ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『隅田川』について(その9)

2007-05-21 23:48:01 | 能楽
シテとワキの『伊勢物語』を下敷きにした問答は、「都鳥」をめぐって次第に高調してゆきます。東下りをした業平が京都に残した「わが思ふ人」を連想した「都鳥」。『隅田川』のシテは同じ鳥に我が子を重ね合わせます。その「都鳥」に対して業平と同じく「いざ事問はん」と我が子の行方を知らせて欲しいと願う哀れ。しかし、この問答に続いてシテが舞う、それこそこの曲で「翔」と並んでたった二度しかない派手(?)な型どころの「狂イ」では再びシテが我が子を失った事に対する狂おしさが表現されます。揺れ動いてますね~。

この「狂イ」という場面、地謡の「我もまた」~「さりとては乗せて賜び給へ」までを指すのですが、謡本などでは「狂イ」という表記は特にされていません。狂女物の能の中で、この場面のようにシテが熱狂する部分を習慣的に「狂イ」と称しているのですが、類例は多いものの、反面「狂イ」と称する場面がない曲もありますし、「~之段」のように「狂イ」とは別の呼び方をされる方が一般的な能もあります。甚だ曖昧な言葉ですね。

「狂イ」と呼ばれる場面がある曲には『花筐』(「恐ろしや~」)『柏崎』(「頼もしや~」)『土車』(「この歌の理に~」)『鳥追舟』(「打つ鼓~」)『水無月祓』(「水無月の~」)『弱法師』(「住吉の~」)などがあり、「狂イ」とは普通は言わないけれど同類のものには『芦刈』の「笠之段」とか『桜川』の「網之段」、『三井寺』の「鐘之段」、『籠太鼓』の「鼓之段」、『雲雀山』の「色々の~」などが挙げられるでしょう。一方『歌占』『富士太鼓』のキリ、『班女』の「舞アト」などは「狂イ」に近い雰囲気は持っているけれども独立した小段とは言えないので少々立場は微妙。反対に『百万』に至っては全編が「狂イ」と言っても良いほど舞尽くしの能です。

このような「狂イ」のほとんどは動きも多いので仕舞としても扱われ、上演の機会も多いです。しかし、これらの仕舞の中で『隅田川』の「狂イ」は別格に重く扱われています。上記で仕舞として舞われる曲の中で習物とされているのは僅かに『隅田川』と『弱法師』だけで、『弱法師』は杖で舞うので、これは前提条件からして習物の範疇です。『隅田川』は扇で舞う(能では笹)のですが、この仕舞が習物であるのは、『隅田川』という曲の重大性に拠るのです。観世流では「九番習」と言って、「重習」に準じて大切に扱われる曲が9曲、定められています。これに当てはまる曲の仕舞は習物の扱いとされる事になります。ちなみに「九番習」の曲は『隅田川』『定家』『遊行柳』『当麻』『藤戸』『鉢木』『大原御幸』『俊寛』『景清』で、そのうちの前半に挙げた5曲には仕舞があります。

それほど重く扱われる『隅田川』の「狂イ」ですが、能の型としてはあまり動きが激しいとも言えません。こういう曲は動き方よりもむしろ心持ちが難しいので、心を動きや姿勢に表現するのですから、そりゃ難しいに決まってる。。「九番習」の曲だから重く扱われる、のではなくて、こういう曲は謡も型も、シテの心情を表現するのが難しいから習物として大切にされているのですね。

それにしても。。ぬえはこの『隅田川』の「狂イ」は好きな場面です。そして意外に思われるかもしれませんが、曲のクライマックスのあの劇的な場面よりも、やはりこの「狂イ」の方が、ある意味において、ですが シテにとっては難易度が高いと言えると思います。やりがいもあるし、反面 この場面の処理に失敗すると台無しになってしまったりする。。そんな危うさもある場面なのだと思います。

「答へぬはうたて都鳥。鄙の鳥とや言ひてまし」。。