱっとしない(ごめーん)けど、1888年の絵と1889年の間でガラっと作風が変わっている。
1889年の絵には「タヒチの女たち」にあるような特徴がある気がした。
その1年の間に何があった?って思って、後で確認したら、ゴッホと同居して、それが破綻した(ゴッホの耳落とし事件)頃だった・・・orz
それが直接影響したのかどうかわからないけど、無関係ではなかったかと。

個人的にはA.ドーシェの「樹と流れ」・・・川岸に松の木が生えてる風景画
金山平三の「林檎の下」・・・緑が鮮やか
が好きかな。

1点凄く謎な展示があった。
足立源一郎という人の牛の習作。
それが習作も習作、ほとんど形になってない。かろうじて1つ全身図になった小さな絵があったけど、全然牛に見えず^^;
おとんがぼそっと「牛になってない(オカピかよ)」なんて言うもんだから、笑いのツボにハマってしまい、その後にあった牛の絵
・・・別人が描いた作品だけど、それも首が長くてなんか変、が目に入り、「あ!ここにも・・・」になって苦しかった(もしかしてマニエリスム!?)。
足立さんの絵は他に展示されておらず、この習作のみ。
これも後で調べたけど、足立さんは山岳風景を得意とした方らしい。
なので、なぜわざわざあれだけ展示されていたのかが全く分からず・・・

最後の方でまた2頭の牛がモチーフの絵があって、そこにはとても褒めた解説が付いていて(そういう解説は全ての絵にあるわけではなく)
なんだか「牛の正しい絵はこれですよ」って言っているみたいで、さらに足立氏の立場を考えてしまったのだった。
(今回の選考者と過去に何かあったんですかね?)

冒頭の写真
「海辺に立つブルターニュの少女たち」
少女たちは「だれ?このおっさん」「何見てんだよ」
と言っているように見えて、まあ、見慣れないゴーガンが異質だったんだろうな、と思ったけど
彼は晩年近く、児童虐待になりそうなことをしていたから、彼女達からはもっと胡散臭く見えていたのかもしれない・・・。
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