ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『隅田川』について(その15)

2007-05-30 00:55:21 | 能楽
この隅田川の河畔で捨てられ、そのまま息絶えた幼子。。つまりは我が子の死がワキによって語られた時、
はじめてシテは悲しみを抑えきれずにシオリをします。このところ、下掛り宝生流のおワキの詞章では「ただ返す返すも母上こそ。何より以つて恋しく候へとて。弱りたる息の 下にて。念仏四五遍唱へ。終に終はつて候。」と、我が子が最期の時まで母親を思っていた、と語られた直後にその死を知らされる、まことに劇的な「語リ」となっています。

シテのシオリというのは大概は左手でするもので、ツレは右手でシオリます。こういうところに、何気なくシテとツレとの差がつけられているのですね。もっとも直面の武士役の場合はシテも右手でシオリをします。右手には普通は扇を持っている事が多いので、その場合は扇を上に折り返して持ってシオリをします。ところが『隅田川』のこの場面では右手でシオリをするのです。これは両手で笠を前に支えて持っているためで、本来はシテなので左手でシオリたいところですが、その左手は笠の内側に入ってしまっています。この左手で笠を支え持っているので左手でシオリをするのは不可能になり、笠の縁を持っている右手でシオリをすることになります。能ではいろいろな約束事があって、ややもするとそれを守る事をもって「伝統」のように言われる事も多いのですが、実際には不可抗力の前の例外もたくさんありますね。こういうところを見ると、なんだか先人の困った顔も、息吹も ぬえには身近に感じられて嬉しかったりします。

ところでこのシオリは大変難しいですね。シオリというのは基本的に二度するもので、二度目を「シオリ返シ」と呼ぶのですが、一度目のシオリに万感の思いがなければならないし、やりすぎるとかえって興ざめになったりします。おワキの「終に終はつて候」とシテのシオリとのタイミング勝負、という感があります。そしてシオリ返シは、これは心静かに、「さめざめ」という感じで掌を当てるのだと、この曲のこの場面に限らず ぬえは考えていて、そうなると一度目の数倍の時間をかけてシオリ返シをしたいところです。実際には次の型との関係で、なかなか静かにシオリ返シはできない場合が多いですが、『隅田川』ではシテの思いとは無関係にそのほかの登場人物の間で会話が交わされていたりして、意外にシオリ返シは楽だったりします。

さて「語リ」のうちに舟は対岸に到着し、船頭は乗客に下船を促します。ワキツレ、つまり多くの乗客たちもワキの「語リ」の内容に心動かされて大念仏に加わる事を申し出ます。ここでワキツレは立ち上がって脇座に着座しますが、すなわち ひと足先に大念仏の場に行ってしまった事を表していて、これ以後ワキツレはこの能の事件のなりゆきに関係しません。

一方、シテはこの時もシオリの手を面に当てたままで、ここでワキはシテを見て「いかに狂女。舟が着きて候とうとう上がり候へ」といっぺんは声を掛けます。乗客が下船したあとに、シテだけが身じろぎもせずに舟の中にただ一人残っているのです。このところ、福王流のおワキは「いかにこれなる狂女。何とて舟よりは下りぬぞ急いであがり候へ」と少々腹立たしげな詞章ですね。どちらのお流儀のおワキでもシテのことを「狂女」と呼んでいますから、この時点ではまだ船頭はシテの人格は認めていても、まだその理解者ではありません。ところが「狂女」という言葉は、この文句を最後にこれ以後ワキの口から出ることはないのです。舟に残ったシテが泣いているのを見た船頭は、「あら優しや。今の物語りに聞き入り侯ひて落涙し候よ。とうとう上がり候ヘ」とやさしく声を掛けます。ほかの乗客と同じく、哀れな幼子の「運命」に心動かされ、それのみならず涙を見せるシテの姿を見て、ここで初めてワキはシテの理解者となるのでしょう。

ところが。。シテはなお舟より下りずに、ワキに向かっていまの物語の内容を確かめる問いを発するのです。