ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『砧』~夕霧とは何者か(その8)

2013-04-06 15:43:06 | 能楽
シテ柱にて正面向いたシテは以下を謡います。

シテ「音信の。稀なる中の秋風に。
地謡「憂きを知らする。夕べかな(とヒラキ)。
シテ「遠里人も眺むらん(と右ウケ)。
地謡「誰が世と月は。よも問はじ(と右へ小さく廻り大小前にて左右袖トメ)。

ちょっと意味が通りにくい文章ですが「遠里人」は都にいる夫のこと、「誰が世と」は観世流の表記では「誰の世の中か」のように読めてしまいますが、これは「世」ではなく「夜」の意味でしょう。「遠里人」には同じ月を眺める遠近の世の人の意味も内在しているので、「世」の語が使われたのかもしれませんが、要するにいま砧を擣って夫への思いを届けようとする妻のためだけに月が問う…訪らうのではない、という意味で、「遠里人」も同じ月を見ているかもしれないが、妻との思いの共有はないかもしれない、という直感が底流しているのだと思います。その直前に出てくる「秋風」とともに、美しい月影もいまの彼女にとっては孤独感を増幅させるものなのでしょう。

シテ「面白のをりからや。頃しも秋の夕つ方。
地謡「牡鹿の声も心凄く。見ぬ山里を送り来て。梢はいづれ一葉散る。空冷まじき月影の軒の忍にうつろひて(と右ウケ)。
シテ「露の玉簾。かゝる身の(と正へ直し)。
地謡「思ひをのぶる。夜すがらかな(と面伏せ)。
地謡「宮漏高く立ちて。風北にめぐり。
シテ「隣砧緩く急にして月西に流る(と幕の方を見る)。

この部分、小段としては「サシ」、「宮漏高く」からは「一セイ」という表記になっていますけれども、かなり破格の部分です。そして『砧』1曲のなかでの一番の聞かせどころですね。「宮漏」は水時計のことですが、ここではそれが指し示す時針の意味で、深夜であることを意味している。。と謡曲集などの語釈にはあり、また本歌もあるようですが、ぬえには水時計に喩えられているけれども、そのものよりもむしろ夜半にシルエットになって聳える無機質な機械の威圧感を感じて、これは妻の閉塞した心が感じる、夫との間に感じる「壁」のようなものの象徴として使われているのだと感じています。

一体に、この部分では遂げられぬ恋についての象徴的な文句が鏤められていますね。「牡鹿の声」は妻呼ぶ啼き声ですし、梢から散る一葉、軒に生うる忍ぶ草。。どうも不吉な言葉が敢えて用いられているように感じます。

さて「宮漏高く」のところは観世流では有名な聞かせどころでして、地謡が高音で変幻自在に謡うところ。この部分にとくに名前はついていませんが、『松風』のロンギにある「灘グリ」のようなものですね。このところ、本来は大小鼓がアシラウのですが、地謡を効かせるために、現在では大小鼓のどのお流儀も打つことを控えてくださいます。

シテの「隣砧緩く急にして…」から再び大小鼓がアシライを打ちはじめ、さてここからが前場の眼目の「砧之段」となります。

『砧』~夕霧とは何者か(その7)

2013-04-05 15:55:48 | 能楽


作物をはさんで座った二人。いよいよ砧を擣つ場面になるはずですが、実際はすぐにまたシテは立ち上がり、シテ柱に移動します。同じくツレも立ち上がって元の座。。地謡の前に戻って着座してしまいます。

せっかく砧の前に座ったのになぜ? 。。じつは意味としてはここは、二人はずっと砧の前に座っているのです。シテが立ち上がってしまうのは、砧を擣つのをやめたわけではなくて、着座して、さて砧を擣ち始めるまでのほんの短い時間に彼女が思いめぐらす心の中を、その心象風景を動作によって表現しています。実際の時間としてはほんの2~3分、ツレ夕霧が「あれ?。。擣たないんですか?」と言い出さない程度の短い時間に、シテが砧を擣つという行為に思いを込める、その心の動きをシテの所作によって表しているのです。

これ、能に特長的な独特の表現手法かもしれませんね。「シテ一人主義」とも評される能ではこのように演技の多くがシテの心情の描写に費やされることが多いです。能が育てられてきたヒエラルキー社会の影響なのでしょうが、逆説的に現代的な「個人主義」とも通じるものだとも言えるでしょう。もっとも個人の内面を描き出す能の手法は現代的ではあるけれども、『砧』のような悲しみの感情であれば必然的にそれを表現する所作も抑制的にならざるを得ません。現代のスピード社会の中では、すべてのお客さまにこうした抑制された微妙な感情表現に波長を同期させて頂くような鑑賞法は難しいかもしれませんね。このあたりは能楽師も説明したり実演するワークショップの機会を増やすなど、新しい観客層を開拓していく責務があります。

