ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『砧』~夕霧とは何者か(その14)

2013-04-14 01:25:48 | 能楽
シテが橋掛リを静かに歩んで幕に入ることで死を象徴する『砧』の演出は、能の中でも珍しい型ですね。唯一ではないかもしれませんが。。能舞台の構造をうまく利用した演出ですが、世阿弥時代には現在の能舞台の形式はまだ確立されていなかったので、ここも江戸期に復曲された際に工夫された演出かも知れません。。もっとも世阿弥が書いた本文自体はそのまま踏襲されているので(世阿弥自筆本が伝存していないので確証はないですが)、この能が作られた当初から似たような演出が行われていた可能性はあります。いずれにせよ現在の形式の能舞台で上演されるのに、じつに効果的な演出だと思います。

ちなみにこの中入には、さらに効果的な替エの型がありまして、今回の ぬえはそちらで挑戦してみようと思っております。

シテが中入すると、後見が作物を正先に置き直します。。これが現在では見慣れた演出だと思いますし、また前述のように前場でも砧の作物を正先に置き、「砧之段」の中でもシテ一人が作物を打つことも多く行われていて、その場合は前シテの物着の間に後見が作物を正先に据えると、最後までそのまま同じ場所に置かれるわけですが、じつはこれは本来の型ではありません。

本来の型はシテが中入すると、後見は砧の作物を切戸に引いてしまうのです。師家の型付けには「ワキが宝生流の場合は前シテの中入で作物を正先に置き直すが、待謡が済んだら作物を引く」。。と書いてありました。

なぜワキが宝生流のときだけ作物を正先に置くのかというと、それは妻の死去を聞いて急遽故郷に戻った夫(ワキ)が橋掛リに登場するときに、宝生流のおワキでは間狂言に向かって「砧をばそのまま置きてあるか」と尋ねるから、その文意に沿うようにシテ方の方でおつきあいするのです。もっとも宝生流に限らず後場に登場したワキは正先に向かって弔いの言葉を述べるのですが、それは妻の遺品としての砧に向かって行う型でありましょう。作物はその場になくても、ワキの心は確かに砧に向いているのだと思いますし、やはりワキの型から見ると、正先に作物があった方が(そのまま、とはいえ作物は脇座に置かれたままでは具合が悪い)写りが良いのもまた事実です。

こうしたわけで作物は現在では後場で引くことは ほぼなくなったと思います。。本当のことを言わせて頂くと、実は後シテにとっては正先に砧の作物が置かれていることは、少々演技の邪魔になる場面があるのですが。。しかし、現代的な解釈で考えれば、砧の作物は妻の思いの凝縮であり、妻にとって夫との唯一の繋がりの希望の象徴でもありました。これをワキ夫もその場にいる後場に置いておくのは相応の意味がありましょうし、後シテ妻の亡霊は、死後に邪淫の業の報いとして永久に砧を擣つ責め苦を獄卒に強いられている、と述べています。砧の作物は後場にも一定の意味を持っています。うがって考えれば、後シテ妻の亡霊は、この砧の物陰から現れる、と考えることもできるのです。

さて話が前後しましたが、前シテが中入して作物が正先に置かれると、間狂言。。ワキ蘆屋某の下人が登場して、妻が亡くなった事を述べ、その経緯を語ると、ワキの蘆屋某にこの旨を伝える、と述べます。

アイ「扨も扨も痛はしき御事かな。誠に夫婦恩愛の仲。浅からざる御事なれば。北の御方待佗び給ふ御事。実に尤もと存ずる。我等も共に落涙仕り候。又頼み奉る蘆屋殿は。唯かりそめに御在京と仰せられ候程に。けふは御帰りか。翌日は御下りかと。待ち佗び給ふ所に。はや三年に成り申して候。又蘆屋殿も故郷の御事心元なく思召し。夕霧と申す女を御下しあつて。当暮に御下りなさるべく侯間。此の暮には必らず御目にかゝり給うずると。懇に仰せ越され候を。北の方御嬉しく思召され候。又淋しき徒然には。賤女の手馴れ申す砧を御打ちあつて。蘆屋殿の御下向を待佗び給ふ所に。また此頃他郷の人の噂には。当暮にも御帰りなき由を申す程に。北の方。これは聞こえぬ事と思召し。女の事なれは御疑ひあつて。さては都にて深き御馴染の出で来。妾事は余所に吹く風と思召し。それより物に狂はせ拾ひ。終に空しく成り給ひて候。いや由なき独り言を申して候。先づ比の由蘆屋殿へ申さばやと存ずる。

間狂言が橋掛リに向かうところでワキは幕を揚げて橋掛リに登場し、間狂言との問答になります。ここで前述のようにワキ宝生流では「砧をばそのまま置きてあるか」「さん候そのまま置き申して候」というような問答があって、ワキは舞台に入り、舞台中央のあたりで正面に向いて下居、妻への弔いを行います。

ワキ「無慙やな三とせ過ぎぬる事を怨み。引きわかれにし妻琴の。つひの別れとなりけるぞや。
ワキ「さきだたぬ。悔ひの八千度百夜草。悔ひの八千度百夜草の。蔭よりも二度。帰り来る道と聞くからに。梓の弓の末弭に。詞をかはすあはれさよ詞をかはすあはれさよ。

観世流の本文ではワキは一人きりで登場することになっていますが、宝生流のおワキではワキツレの家臣(太刀持ち)を伴っています。ワキは上半身には厚板を着ていますが下は素袍の袴だけを着る裳着胴姿で、掛絡を首に掛け、守り袋を前に下げています。これまた珍しい装束付けだと思いますが、神妙に弔いを行う姿でしょう(ワキツレは素袍上下を着ています)。