ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『隅田川』について(その4)

2007-05-05 23:55:40 | 能楽
ワキツレは舞台常座に立って斜め後ろ、鏡板の方へ向いて「末も東の旅衣」と謡い出します。「次第」の囃子で登場した人物が一人の場合、シテ・ツレ・ワキ・ワキツレの役柄の別なく必ずこのように鏡板の方へ向かって謡い出すのですが、これはなぜでしょうね~。「鏡板に描かれた影向の松に向かって謡うのだ」とか、古来いろいろな解釈が試みられてきましたが、鏡板を拝して謡うならばこの型が「次第」に限られるのは説明がつかないし、ぬえは、単純に多種ある登場の囃子の中で「次第」で「一人で登場した役」が謡う、という限定条件をつけて演出の多様性を狙った、というのが実情ではないかと考えますけれども。。それでも“後ろを向いて謡う”というのは演出としてはかなり不利なはずだから、わざわざその方式を採ったのには何らかの意味はあるのかも知れません。これはまだ結論が出ていない能の“ナゾ”の一つですね。

ワキツレが「次第」を謡い終わると、すぐさま地謡が拍子に合わせず低い調子で、いま謡われた文句を復唱します。これを「地取(じとり)」と言います。「次第」で謡われる楽形は「七・五、七・五、七・五」の三句で、最初の二句は同じ文句の繰り返し、というのが原則です。地謡はこのうち初めの繰り返しを謡わずに、二句だけを謡い、また役がツヨ吟なら地取もツヨ吟、と吟を合わせて謡います。

ところが、これにもいろいろと約束事や例外があるのです。

まずワキ方が次第を謡う場合、お流儀によって文句が微妙に異なります。その際は地謡は、当然の事ですが、実際にいま舞台で謡われた文句で地取を謡います。地謡は通常自分の、つまりシテ方の謡本で「次第」の文句を覚えてきていますので、実演の際にはあらかじめ楽屋でおワキに文句の異同を聞いておかねばなりません。実際には、どのお流儀だとどのように文句が変わるかは、もうすでに地謡のデータベースに載っていて、異同がある場合は小さな字でそれぞれの謡本に書き入れてあったりしますけれども。

それでも まれには地謡の誰も文句の異同を知らず、しかも楽屋の中でおワキ方に問い合わせもせずに舞台に出てしまった、という事もないわけではありませんで。。(^◇^;) その時はおワキなりワキツレが舞台で謡い出したその文句を聞いて地謡一同ビックリ。冷や汗タラ~リという事になってしまいます。もちろん地取を謡わないワケにはいきませんから、みんな必死になってその場で謡われる文句を暗記して、法則に則って瞬間的に地取に翻訳して謡うわけです。「末も東の~」(スエモアズマノ。それから!?)「旅衣」(タビゴロモか。スエモアズマノタビゴロモ。と。)「末も東の旅衣」(次は?次は?)「日も遙々の心かな」(ヒモハルバルノココロカナ。ヒモハルバルノ。。七文字だな。ココロカナ。。五文字!例外か!よしわかった。あれ?初句は何て謡ったっけ。。(>_<)

ときおり「次第」の初句と繰り返しの二句目の文句が微妙に異なる場合があります。『清経』などはその例で、初句は「八重の汐路の浦の波」なのに、二句目は「八重の汐路の浦波」。「の」の一字が二句目にはないのです。この場合は地取は二句目の方の文句で謡います。

それから、先ほど役が謡った吟に合わせて地取を謡う、と言いましたが、『葵上』などの場合はシテは「次第」を初めはヨワ吟で謡い出すのに、二句目の途中からツヨ吟に吟が変わります。この時には地取は最初に謡い出された吟、つまり『葵上』の場合はヨワ吟で謡うのです。

さらに、最後の三句目が重要で、この文句が定型をはずれた「八・五」調である場合があるのです。その場合、地取は初句と三句目を休みナシに連続して謡うことになっています。

例)三句目が定型通り「七・五」であれば地取は
末も東の旅衣――。 日も遙々の心かーーなーー。
  三句目が定型とは違う「八・五」であれば、
東遊びの駿河舞この時や初めなるらーーんーー。

前述の『清経』は初句と二句目の文句に異同があり、さらに三句目は定型をはずれた「八・四」と、二重に例外があるという珍しい能です。

さらにさらに。最後の三句目の文句は「七・五」が定型、と書きましたが、実際には「七・四」である事の方が多いと思います。そして、ぬえの師家では最後の句が「五」であるか「四」であるか、によって、これまた地取の謡い方を変えていました。

いわく「四」であれば「一字落チ」で謡い、その前の字を引く、というやり方で、これは上記に書いた通りです。「この時や初めなるらーー(引く)んーー(一字落チに謡う)」

ところがこれが「五」であった場合は「二字落チ」に謡って、その直前の引キはナシになります。このやり方では『隅田川』のワキツレの「次第」につける地取は上記の「日も遙々の心かーー(引く)なーー(一字落チ)」ではなく、「日も遙々の心かーーーー(ここで二字落チ)なーー(トメなので多少引く)」となるのです。

この「二字落チ」の謡い方は、ぬえが聞いたところでは、かつてはこれが本来のやり方で、どのお家でもこの謡い方だったそうです。ところが段々と変化してきて、「一字落チ」に統一されてしまい、ぬえの師家だけがずっとこの謡い方を残していたのだそうです。だからかつては地謡が他家の能楽師との混成部隊になると、地取が合わないのです。で、研能会の同門の誰かが「うちではトメが五文字の場合は二字落チになりまして。。」と説明するのです。他門の方はたいがい驚かれます。「えっ、そうなの!?」

ところが、ところが。この謡い方が本来であったとしても、他家との交流がある度に謡い方が合わずに調整するのはやはり不都合で、ぬえの師家でもある時に決断をされました。忘れもしない二十一世紀になった2001年の正月二日、謡初めのときに師家から門下に通達があり、今後は「二字落チ」を廃止して他家と同様に「一字落チ」に統一する、と定められました。ちょっとした事だけれど、歴史が変わる瞬間を見届けた、と、なんだか ぬえには感慨がありました。