ぬえの能楽通信blog

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『砧』~夕霧とは何者か(その15)

2013-04-15 22:02:04 | 能楽
ワキの待謡は、ツレを伴う宝生流などのワキの場合は待謡の一部をワキとワキツレが連吟し、途中からワキの独吟になるようですが、いずれにせよ抑えた調子で大変静かに謡われます。おワキに伺ったことはないけれど、もちろん扱いは重いのであろうと思います。

この待謡に付けて笛がヒシギを吹きかけ、太鼓が打ち出して「出端」と呼ばれる登場の囃子が演奏されます。

さてこれより後シテの登場の場面ですが、じつは観世流の中でも演出の違いがあるところです。

観世流では、常の『砧』の演出ではシテの登場囃子は「出端」ではなく「一声」なのだそうです。そうして、この場合は後シテの装束は着流し。これが本来の装束付けだそうで、小書「梓之出」の場合にシテは大口を穿き、囃子も「出端」になるのだそう。ぬえの師家ではこれが少し違いまして、後シテの装束は大口を穿くのが常で、着流しで演じることはありません。そうして常の場合でも太鼓が入る「出端」で登場します(形附けには または一声にも、と但し書きがついていましたが…)。

「一声」と「出端」、そして装束の違いですが、これは後シテの解釈の違いによるものでありましょう。「一声」での登場は、「出端」と比べれば、やはり寂しさが漂う登場で、これは後シテを非業の死を遂げて浮かぶことができないで彷徨う「亡者」としての面を重視した演出だと考えられます。着流しの装束も非力でか弱いシテの姿の表現でしょう。一方の「出端」ですが、こちらは後シテが強い意志と目的を持って登場した、という演出であろうと思います。大口の装束も、ある種の威厳と仰々しさを印象づけますし、夫に対する怨念のようなものを持っていることを印象づけます。

後シテの装束は以下の通りです。

面=泥眼、鬘、鬘帯、摺箔、浅黄大口、白腰帯、白練壺折、杖、老女扇。

最近は後シテが「痩女」の面で登場することもあるようですが、ぬえは観世流に限っては、それは少々無理があるのではないかと思いますね。。詳しくは紙幅が許せば後述したいと思いますが、少なくとも観世流の型や地謡の謡い方を見る限りでは、最初から「泥眼」面で勤めるように組み立てられていると思います。

杖は「亡者」の象徴ですね。『藤戸』や『善知鳥』『松山鏡』などに類例がありますし、狂言でも「亡者」には杖はつきものです。本来は地獄で責め苦を受けているために足腰が立たなくなるほど弱っている、という意味なのでしょうが、『藤戸』『善知鳥』など、強い意志を持って登場する亡者もあって、この場合は杖が武器になったりします。

白練を着るのは、これは取りも直さず死に装束でありましょう。面白いのは師家の装束付けで、この白練の代わりに白水衣を着る替エの演出があることで、これはさすがに実見したことはないですが、大口の上に水衣を着るとなると、『巻絹』のシテのような印象になるのかな? あまり死者には見えないように思います。

それから師家では後シテが「老女扇」を持つことになっていますね。これもちょっと観世流の型からすると合わないように思いますし、実際少なくとも師家では老女扇を持った『砧』の後シテは、これまた実見したことがありません。逆に、師家には銀地に露草を控えめに描いた扇がありまして、モノトーンに近い『砧』の後シテの姿にはよく似合うため、好んで使われています。