ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『砧』~夕霧とは何者か(その9)

2013-04-08 01:57:04 | 能楽
「砧之段」は形式としてはクセの仲間なのでしょうね。
そうして、あまりの美文に心奪われます。能全体の中でもこれほどの優れた詞章はちょっと類例がなかろうと思います。世阿弥が「末の世に知る人有まじ」と言った自信作だというのも首肯できますね。

が、もうひとつ、観世流の型は割と忙しい、というか、型が多いように ぬえには思えます。う~ん、説明は難しいけれど、そもそも『砧』は動きが少ない能です。現代的な眼から見れば、能をはじめてご覧になるお客さまにお勧めするのは難しい曲でもありましょう。決して ぬえは能が一部の見巧者だけのものになって欲しいわけではないのですが、こういう曲の深さ。。それが取りも直さず能が長い歴史の中で独特に深化を遂げた結果獲得した舞台上の情趣という成果なのであって、微妙な、繊細な表現方法は、リアリズムを離れてむしろ役者に内面的な演技を要求する方向に向かって行った事が、現代ではすべてのお客さまに楽しんで頂ける「娯楽」的なものとは相反する方向にあるのもまた事実なのかも知れません。

でもショーのような面白い能もたくさんあって、そうしてその対極に『砧』のような思索的な曲もある。この懐の深さが能の魅力でもあります。少なくとも ぬえにはとっても魅力的。それは役者に演技の幅を要求するからなのかもしれませんが、もともと身体を動かす切能のような派手な演目が好みだった ぬえも、「動かない」ことの雄弁さに気づいてからは、「思索的な」演技にも心惹かれます。歳のせいかしらん。

で、もと文学少年だった ぬえは内弟子時代から『砧』の思索的な文章にはとっても魅力を感じていたのですが、いざ自分がこの重習の曲を上演することになって稽古を始めると、静謐な場面に大きな距離への移動があったり、細かい動きが多くあったり。。つまり「動かない」ではいられないほどの、静止している時間を許さないほどの型がつけられていることに気づきました。動いている場面を、あたかも「動かない」でいるかのように演じるのが重習の所以かしらん。。?

地謡「蘇武が旅寝は北の国(と正ヘ直し)。これは東の空なれば(と脇座の方を見)。西より来る秋の風の(と幕の方を見)。吹き送れと間遠の衣擣たうよ(と脇座の方ヘ向き作物を見てツメる)。古里の(と正へ直し)。軒端の松も心せよ(と出、行掛リ)。おのが枝々に。嵐の音を残すなよ(とサシ廻シ・ヒラキ)。今の砧の声添へて(と作物を見)。君がそなたに吹けや風(と脇座の方ヘ胸ザシ、ホド拍子)。余りに吹きて松風よ(と正ヘ直し)。我が心。通ひて人に見ゆならば(と正へ出)。その夢を破るな(とヒラキ)破れて後はこの衣(と左袖を出し見)たれか来ても訪ふべき(と左へ出、正を見)来て訪ふならばいつまでも。衣は裁ちもかへなん(と角へ行き正へ直し)。夏衣薄き契はいまはしや(と左へ廻り)。君が命は長き夜の。月にはとても寝られぬに(と大小前にて正へヒラキ)いざいざ衣うたうよ(とツレへ向きツメ)。かの七夕の契には(と正ヘ直し)。一夜ばかりの狩衣(と右へ一足出)。天の河波立ち隔て。逢瀬かひなき浮舟の(と正先へ出ヒラキ)。梶の葉もろき露涙(と右へ廻り)。二つの袖やしをるらん(と笛座前より角へ向き)。水蔭草ならば(中へ出)。波うち寄せようたかた(左右打込扇開き)。
シテ「文月七日の暁や(と上扇)。
地謡「八月九月。げに正に長き夜(と大左右)。千声万声の憂きを人に知らせばや(と正先へ打込ヒラキ)。月の色風の気色(と下がり、サシ)。影に置く霜までも(と角へ行き扇をかざして下を見込み、左へ廻り)。心凄きをりふしに。砧の音(と中より斜に出て聞き)夜嵐(と見上げ)悲みの声虫の音(とシオリながら作物の前へ行き<このときツレも作物の前へ行き>)。交りて落つる露涙(と二人一緒に下居)。ほろほろはらはらはらと(とツレとともに扇にて作物を打ち)。いづれ砧の音やらん(と面伏せて聞く)。

ああ、忙しいです。これほど多い型を、場面の雰囲気を壊さないように舞うのは難しいですね。手順がうまく廻るように注意するとか、文句と型を連動させ過ぎないようにするとか。工夫が必要な場面です。

「ほろほろはらはらはらと」のところは静かでありながら「砧之段」のクライマックスです。地謡の謡い方にも囃子の打ち方にも互いに譲りあい、または主張しあって、西洋音楽的はあり得ないほどにリズムの緩急を駆使して謡うところですね。いろいろな謡い方はありますけれども、まず「ほろほろ。。はらは ら、は。ら。。とーーー。。ォーー。。」という感じの謡い方が最も多いかも。この微妙に進んだり停滞したりするテンポに合わせて、シテとツレが、文字に合わせて交互に扇で作物を打つのです。ここは本当に難しいね! 下手に打つと扇の音ばかりが耳について「バタバタバタッ」ってなってしまうんです。これを防ぐために扇を作物に当て、当てず、という感じで打ちたいのですけれども、面の向きから考えると、まず作物は見えていない状態なので、思った通りに打てるかは未知数と言ってよいのではないかと。。

話はそれますが、シテ方の流儀によってはここで扇ではなく、砧を擣つ「槌」の小道具。。金銀で飾ったそれを持ち出すことがあるそうです。ぬえは未見ですが、これまた難しい。。打つことよりも、そのあとの小道具の処理が難しいのではないかと思います。