ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

【驚異の法力】増上寺薪能

2007-05-27 03:38:34 | 能楽
今日は恒例の東京・芝の名刹・増上寺での薪能に出勤してきました。

夕暮れ時、次第に周囲に闇が迫る頃、会場の観客席の背後から覆い被さるように屹立する東京タワーが、舞台からはまぶしいぐらいに輝き始めます。一方舞台は重文の三解脱門を背にしていて、ここで行われる薪能は本当に恵まれた環境の中で行われる贅沢な催し。ぬえも毎年楽しみにしております。

都内で最も古い建造物であるこの三解脱門は、徳川家の菩提寺でありながら、東照宮とは正反対に装飾はほとんどない質実剛健で豪壮な門。かつてはこの周辺一帯はすべて増上寺の境内で、最寄り駅である地下鉄の「大門駅」も参道にあった門に由来しています(現在はコンクリート造りの申し訳程度の門が商店の中にちょこんと建っていて、ドライバーに邪魔者扱いされていますが。。)し、東京タワーの敷地もかつては増上寺の境内の範囲内。明治時代には大政奉還、廃仏毀釈、そのうえ火災にも見舞われ、さらに戦争時には空襲にも遭いながら、よくまあここまでの寺域を残せたものだと思います。ことに戦争でも三解脱門が焼けなかったのは幸いでした。

増上寺の境内には今でも六人の将軍が眠り、また多数の将軍正室・側室・子女が同じく埋葬されています。現在はいくつかの宝塔に安置されていますが、かつてはそれぞれが壮麗な霊屋の中に安置されていました。戦災や火災によってこれらは悉く失われましたが、そのうちのいくつかは早い時期に増上寺から移築されて現在に残されています。そしてその一つは鎌倉・建長寺にも遷されました。建長寺に現存する仏殿と、そして今回の巨福能の会場となる方丈の前に威容を誇る唐門は、ともに二代将軍・秀忠の母の霊廟を当地に移したものと考えられています。

さて今年で26年目となる増上寺薪能ですが、前日のあの大雨からうって変わった晴天の下で行われました。雨が上がったのはよかったのですが、ところが暑いこと暑いこと。ぬえは冗談でお坊さんの一人に「法力でもうちょっと涼しくして頂けませんかねえ」と聞いたところ「昨日の雨を止めるのに使い果たしてしまいました」ですって。お客さまも大勢見えられて、盛況のうちに薪能は開催されました。

しかしじつはこの増上寺薪能、本当に天候を左右できるらしい。。

もう十数年も以前になりますが、それまで毎年好天に恵まれていた増上寺薪能でしたが、その年に限って前日の天気予報では当日の降雨確率が50%と言われてしまって さあ大変。雨天の対策はそれまでの恵まれた天候の経験から万全とは言えず、前日にさっそく増上寺において ぬえの師家と増上寺の薪能責任者とが集まり、法主さまの御前で対策会議を開きました。ああでもない、こうでもない、ああ困った。。そのときまで押し黙っておられた法主さまが、そのとき口を開きました。

「わかりました。明日は晴れにしましょう」

一同「えええっ!!???」と後ずさりしました。。のですが、翌日の薪能は見事な晴天になったのです。(実話)

お、恐るべし増上寺の法力。。