ところでちょっと例えは変かもしれませんが、このような能のシテの心理描写は『ハムレット』のあの長大な独白にも似ているようにも見えるかもしれません。。ところが両者はじつは全く性質を異にしています。『ハムレット』では、あの独白をとばし読みすると、ストーリーの展開がわかりやすくなりますね。ぬえが特殊なのかなあ、『ハムレット』を読んだときは、まず独白を飛ばし読みして全体のストーリーをつかんでから、改めて主人公の心理を表す独白を読み込むことで場面の雰囲気を深めていきました。ところが能では、この心理描写をなくしてしまうと、とたんに物語が薄っぺらくなったり、それどころかストーリーが繋がらなくなったりしますね。

それほど能の中ではシテの心理描写は重要なのだと ぬえは考えています。極言すれば、能にとってはシテがどんな人物で、どのような背景があって、ある事件が起きたか、という事はあまり重要ではなく、その事件によって生じたシテの、多くは極限状況の心理を舞台に描くことに主眼が置いてあるのでしょう。能『葵上』を見るとき、本説が『源氏物語』の有名な車争いの場面であることとか、六条御息所がどのような境遇の生い立ちを送ってきたか、また彼女の葵上との関係などは、知らなくても鑑賞に大きな不利益はないでしょう。この能のテーマは「嫉妬」なのであって、性別を分かたず誰にでもあるこの感情が、人をして鬼に変えてしまうことがあるのか、という点が能『葵上』には描かれ、またお客さまに問いかけられているのだと思います。能では女性の役であっても女声を真似た声色などは一切用いず、男性の役者のそのままの声で演じますし、また堅い装束も身体の線を隠して、あえて女性の姿にリアルに見せようとしないわかですが、ここらへんの理由も ぬえは同じところにあるのだと考えています。

言いたいことはありますが、このままだと脱線したままなので『砧』に戻って。。

地謡「衣に落つる松の声。衣に落ちて松の声夜寒を風や知らすらん。
地謡「衣に落ちて松の声。夜寒を風や知らすらん。

シテとツレは砧の作物に向き合って着座し、地謡がこのように謡います。「次第」と呼ばれる短い小段で、最初に謡われる3句は地謡はしっかりと声を出します(もっとも『砧』のこの場面らしく、しっとりと重厚に、という感じですが)が、次の繰り返しの2句は、ささやくように低吟されます。この低吟を「地取り」と呼んでいて、「次第」の大きな特徴です。ご存じの通り「次第」は能の冒頭のワキの登場によく使われるのですが、この場合もワキは3句を高吟し、地謡がそれを引き取って「地取り」を低吟します。『砧』のように地謡が「次第」を謡う場合を「地次第」と呼んで『羽衣』など例は多くありますが、この場合も最初の3句も「地取り」の2句も、すべて地謡が謡うのです。

ところが。。『砧』のこの「地次第」はシテにとっては難しいところでして。先ほど言ったように「次第」の3句はシテとツレは着座しているのですが、「地取り」になって、シテは立ち上がり、地謡が2句を謡う間にシテ柱まで移動しなければなりません。走って行ければ簡単なのですが、これほど静謐な場面ですとそういうわけにもいきません。ましてや、ここで移動することは、取りも直さずシテが心象風景の中に移動する事を意味しているのであって、その移動する背中で、お客さまをシテの心の中に誘導しなければならないのです。理想としてはシテは「いつのまにか」シテ柱の前に立っていなければならず、意味としては作物の前にはいつまでもシテの残像が残っていなければならない。。まあ、それは名人上手のお話しで、ぬえのような未熟者には窺う術もない世界ではありますが。。

『砧』~夕霧とは何者か(その6)

2013-04-03 01:27:01 | 能楽
シテはここで後見座にクツロギ、物着(装束を舞台上で着替えること)をします。物着といってもいろいろありまして、まるっきり姿が変わってしまう『杜若』のような大変な例もありますが、『羽衣』のように長絹を羽織るだけ、というものもあります。『砧』ではシテが唐織の右袖を脱ぐだけなのであまり手間は掛かりませんが、シテは着座したままなので、装束が崩れないように後見は注意を払います。

ちなみに右袖を脱ぐのは労働や作業をするしるしで、砧を擣つのはツレ夕霧が言うように「賎しき者の業」なのであって、九州地方の有力者と目される蘆屋某の北の方としては、侍女相手とはいえ体面もなく「賎しき者の業」に身をやつしてまでも、夫に思いを伝えたいという追い詰められた気持ちなのでしょう。

ここに至って、であれば、ツレ夕霧がワキの伝言。。「この年の暮には必ず下る」をシテに伝えない、という事を問題として取りざたする事はできる、と ぬえも思います。妻がここまで思い詰めているのですから、妻を安心させようとする夫の伝言は夕霧によって伝えられなければならないでしょう。

しかし、ここまで場面が進んできた今、少なくとも脚本の流れから言えば、その伝言の通知は舞台の進行を妨げることにもなりますね。。ぬえは思うのですが、台本の上では省略されていても、じつは伝言はここまでの間に、妻に伝えられていたのではないかと思っています。それでも夫の帰りを三年間も待ち続けた妻にとってみれば、すでに夫への疑念は、少なくとものちに疑念に膨らんでしまう夫の不在への喪失感と孤独感は、相当に大きくなっていて(しかもシテとツレとの問答からは、三年の間、夫から妻へ何の連絡もなかった、とも読めますし)、侍女を遣わして伝えた夫の伝言も、まだ不在が長引くことの言い訳にしか聞こえなかったのではないか、と感じるのです。

