ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『隅田川』について(その12)

2007-05-25 23:48:58 | 能楽
今日は師匠に『隅田川』のお稽古をつけて頂きました。二度目の『隅田川』ですが、たくさんご注意を受けてしまった。言われて納得した事も多く、もう少し自分の稽古をビデオを撮って研究すべきでした。また、地謡とは非常に齟齬があって、これは再度お地謡に参加をお願いして改めて稽古をする事にしました。今日はそのほかの時間は今日は一日中カンナと彫刻刀をふるって小道具を自作。またちょっと指を切っちゃった。。(今度は目立たないところに小さいキズだけど。。前回の地下鉄のエスカレーターで作ったキズは順調に回復中。。)

さて「狂イ」ですが、今回は「都鳥」と和歌について脱線してみます。

ここに現れる「げにや舟競ふ。。」というのは『万葉集』に見える大伴家持の歌「船競ふ堀江の川の水際に来居つつ鳴くは都鳥かも」(巻20、4462)をふまえたもので、じつはこの歌が日本の古典文学における「都鳥」の初出です(注=「舟競ふ」は多くの舟が行き来している様子のこと)。その後も都鳥の歌は多く詠まれているのですが、やはり『伊勢』の業平の歌「名にし負はばいざ言問はん都鳥。。」はインパクトがあったらしく、『伊勢』以後の歌には都鳥は「言問う」相手や、遠方で見て都を連想する鳥として描かれる事が多くなっているようです。

こととはばありのまにまにみやこ鳥都のことを我にきかせよ(『後拾遺和歌集』九・和泉式部)
ことゝはんはしとあしとはあかざりし わがすむかたのみやこどりかと(『十六夜日記』)
越の海にむれてゐるとも都鳥みやこの人そこひしかりける(『源順集』)

で、これまた『伊勢』を念頭においたであろう「都鳥+隅田川」というセットの歌も登場してきます。

すみだ川すむとしきゝしみやこ鳥 けふは雲井のうへに見るかな
にごりなき御代にあひみるすみだ川 すみける鳥の名をたづねつゝ(『古今著聞集』巻二十)
ことゝはむ鳥だに見えよすみだ川 都恋しと思ふゆふべに
思ふ人なき身なれども隅田川 名もむつましき都鳥哉(『廻国雑記』)

ちなみに『伊勢』の「都鳥」は今で言うユリカモメのことと考えられていて、それとは別に「ミヤコドリ」という鳥もいるのですが、『伊勢』に描かれている「都鳥」とは体の特徴も、習性も違うのだそうで。そして、ユリカモメは「都鳥」だ、ってんで、現在東京都の鳥に指定されています。それって違うだろ。そしてついでながら、東京の隅田川やその近辺にはいまも『伊勢』からつけられた地名が残っています。業平橋、言問橋。。さらに『隅田川』の最後の場面で現れる「浅茅が原」は、いまの浅草の北側に広がっていた人気のない荒れ地のことで、歌枕になっています。あ、あと、ぬえ家ではカモメを見たら「あ、都鳥だ」と言う約束になっている事を付言しておきます(いらないって)。

「それは東路」と脇座の方へ向きながら左手で遠くをサシ、その方角に出(ぬえの師家では左手はすぐに下ろす事になっています)、「これはまた」と右に振り返っていま来た方角へ向き(若干心持ち。こういう型の場合は普通はヒラキになるのですが、『隅田川』ではやや型を少なくして、その分シテの心情を心持ちで表すように作られていると思いますね。すぐに「隅田川の東まで」と常座に戻って「思えば限りなく」と脇正の方へ斜に向いて遠くを見ながら「遠くも来ぬるものかな」と三足ツメ。ここで左手を笠にやって見はるかす型をしてもよい事になっていて、これは良い型なので、ほとんどの演者はこちらのやり方を採っています。

「さりとては渡し守」とワキへ向き(型附には「ズイと向き」とあります)、「舟こぞりてせばくとも」と笹で左から右まで舟の全長を描いて「乗せさせ給へ渡し守」とワキの方へ出て、だいたい作物の前あたりを狙って下居、ワキを見上げてから「さりとては」と笹で右下を打ち「乗せて賜び給へ」と下から笹でワキの顔をサシ、静かに笹を下ろし、目を下げます。ここで笹を捨ててもよく(型附にはカルク捨てるも、とあり)、そういう演者も多いのですが、ぬえはやはり舟の中に乗っている姿には笹があった方が風情が良いと思い、前回も今回も笹を持ったまま乗船します。