ぬえの能楽通信blog

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『砧』~夕霧とは何者か(その5)

2013-04-02 23:07:58 | 能楽
さて地謡が謡う上歌の終わりにシテは遠くに物音を聞く心で面を伏せ、やがて面を上げてその方角を見て謡います。

シテ「あら不思議や。何やらんあなたに当つて物音の聞え候。あれは何にて候ぞ。(とツレへ向き)
ツレ「あれは里人の砧擣つ音にて候。(と直し)
シテ「げにや我が身の憂きまゝに(とツレへ向き)。故事の思ひ出でられ候ぞや。唐土に蘇武と云ひし人(と直し)。胡国とやらんに捨て置かれしに。故郷に留め置きし妻や子。夜寒の寝覚を思ひけり。高楼に上つて砧を擣つ。志の末通りけるか。万里の外なる蘇武が旅寝に。故郷の砧聞えしとなり。
わらはも思ひや慰むと。とても淋しき呉服。綾の衣を砧に擣ちて。心を慰まばやと思ひ候(とツレへ向き)。
ツレ「いや砧などは賎しき者の業にてこそ候へ。さりながら御心慰めん為にて候はゞ。砧を拵へて参らせ候べし。(とツレ謡い切ってより立ち上がり後見座へ行き物着)

本曲の眼目たるべき砧がいよいよ登場する訳ですが、ここでシテが遠くから聞こえてくる砧の音に気をとめることについても、不自然だ、という意見があるようですね。すなわち、長年この土地に住み慣れているはずのシテ妻が砧の音を聞き知らず、それに対して三年をワキ夫に仕えて都で過ごしていたツレ夕霧が、その音は砧の音である、と妻に教えるのはつじつまが合わない、という事なのですが。。

ううむ、先人に対して申し訳ないのだけれど、ぬえはやはりこの意見にも賛成できませんね~。この場面は、それほど深い意味を詮索する必要はないでしょう。物思いにふける妻の耳に波長が合うように、「ふと」もの悲しい音色が響いてきて、それにシテが耳をとめたのです。日頃から聞き慣れているはずの音、という指摘はまさにその通りでもありましょうが、前述の先人の解釈の、この場面では常に聞き慣れているはずの砧の音さえそれと聞き分けられないほどシテの心が乱れている、というのはこの静謐な場面にはいかにも そぐわないように思います。

シテ妻は、上歌の中で孤独感の中に埋没していきながら、むしろ感覚がセンシティブになっていったのではないでしょうか。物思いにふけるうちに、ふと、今までは聞き漏らしていた かすかな物音。。遠くの里の民家ででも擣つのであろう砧の音が耳に入ってきたのでしょう。普段から砧の音はたしかにこの里に響いていました。でもそれは、よくよく注意を払っていなければ聞き逃してしまうほどの幽かな音です。しかし風に乗って運ばれてきたその音に、いまの彼女の耳は本能的に遠くからの「音信」を感じて、ふと、気を留めた、と解したいと思います。

ところで ここで蘇武の妻が高楼に上って砧を擣つ、という話が出てきます。蘇武は漢の時代の人で、『漢書』等に記事があるものの、『砧』の作者。。世阿弥が参照したのは『平家物語』などに少し潤色が加えられて紹介された蘇武の記事であると思われます。『平家』に載る記事は大略次のようなものです。

漢の武帝は、蘇武ら将軍に命じて胡国を攻めさせましたが破れ、生捕りになります。胡王は蘇武を岩窟に三年間監禁し、片足を切って追放します。蘇武は雁の羽に都への手紙を結びつけて放ちます。一方漢では武帝はすでに世を去り、その子の昭帝の時代になっており、胡国と和睦していました。この昭帝が御遊の折、飛んできた雁が翼に結びつけた手紙を食いちぎって落とします。これが蘇武の手紙で、そこには「身は胡国に散らすとも、魂は再び漢に帰って帝にお仕えしよう」と、書かれていました。昭帝は感じ入り、将軍李広に命じて胡国を攻め破ります。こうして蘇武は、十九年ぶりに故郷に帰還することができました。

手紙を「雁書」と呼ぶキッカケとなった事件ですが、じつは蘇武の妻が胡国で囚われの身になっている夫のために砧を擣った、という『砧』に登場する物語は、『漢書』にも『平家』にも見えないのです(わずかに平安末期成立の『新撰朗詠集』大江匡房に「寡妾擣衣泣南楼之月良人未帰」とあるのが本説?)。

もっとも砧の音が秋の夜の詩情を表すものとされてきたことは『白氏文集』や、日本でも『和漢朗詠集』などにその例は多く見えることからも首肯できますし、女性が思う男を思ってひとり砧を擣つところは『千載集』あたりから見られる固定化されたイメージであったようで、『砧』に登場する、蘇武の妻が高楼に上って砧を擣つ、という話は、散逸した物語かあ取材したのかもしれませんし、あるいは蘇武の「雁書」のくだりは『砧』でも後場に登場するので、イメージを統一するために作者があえて脚色したものかもしれません。