ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『隅田川』について(その11)

2007-05-24 23:55:10 | 能楽
「強さ」。それは彼女の強い意志と言い換えても良いかもしれません。それが目的とするところが、さらわれた我が子を捜し出すということであるのが悲劇的だし、またその手がかりが「東とかやに下りぬ」と聞いただけだ、というのが何とも絶望的でやりきれないですが。。(「狂イ」の中には「我が思ひ子は東路に、ありやなしやと問えども問えども。。」という文句が出てきますから、我が子が東国にいる事さえも実はかなり曖昧な情報らしい)

そんな彼女も人々には「狂人」と蔑まれ、無理解に晒されながら困難な旅を続けている。彼女には頼れる人はなく、むしろ彼女を無責任に囃し立てる人々は、彼女の目には人商人と同じ側に立つ人間と映ったかも知れません。そしてこの川を渡らなければ東の果てまでわが子を捜し求めることはできない、という隅田川の川畔に至っても、頼みの綱である船頭は、やはり「面白く狂え」という要求を出すのでした。しかし彼女はそれを拒絶するのでも要求に迎合するのでもなく、『伊勢』の故事を引いて船頭に非を悟らせ、同時に彼女の人格を認めさせたのでした。

でも結局、彼女にとって周囲の人間は根本的に無理解なのであって、そんな彼女が唯一、我が子の行方を問うことができる相手として「都鳥」は描かれています。「狂人」と決めつけて自分に悪意をぶつける事のない鳥、それも「都の鳥」という名前を持つこの鳥は、彼女の心を理解する者として彼女は望みを寄せるのです。でも、すなわちこの思い込みこそが、彼女をして再び我が子を求める押さえきれない激情に向かわせてしまう事にもなります。結局彼女はここで「面白く狂う」ことになり、彼女を囃し立てる人々の期待を満足させてしまうのです。彼女の旅はこういう堂々巡りを繰り返してきたのでしょう。

さてこうして彼女は「都鳥」に信頼を込めて「我が思ひ子は東路に、ありやなしや」と問うてみるのですが、当然のごとく都鳥からの応答はなく。そこで彼女は前述のように「鄙の鳥とや言ひてまし」と正面を向くのです。

すなわち、「答えてくれないとは情けないこと。田舎の鳥とでも呼べばよいのに」と正面を向くので、その向き方で彼女の性格はガラリと変わって見えるのではないか、と思います。プイ、と正面を向いて「ふんっ、田舎者め」とするのか、また同じく強く正面に直す場合でも、都鳥への信頼と決別するかのように彼女の意志の孤高を表すこともできるかもしれませんね。また逆に、静かに正面を向いて失望を表すこともできるでしょう。注意してご覧にならないと気が付かないような微妙な型どころですけれども、じつはシテの性格が決まるような、重要で難しい型だと思います(。。と、この機会にさらに考えてみたのですが、この型は見所のお客さまに対しての効果、というよりは、その後の演技について、役者自身をある程度規定してしまう、という点で難しいのかも知れないな、とも思いました)。

このあとシテは「げにや舟競ふ堀江の川の水際に」と左へ廻って常座に戻り、そこでまた「来居つつ鳴くは都鳥」と斜に先ほどと同じ場所の都鳥を見込みます。