ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『砧』~夕霧とは何者か(その17)

2013-04-17 08:43:17 | 能楽
昨日「橘香会」の申合が終わり、あとは当日を迎えるのみとなりました。
笛のTさん(東北支援活動でもいつもご一緒の彼)に今回もお相手をお願いしているのですが、昨日楽屋で「『砧』の「出端」の冒頭にはヒシギは吹かない」という事を教えて頂きました。「次第」「一声」「出端」など笛がアシライ吹きをする登場囃子では冒頭に「ヒーー、ヤーーアーー、ヒーー!」と甲高い「ヒシギ」と呼ばれる譜を吹くのですが、これは幕の内にいる役者への「知ラセ」でもあります。同じような意味で、一番の能の終わりにも、そのあとにまだ番組が続く場合は、やはり「ヒシギ」を吹いて、楽屋に現在上演中の能の終了を知らせます。

登場囃子の「ヒシギ」は、楽屋への「知ラセ」ですから、シテが舞台上に出された作物に中入して後シテの扮装に着替える曲。。『殺生石』や『三輪』『定家』など例はとても多いこのような曲では、シテも、着付けをする後見も、その場にいて舞台上の進行状況はわかっていますので、「ヒシギ」は吹かないことになっています。

今回もこの例に従って楽屋で後シテの着付けをする『砧』の「出端」では「ヒシギ」を吹くものとばかり思っていたのですが、ワキの待謡、それからシテの登場の「出端」が、ともに大変静かで沈鬱な空気で謡われ、演奏されるために、その雰囲気を壊さないように『砧』では「ヒシギ」を吹くことを控える定めになっているのだそうですね。

笛については、前シテの登場の「アシライ出シ」で、大小鼓によって演奏されるこの登場囃子に、森田流では笛も参加して彩りを添えてくださるのですが、昨日の申合ではその冒頭に。。はっとするような印象的な譜を吹かれて、幕内にいた ぬえはびっくり。。あとで伺えば「霞ノ呂」という手なのだそうで、「アシライ出シ」で聞いたことのない譜だと思ったら、やはり『砧』ではこれを吹く定めなのだそうです。

「霞ノ呂」。。美しい名称の手ですね。能には「恋之音取」とか「恋之舞」、「雲之扇」「月之扇」などロマンチックな小書や型があって、武家社会の中で育ってきたのに、昔の人はロマンチストが多かったんだなあ、と思うことがよくありますが、この「霞ノ呂」はその中でも音色、名称ともに際だって優れていると思います。

さて舞台では(観世流では)段々と地謡が加速していって、シテ妻が激情にかられて夫に迫ってゆきます

シテ「怨みは葛の葉の(と正ヘ向きシオリ)。
地謡「怨みは葛の葉の(シオリながらシテ柱の方ヘ歩み行き)。かへりかねて執心の面影の(と振り返りワキの方ヘ少し出)。はづかしや思ひ夫の(と正ヘ外し面を伏せ)。二世と契りてもなほ。末の松山千代までと(とサシ廻シ)。かけし頼みはあだ波の(と右へ廻り)。あらよしなや空言や(シテ柱よりワキの方へ出)。そもかゝる人の心か(と扇にて右膝を打ちワキを見込み)。
シテ「烏てふ。おほをそ鳥も心して(と正ヘ直し扇を開き)。
地謡「うつし人とは誰かいふ(と大左右)。草木も時を知り。鳥獣も心あるや(と正先にてヒラキ)。げにまことたとへつる(と右へ廻り)。蘇武は旅雁に文をつけ。万里の南国に至りしも(と笛座前より斜に出)。契りの深き志。浅からざりしゆゑぞかし(とワキヘ向きツメ)。君いかなれば旅枕夜寒の衣うつゝとも(と胸ザシにてワキヘ行き下居)。夢ともせめてなど(と扇にて右の下を打ち)思ひ知らずや(と左手にてワキをサシ)怨めしや(正ヘ安座してシオリ)。

夫の不実を責める、というよりは、妻は自分が擣つ砧の音が聞こえなかったのか、と迫っていますね。そのことが夫が自分の事を想っていなかった証拠になり、自分の死後にようやく戻って来たことを不実と捉えているのだと思います。夫は帰ろうと思えば帰ることができたのかもしれませんね。しかし、妻の擣つ砧の音が聞こえなかったために帰郷の時期をのがし、それが取り返しのつかない事件へと発展してしまったのです。妻は自分の苦しみを夫に解って欲しかったし、それを伝えるために砧を擣ったのでした。砧を擣つことで夫の心の通い路が開き、離ればなれになっている二人であっても、そのつらさを共有したかったのです。

このあたり、昔の人は恋について現代の人とはちょっと違った考え方を持っていました。『古今集』の恋歌に出てくる有名な小野小町の夢の歌三首に端的にそれは読みとれますが、往時は自分の思いが相手に伝わると「夢の通い路」が開いて夢の中で相手に会うことができました。逆に言えば夢の中で恋しい相手を見ることは、相手に自分の気持ちが通じた証左でもあったのですね。

また当時は夢の通い路を開かせるために まじないも行われていました。袖を打ち返して寝る、というのがそれで、これは『清経』の中に「手向け返して夜もすがら。。」云々とあるのは、夫の遺髪を宇佐八幡宮に返した妻の行動を表すとともに、この袖を打ち返して眠った彼女の姿をも暗示している、と ぬえは読んでいます。

『砧』では都にいる夫が九州蘆屋に帰るのには何週間もかかる道のりで、訴訟の進展について対応をしなければならない夫には、ちょっと家に帰る、というような事は現実には不可能でした。妻もそれは解っていたはずですが、彼女にとっては夢の通い路で夫に会うのがせめてもの願いだったのです。この場面で妻が言う「夢ともせめてなど思ひ知らずや怨めしや」という言葉は、彼女の夢の中に夫が現れなかったことを意味しているでしょう。ですからそれが叶わないことを、夫の自分への愛情が薄れた事と解し、これを不実と言っているのだと思います。