ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『砧』~夕霧とは何者か(その18)

2013-04-19 03:54:00 | 能楽
昨日と今日は『砧』の総仕上げの稽古のために空けておいたのですが、突然の訃報が飛び込んできて伊豆に行ったり、土曜日の鎌倉での子ども能公演は身体を休ませるために鎌倉近辺に前泊することになったり。。いろいろと予定がズレてきてしまいました。まあ、申合も大体うまく行ったし、稽古としては ほぼ全体の計算は終わらせたので、焦るほどではありませんが。。今朝はいっぺん通し稽古をしてから午後に鎌倉に向かいます。

え~、ところでまた笛のT氏から解説文の訂正依頼が来まして。『砧』の出端の冒頭にヒシギを吹かないのは決まりではなくてワキ下宝生流の場合「不吹にも」とのことです。文句はワキ方流儀によって違いはない曲と思いますが、ワキツレを伴い、それと待謡を同吟しながら最後にワキの独吟になる下宝生流の重厚な演技におつきあいして、待謡をかき消すようなヒシギは笛の役者の裁量によって遠慮してもよい、という感じでしょうか。

さてワキの前についに詰め寄ったシテは、それでもガックリと安座してシオリをします。恨みを晴らす、というのがそもそも後シテの登場の理由ではない事がここで解ると思います。そうして、ここを境に地謡も囃子もグッと雰囲気を変えて、低く沈んだ調子になります。シテも茫洋とした様子で立ち上がり、ついに成仏を遂げた体で合掌して終曲となります。

地謡「法華読誦の力にて(と正を見て立ち上がり)。法華読誦の力にて。幽霊まさに成仏の(と角の方ヘ行きトメ)。道明らかになりにけり(と左へ廻り)。これも思へばかりそめに。うちし砧の声のうち(と中より正ヘ出ヒラキ)。開くる法の華心(とフミビラキにて右へ廻り扇をたたみ)。菩提の種となりにけり(とシテ柱にて正ヘ向き合掌)菩提の種となりにけり(と右へウケ扇開きツメ足)。

この場面、最後はシテは成仏して終わる。。つまりハッピーエンドで能が終わるわけですが、これまた『砧』ではよく問題点として挙げられる場面で、いわくあまりに唐突にシテが成仏する場面になる、ということですね。しかしこれまた ぬえはあまり違和感を感じていない場面展開でして。。そうして今回はじめて『砧』の型を稽古して、この場面展開に少々残っていた違和感はすべて払拭されてしまいました。

前述のように、後シテ妻の亡霊は、ワキ夫に復讐しようと思って登場したわけではありません。離れた夫に恋の思いを届けようとして、それが伝わらなかったことを儚んで衰弱して死んだ妻は、夫が「夢の通い路」をいつの間にか閉ざしてしまった、その無関心を不実、と恨んだのです。決して忘れた訳ではないが、いつの間にかおぼろげになってしまった夫婦の間の愛。目に見えない愛情を、目に見えない信頼というオブラートに包んでしまって、いつの間にか生活の事情の中でしまい込んでしまった二人。結婚という儀式を境に生まれる「家庭」を、愛情が一杯に詰まった宝箱と捉えた妻と、家庭の存在そのものを愛情の証しと考えて安心して、三年間もの間妻へ手紙さえ送ることを怠って都に留まった夫の無神経。現代でもありそうな、この二つの気持ちのギャップが、愛情で結ばれたはずの二人の恋人を幽明を異にして永久に再会がかなわない別離へと追いやる悲劇を生んだのでした。

妻は、夫が不実の罪を作ったかどうかよりも、二人の気持ちが通い合わなくなった事を嘆いて命を落としたのです。妻は夫に、自分の気持ち。。夫への変わらぬ愛をわかって欲しかった。それが叶わない失望から夫に対して、愛情の枯渇を心配し、要らぬ疑念にまで膨れあがった不安にさいなまれて病に負けることになった。。ですから、ワキが妻の急逝を聞いて帰って来、手厚く妻を弔ったことで、彼女の疑いは晴れたのではないか、と ぬえは考えています。

これ、ちゃんと証拠もあることが ぬえは稽古で得心しました。

まずは後シテが、演技の中で「夢ともせめてなど思ひ知らずや」と迫るまでに一度もワキに近寄らないこと。それどころか「帰りかねて」と一度は幕の方。。すなわち責め苦が待つ冥土に帰ろうとすること。それに続く「執心の面影の」「恥かしや思い夫の」とシテが夫の方ヘ懐かしげに近寄り、ところがいまは亡霊と化して相貌が変わってしまった我が身を恥じること。ワキがシテに対して一度も弁解を言わないこと。。ぬえにはこのあたりの方がよっぽど唐突に見えていました。

