橋掛りに登場したシテは中年の女性の役で、面は「深井」、無紅鬘帯、摺箔、無紅縫箔、水衣という地味な装束です。手には笹(「狂い笹」とも呼ばれる狂女の象徴)を持ち、頭には前述のように笠をかぶっています。
この能のシテが中年の女性の役であるのは、失踪した我が子を探し求めるという同じ趣向の一連の能、『桜川』や『柏崎』『三井寺』『百万』などと共通する設定です。このような能の子方は小学生の低学年~中学年頃までが舞台上の効果もあがるのですが、そうなると、何となく母親ももっと若いはずなのではないかなあ、と思わないでもありませんが、やはり子を失った苦しみとか、深い内省を表現するのに「深井」の面は絶大な力を持っています。良い「深井」の面が持つ何ともいえない複雑で繊細な表情は、「若女」などの若い面では到底出せない深みがありますね。
もっとも、良い「若女」が持つ清潔感のある悲しみ(←変な言葉だ。。)とか、また場面により見せる色気は、これまた「深井」がかなうところではなく、こういうそれぞれの良い表情を見るとき、能が本当に細やかに女性を観察していると思います。男性の役の面にはここまで複雑なものはなかなか無いのです。面に限った話ではなく、ぬえは能には女性に対する「愛」が溢れているなあ、とずっと思ってきました。なんせ「三くだり半」で男性側から簡単に女性を離縁できた時代に、能は演者も男性なら曲を書いたのも男性。面を打ったのも男性なら、なんと観客もほぼ男性ばかり、という環境で600年を過ごしてきたのです。それなのにこれほど女性を描く能が多く、そしてまたその描き方がこれほど深いなんて。(この話は長くなるので詳細はまた次の機会に)
狂女物のシテが持つ笹の意味は、みなさん頭を悩ませるところでしょう。ぬえはこの笹は神楽にそのルーツを考えています。じつは現代でも神楽では笹は鈴や鉾、剣、榊などとともに持ち物として多用されていますし、殊に九州に多く残る「岩戸神楽」にそれは顕著に現れています。このルーツが『古事記』の天照大神の岩戸隠れのお話で、この時に天細女命が天香具山の葛を襷や髪飾りにし、同じく香具山の笹を手にして岩戸の前で舞を舞った、とされているので、おそらく能の「狂い笹」の原型はここにあるとみて間違いないでしょう。能では「狂う」という事と「神懸かる」という事はかなり深く重なっていて、これはたとえば『巻絹』で「十寸髪」の面を掛け、その詞章にも「不思議や祝詞の巫女物狂」「声のうちより狂い覚めて」とあったり、『歌占』に見える「この一曲を狂言すれば神気が添うて現なくなり候へども」という詞章からも、「狂気」の裏側にはどこかしら神の姿がイメージされていたのだと思います。もっとも『隅田川』のシテの狂女は、ワキをはじめ、舞台に登場しない「見物人」たちによって蔑まれています。神への畏怖というものはここには全く現れておらず、これはほかの狂女能でも同じ事が言えます。ルーツは神楽にありながら、能の「狂い笹」は「神懸かり」的な狂気とは おのずから一線が画されていて、これについてはまだ ぬえもいろいろと考えているところです。これまた今後の課題に。。
そして「笠」。『隅田川』のシテを特徴づける小道具です。もとより笠は男女を問わず長い旅の必需品なのですが、じつは我が子や恋人、夫を尋ねて長い旅をする狂女物の能の中で、シテが笠をかぶって登場するのは『隅田川』と『富士太鼓』ぐらいのものなのです。逆に旅の途中の人物、という設定が多いワキでは笠をかぶる頻度も高くはなりますが、それでも笠をかぶらない旅僧の役の方が圧倒的に多くて、旅をしている役だから笠をかぶる、と決められているわけでもなさそうです。反対に『鉄輪』の前シテは都から貴船神社に丑の刻詣に行く時にさえ笠をかぶっていますし、『鸚鵡小町』『卒都婆小町』『松虫』はそれよりももっと近所への外出であるようなのに笠をかぶっています。
この能のシテが中年の女性の役であるのは、失踪した我が子を探し求めるという同じ趣向の一連の能、『桜川』や『柏崎』『三井寺』『百万』などと共通する設定です。このような能の子方は小学生の低学年~中学年頃までが舞台上の効果もあがるのですが、そうなると、何となく母親ももっと若いはずなのではないかなあ、と思わないでもありませんが、やはり子を失った苦しみとか、深い内省を表現するのに「深井」の面は絶大な力を持っています。良い「深井」の面が持つ何ともいえない複雑で繊細な表情は、「若女」などの若い面では到底出せない深みがありますね。
もっとも、良い「若女」が持つ清潔感のある悲しみ(←変な言葉だ。。)とか、また場面により見せる色気は、これまた「深井」がかなうところではなく、こういうそれぞれの良い表情を見るとき、能が本当に細やかに女性を観察していると思います。男性の役の面にはここまで複雑なものはなかなか無いのです。面に限った話ではなく、ぬえは能には女性に対する「愛」が溢れているなあ、とずっと思ってきました。なんせ「三くだり半」で男性側から簡単に女性を離縁できた時代に、能は演者も男性なら曲を書いたのも男性。面を打ったのも男性なら、なんと観客もほぼ男性ばかり、という環境で600年を過ごしてきたのです。それなのにこれほど女性を描く能が多く、そしてまたその描き方がこれほど深いなんて。(この話は長くなるので詳細はまた次の機会に)
狂女物のシテが持つ笹の意味は、みなさん頭を悩ませるところでしょう。ぬえはこの笹は神楽にそのルーツを考えています。じつは現代でも神楽では笹は鈴や鉾、剣、榊などとともに持ち物として多用されていますし、殊に九州に多く残る「岩戸神楽」にそれは顕著に現れています。このルーツが『古事記』の天照大神の岩戸隠れのお話で、この時に天細女命が天香具山の葛を襷や髪飾りにし、同じく香具山の笹を手にして岩戸の前で舞を舞った、とされているので、おそらく能の「狂い笹」の原型はここにあるとみて間違いないでしょう。能では「狂う」という事と「神懸かる」という事はかなり深く重なっていて、これはたとえば『巻絹』で「十寸髪」の面を掛け、その詞章にも「不思議や祝詞の巫女物狂」「声のうちより狂い覚めて」とあったり、『歌占』に見える「この一曲を狂言すれば神気が添うて現なくなり候へども」という詞章からも、「狂気」の裏側にはどこかしら神の姿がイメージされていたのだと思います。もっとも『隅田川』のシテの狂女は、ワキをはじめ、舞台に登場しない「見物人」たちによって蔑まれています。神への畏怖というものはここには全く現れておらず、これはほかの狂女能でも同じ事が言えます。ルーツは神楽にありながら、能の「狂い笹」は「神懸かり」的な狂気とは おのずから一線が画されていて、これについてはまだ ぬえもいろいろと考えているところです。これまた今後の課題に。。
そして「笠」。『隅田川』のシテを特徴づける小道具です。もとより笠は男女を問わず長い旅の必需品なのですが、じつは我が子や恋人、夫を尋ねて長い旅をする狂女物の能の中で、シテが笠をかぶって登場するのは『隅田川』と『富士太鼓』ぐらいのものなのです。逆に旅の途中の人物、という設定が多いワキでは笠をかぶる頻度も高くはなりますが、それでも笠をかぶらない旅僧の役の方が圧倒的に多くて、旅をしている役だから笠をかぶる、と決められているわけでもなさそうです。反対に『鉄輪』の前シテは都から貴船神社に丑の刻詣に行く時にさえ笠をかぶっていますし、『鸚鵡小町』『卒都婆小町』『松虫』はそれよりももっと近所への外出であるようなのに笠をかぶっています。