ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

建長寺探訪記(その5)

2007-05-18 00:51:23 | 能楽
翌日、二日酔いで頭が痛い中長谷の宿を出て、あたり近い成就院と極楽寺に参詣しました。。が、失礼ながらここには見るべきものはありませんでした。ここに限らず、鎌倉の社寺というのは伽藍の結構とか仏像の表情やしぐさを見るのではなくて、境内や参道を含んだ雰囲気を愛でるべきなのではないでしょうか。京都や奈良と比べて、名刹とされる社寺のあまりにも我々参詣者にとって身近な佇まい。これは。。鎌倉を散策しながらずっと ぬえは気になっていたのですが、鎌倉という場所は、どうも ぬえには古い時代の息吹がもう一つ感じられないのです。幕末まで連綿と続く武家の政治が始まったその嚆矢の土地でありながら、その時代の雰囲気を伝えるものは意外に少なくて、ぬえが目にするのは江戸時代もかなり遅くなってからの時代のものが多かったように思います。東京に住んでいてさえ、ここかしこに感じる家光さんの影響さえ、ここではあまり感じる事がありませんでした。(家光さん=三代将軍さん。それほど東京はじめ関東全域では彼の熱意が残っています)

これは失礼も顧みず ぬえが想像するところですが、鎌倉という土地は、その栄華の時代とはうらはらに、おそらく長い歴史の中でかなり長い期間さびれて、放置されていたのではなかろうか。それはまたおそらく、我々が想像するよりもずっと根本的な意味で、誤解を恐れずに極言すれば壊滅的な状態にあったのではなかろうか、と ぬえには思えました。

しかし、ここには京都や奈良にはない、もっと落ち着いた風情があります。円覚寺ではリスが境内のあちこちを闊歩し、時宗の廟所を守る上品な おばあちゃんは、リスが仏さんへのお供え物を失敬して茅葺きの屋根に隠すのよ、と言っておられました。ぬえが、朝早く家を出たら意外に電車が空いていて楽に到着しました、と このおばあちゃんに報告すると、良い時間に来たわね、この時間が一番、緑も空も綺麗なのよ、と教えてくださいました。

なんだか近所のお寺の、顔見知りの おばあちゃんと話しているみたい。ここが鎌倉の良さなんじゃないかなあ。良い意味で「田舎」。観光客は多くても人情だけは ちゃあんと残っている。海もある。山もある。小さなお寺が、住宅街の中やら切り通しの向こうに、ほんの歩いて行ける距離にぽつん、ぽつんと残されている。茅葺きの山門の傍らではニャンコが昼寝。ああ、気持ち良さそう。ぬえもそのお隣でお昼寝していいですか?



成就院への参道。もう少しで一面が紫陽花で覆いつくされる。

それでも、鎌倉の社寺の中では、やはり建長寺は別格に大きく、格式がありました。大伽藍と呼ぶのに躊躇がない偉容には ぬえも感嘆。ここでシテを勤めさせて頂けるのかあ。。思い出してもまたしても緊張してしまいます。当日、胴着の袖に仕込むためのお守りも頂いたし、ご祈祷では演能成就・芸道上達のお札も頂きました。当日が無事に勤められますように。。

最後に ぬえは江ノ電で江ノ島に向かい、途中 腰越で道草を食って(腰越は兄・頼朝の勘気の釈明に来た義経が、鎌倉を目前にしながら入れられずに逗留した場所。また近代では太宰治が心中未遂事件を起こした場所でもありますな。。)、それから江ノ島弁財天社に参詣しました。



  江ノ島神社

ここ江ノ島は山の上に社殿があります。「エスカー」という、ひねりのない名前のエスカレーターも頂上まで続いているんだけれど、もちろん ぬえはひたすら石段を上ります。。貧乏人はそんなブルジョアの乗り物に乗ってはイケナイのです。



  水族館の前、江ノ島海岸から見た江ノ島

そして最後に「新江ノ島水族館」で遊んで、東京に帰りました。昔の、小さい水族館しか知らない ぬえは、水族館がリニューアルしてから、この日はじめて訪れました。昔も「クラゲ」の展示が充実していたけれど、今もその姿勢は変わりませんね。イルカのショーはあまりレベルが高いとは言えませんでした。。

<今日のお題>

これでいいのか水族館の説明表示。(トロ。。上には干物。。)



                       【了】