ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『隅田川』について(その8)

2007-05-19 07:18:03 | 能楽
翔のあと「サシ」となって、はじめてこのシテの素性が明かされます。彼女は都の北白川の者で、一人っ子の我が子を人商人にさらわれ、その行方をおぼろげに東国と聞いてより心乱れて、我が子のあとを尋ねて迷い出ているのです。北白川は今でも京都に地名が残っていて、ちょうど銀閣寺の周辺にあたります。都といってもかなり辺境にあたる場所で、人目を避けて人商人が路地裏のようなところで一人で遊ぶ子どもを誘拐する、という事が実際に横行したであろうと想像されます。

狂女物のシテは華やかに狂い出て登場するのですが、それだけでは観客には誰が登場したのかわからず、このように登場して翔などで少し動いた後に自分の素性を述べる「サシ」のような部分が、ほぼ必ず設定されています。しかしこのサシは、そのように劇の進行の中で登場人物が観客に自己紹介をするためばかりにあるのではありません。

能の中で狂女という登場人物は、そのほかの登場人物、すなわちワキなどからそう思われているような「きちがい女」ではない事が、このサシで観客に示されます。能の狂女は、愛する者と図らずも引き離されて、その者への強い執着や喪失感から愛する人を追う哀れな女性です。それは気が狂ったのではなくて、失った人を追い求めても なかなか果たせず、その思慕が高揚したとき、爆発となって彼女自身が自分の心をコントロールできなくなるのです。その高潮が引いたとき、再び彼女は涙に暮れる。このサシでもそのトメ「そなたとばかり思い子の跡を尋ねて迷ふなり」というところでシテはシオリをします。

このように能の狂女は、能の中では感情を爆発させてみたり、また一方、自分の身に降りかかった不幸を嘆いて涙する、というような、両極端な感情の間を常に揺れ動いています。

サシに続く地謡の下歌「千里を行くも親心。子を忘れぬと聞くものを」と正面へ三足ツメます。直前のシオリの際に、気持ちが内省に傾いた事を示すために二足下がったので、ここで立ち位置を直す、という意味もありますし、同時に「子を忘れぬ」つまり「自分は子どもを探す事を諦めたりはしない」という強い決意を表す型でもあるでしょう。

その次の上歌はシテ狂女の長い旅の様子と、そして今日、彼女がこの隅田川の川畔に到着する場面です。「契り仮なる一つ世の」と拍子一つ踏み、「その中をだに添ひもせで」と右ウケして遠くを見やり、「此処や彼処に」と正面に直して出、「四鳥の別れこれなれや」とヒラキながら面を伏せて心持ちあり、「武蔵の国と下総の中にある」と右ウケて見やって三足出、すぐに左に振り返って立ち帰り「隅田川にも着きにけり」と足を止めます。これにて川の畔に到着した心で、ワキの方へ向き「なうなう我をも舟に乗せて賜り候へ」と声を掛けます。

これからのシテとワキとの問答は、最初から『伊勢物語』九段が下敷きとなっていて、「面白く狂え」と要求するワキに対してシテは「隅田川の渡守ならば「日も暮れぬ、舟に乗れ」と言うべきなのに」と応じたり、水面に遊ぶ白い鳥について尋ねたシテがその名をワキに問うて「鴎」と教えられ、逆に「隅田川で白い鳥を問われたならば、なぜそれを都鳥と答えないの」と言い返されたり。少なくとも「都鳥」に関しては、こりゃ このシテは確信犯的にワキに質問してるな。。

ちなみに、今さらですが、これが『伊勢』九段の中の隅田川の部分です。

猶行き行きて、武蔵の国と下総の国との中に、いと大きなる河あり、それをすみだ河といふ。その河のほとりにむれゐて思ひやれば、限りなくとをくも来にけるかなとわびあへるに、渡守、「はや舟に乗れ。日も暮れぬ」といふに、乗りて渡らんとするに、みな人物わびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。さるおりしも、白き鳥の嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水のうへに遊びつゝ魚をくふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡守に問ひければ、「これなん宮こ鳥」といふを聞きて、

  名にし負はばいざ事問はむ宮こ鳥わが思ふ人はありやなしやと

とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり。