ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『隅田川』について(その13)

2007-05-28 21:28:46 | 能楽
「狂イ」での懇願により、ついにシテはワキに乗船を許されます。のみならず、シテはワキによって「かかる優しき狂女こそ候はね」と言われていて、「都鳥」に端を発した問答の末に、シテはついにワキの信頼を勝ち取っています。はじめにシテを「狂女」呼ばわりしていたワキは、ここでシテの理解者となります。ワキは後にはシテに同情して、ついにはシテの良き協力者となっていく。この場面はそんなワキの心の転換点でもあります。

そしてワキに乗船を許されたシテは、ここで笠を脱ぎ、お客さまも初めてここでシテの面を見ることになります。先にも書いたように、この曲ではシテは能の中盤までずっと笠を脱がずにいて、これは能の中では例外的です。たとえば笠をかぶって登場したワキは、舞台に入って「次第」などを謡うと、すぐに笠を脱いで「これは何某にて候」と名宣リをします。それが終わると再び笠をかぶり、「道行」になる。そして「○○に着きにけり」と謡って目的地に到着すると笠をぬいで、それからその能の中の事件が始まるのです。

つまり笠は、これをかぶった役の者が旅のさなかにいる事を示していて、「道行」を謡って目的地に到着してから先は不要となり、さらに言えばその能の中で起こる事件に対してワキが対応するには邪魔な小道具となるのです。そのため『雲林院』や『清経』などいくつかの能では「道行」が済むとワキは笠を後見座に置いてしまって、後見がそれを片づけます。もっとも、『鉢木』のようにワキが再び旅に出る体で退場する場合は笠はずっと携えていますし、『望月』や『放下僧』のように素性を知られたくないワキが顔を隠すためにずっと笠を脱がない場合もありますが、これらは笠を残す意図がはっきり観客にわかるので、『隅田川』の笠とは別に考えるべきでしょう。

『隅田川』のシテがずっと笠を脱がないのは、観客に不安感を与えるためだ、と ぬえは考えます。やがて訪れる悲劇の結末を予期させる、そのために作者はわざとシテに笠を脱がせないのです。しかしまあ。。笠を脱がないのは演者にも不安を与えます。。かぶり方が悪いと、ヘタをすればまったく前方が見えなくなってしまうのです。これは怖い。もっとも、そうならないように演者もそれぞれ独自の工夫を笠に凝らしたりしています。ぬえも笠に仕掛けを施しますよ。どうやるかは企業秘密ですけれども。(^◇^;)

さてシテはここで笠を脱ぎますが、これは乗船を許してくれた船頭に対する礼儀のようなものかも知れませんが、もう一つ、この能では大きな意味を持っています。つまり、これから先は面で演技をするのです。舟が隅田川に滑り出したとたん、ワキツレが対岸に人が集まっているのを発見して船頭に不審します。そして。。問われた船頭は世にも恐ろしい物語を始めるのです。その物語が、まさに自分の身にふりかかるとは思いも寄らないシテ。しかもこの恐ろしい事実関係がわかったシテは、それでも身動きすらできないのです。舞台上ではシテとワキツレの二人だけが客として舟に乗っているけれども、舟には狂女を囃し立てていた人々も同船しており、「狂イ」の中で「舟こぞりて狭くとも、乗せさせ給へ渡守」という詞章があるので船中は混雑を極めているようです。物理的に身動きもできなかったでしょうが、さらにシテは乗船の際に船頭から「大事の渡りにて候ほどに、構へて船中にてものに狂ひ候な」と念を押されているのです。。

このワキの「語リ」は、ワキ方としても習いとして大切にされています。今回の『隅田川』ではおワキは下掛り宝生流の方ですが、このお流儀の「語リ」は詞章といい、複雑な技巧といい、じつに魅力的ですね。以下、その本文を掲出しておきます。

「さても、去年三月十五日。や、しかも今日にて候ひしよ。都の人とて年十歳ばかりなる 幼き者を人商人奥へ連れて下り候が。この人習はぬ旅の疲れにや。路次より以つての外に違例し。この川岸にひれ伏し候ひしを。のうなんぼう世には、不得心なる者の候ひけるぞ。 今を限りと見えたる幼き人をば捨ておき。商人は奥へ下つて候。さりとも、さりともと思ひ しかども。かの人ただ弱りに弱り。既に末期に及び候ほどに。あまりに痛はしく存じ、故郷を尋ねて候へば。今は何をか包み参らせ候べき、われは都北白河に、吉田の某と申しし人の ただ一子にて候。わが名は梅若丸、生年十二歳になり候。父には遅れ。母一人に添ひ参らせ 候を。人商人これまで連れて下り候。われ空しくなりて候はば。この路次の土中に築き籠めて賜はり候へ。それをいかにと申すに。まことは都の人の。足手影までも懐かしう侯ほどに。 かやうに申し候。ただ返す返すも母上こそ。何より以つて恋しく候へとて。弱りたる息の 下にて。念仏四五遍唱へ。終に終はつて候。さるほどに遺言に任せ墓所を構へ。しるしに柳を植ゑて候。今月今日が正命日に相当たりて候ほどに。所の人寄り集まり。大念仏を申され候。この船中にも。少々都の人もござ侯ごさめれ。あはれ大念仏を御申しあつて御弔ひあれかし。