しかし妻は夫に対して「君いかなれば旅枕夜寒の衣うつゝとも。夢ともせめてなど(私の気持ちを)思ひ知らずや」とは言っていても、他の女性に心変わりした、などとは言っていません。夫の不実を「不倫」を解釈して、その相手に夕霧を想定する。。ぬえも今回の考察でこの意見に賛成していたのですが、稽古を重ねることで、まったく逆の結論に達してしまいました。。これは、あまりに現代的な感覚での解釈に過ぎるのではないでしょうか??

妻は、夫が帰って来て自分のために篤い弔いをしてくれた事で、ようやく二人の愛情が薄れていない事を得心しました。ですから登場した後シテは、夫の不倫を責め立てることはありませんね。そもそも当時の日本は一夫多妻制同然であったはずですし。。

妻の言葉を後シテの登場からもう一度検証してみると。。まずは自分がはかなく世を去ったことを嘆き(「三瀬川沈み果てにし…」より「月を見する」まで)、次に仏の教えにも漏れて地獄で苦痛を味わっている事を述べ(「さりながらわれは邪婬の業深き…」より「呵責の声のみ恐ろしや」まで)、ついで輪廻の輪の中から脱し得ない苦しさを語ります(「羊のあゆみ隙の駒…」より「あぢきなの憂世や」まで)。

シテが夫の事を言うのはその後の「怨みは葛の葉の」からで、例の「帰りかねて執心の面影の。はづかしや思ひ夫の」の文句があり、夫に向けられた言葉は「末の松山千代までとかけし頼みはあだ波の。あらよしなや空言や。そもかゝる人の心か」とか「烏てふ。おほをそ鳥も心してうつし人とは誰かいふ」(=烏という大嘘つき鳥も心得たもので、この夫を現し人。。誠の心を持った人とは誰も言わないだろう)、そして「君いかなれば旅枕夜寒の衣うつゝとも。夢ともせめてなど思ひ知らずや怨めしや」という程度で、要するに自分の気持ちに気づかなかった事を「空言」と言っているのです。

ですから『砧』の後シテは『藤戸』のように杖を振り上げてワキを打擲したり、命を取ろうとする様子は見せませんし、それどころか「帰りかねて」と冥土に帰ろうとするがワキ夫の面影がなお懐かしく、夫に近づき、今度は夫に見られる自分の相貌を恥じるのです。妻はまだ夫を愛していて、夫が自分のために帰郷し弔いを営んでくれたことで、その嘆きはいまや幽明を異にしてしまった二人の立場なのです。夫に対する誤解も解けたいま妻の「邪淫の妄執」も晴れたのであり、夫が妻のために弔いを営んだ時点から妻は「法華読誦の力にて」成仏することは約束されていたのでした。

こう考えれば妻の夫に対する言い分はただ一つ「夢ともせめてなど思ひ知らずや」だけなのであって、それを言うところだけワキの目前にまで迫る型をするのです。この場面だけをクローズアップして夫の不倫を責めている、と考えるのはちょっと違うのではないか、と ぬえは考えます。

そうして。。じつはワキは現れた後シテ。。妻の亡霊に対して謝罪をし、愛情が薄れていなかったことを伝えていますね。細かい内容はともかく、ワキは待謡でちゃんと「梓の弓の末弭に。言葉を交はす哀れさよ」と謡っていますもの!

やはり『砧』は妻の「誤解」が生んだ悲劇の物語でしょう。しかし夫婦の愛情は失われてはいなかった。それはワキの登場ですべて語られています。妻はそれを知って、しかしこの悲劇が起こる前に手紙ひとつ寄越さなかった夫の鈍感と無神経を責めたのです。「思ひ知らずや恨めしや」と「法華読誦の力にて」の場面展開は一見唐突には見えるけれども、後シテの登場直後にか、あるいはこの場面展開のところかで、舞台芸術としては煩雑になるので省略されたけれども、夫と妻は言葉を交わしていて、それで愛情を確かめた妻は成仏へと到るのでした。

悲しいかな、現代のように携帯電話でもあれば簡単に防ぐことができた「誤解」による悲劇の物語が、この『砧』なのだと思います。