さて舞台に戻って、シテが物着をしている間に、一人の後見が切戸から砧の作物を持ち出し、脇座に据えます。

砧の作物は無紅紅緞(観世流のほかは紅入紅緞が定めとのこと)で飾り、白水衣を丸棒に巻き付けて上に置きます。このところ、ツレは地謡の前に着座しているのですが、後見は砧を、そのツレの後ろ。。ツレと地謡の間を通って脇座に据えることになっています。このようにツレが地謡座の前に着座する際は、基本的には地謡にくっつくように座って、シテが演技を行う舞台を広くとるようにするのですが、『砧』ではこういう事情があって、ツレは地謡よりも少し前へ出て着座するのです。あまり前に出ては、今度はシテの演技の邪魔になるし、着座位置が難しいところですね。もっとも最近では砧を脇座でなく正先に置くことも多いようです。この時は後見はツレの後方を通る意味がないので、舞台の中央を通って作物を出しますし、ツレも地謡にくっつくように着座します。ただし、これは常とは違う替えの型があるわけではなく、あくまで演者の工夫によるもので、今回が初演の ぬえは本来の型。。脇座に作物を出す型。。で勤めさせて頂きます。

シテについては、些末ながら、この物着のためにシテの装束は、楽屋で着付けをする段階からすでに、唐織の左の肩と下に着る摺箔とを糸で綴じ付けてあります。右肩を脱いだ唐織は左の肩だけで上半身にかかっているので、糸留めをしておかないと左肩も脱げてしまうんです。なお『砧』では前シテの唐織の着付け方は俗に「熨斗着け」と呼ばれている、熨斗。。熨斗袋についている、アレ。。のように胸を大きく開いた形で着付けますが、この物着で右肩を脱いだら、同時に襟を(普通の着物のように)巻き込みます。ここがちょっと後見も手間がかかるところかも。

なお、この物着の後の、いわゆる「砧之段」がこの能の最初のクライマックスといえるほどの重要な場面で、このとき唐織を脱いでむき出しになった右手の摺箔の袖が銀の小模様だけ(無紅の装束を着る場合、その下に着る摺箔の一般的な文様)ではちょっと見た目が淋しいためか、『砧』では白地と浅黄などの横段の摺箔を着ることが多いです。段の摺箔はとってもオシャレですが、『砧』以外ではまず見ることはないですね(類例に『籠太鼓』がありますが、こちらは銀小模様の摺箔の場合が多いように思います)。

物着の間は笛と大小鼓が「物着アシライ」を演奏します。物着が出来上がるとシテは立ち上がり、正面に向いて舞台に入り、シテ柱の前で謡い出します。

シテ「いざいざ砧擣たんとて。馴れて臥猪の床の上。
ツレ「涙片敷く小莚に。
シテ「思ひを延ぶる便りぞと。
ツレ「夕霧立ち寄り諸共に。
シテ「怨みの砧。ツレ「擣つとかや。

「思ひを延ぶる。。」あたりでシテは作物に向き行き、ツレも立ち上がって脇座に行き、砧の作物をはさんで二人向かい合って着座します。

『砧』~夕霧とは何者か(その5)

2013-04-02 23:07:58 | 能楽
さて地謡が謡う上歌の終わりにシテは遠くに物音を聞く心で面を伏せ、やがて面を上げてその方角を見て謡います。

シテ「あら不思議や。何やらんあなたに当つて物音の聞え候。あれは何にて候ぞ。(とツレへ向き)
ツレ「あれは里人の砧擣つ音にて候。(と直し)
シテ「げにや我が身の憂きまゝに(とツレへ向き)。故事の思ひ出でられ候ぞや。唐土に蘇武と云ひし人(と直し)。胡国とやらんに捨て置かれしに。故郷に留め置きし妻や子。夜寒の寝覚を思ひけり。高楼に上つて砧を擣つ。志の末通りけるか。万里の外なる蘇武が旅寝に。故郷の砧聞えしとなり。
わらはも思ひや慰むと。とても淋しき呉服。綾の衣を砧に擣ちて。心を慰まばやと思ひ候(とツレへ向き)。
ツレ「いや砧などは賎しき者の業にてこそ候へ。さりながら御心慰めん為にて候はゞ。砧を拵へて参らせ候べし。(とツレ謡い切ってより立ち上がり後見座へ行き物着)

本曲の眼目たるべき砧がいよいよ登場する訳ですが、ここでシテが遠くから聞こえてくる砧の音に気をとめることについても、不自然だ、という意見があるようですね。すなわち、長年この土地に住み慣れているはずのシテ妻が砧の音を聞き知らず、それに対して三年をワキ夫に仕えて都で過ごしていたツレ夕霧が、その音は砧の音である、と妻に教えるのはつじつまが合わない、という事なのですが。。

ううむ、先人に対して申し訳ないのだけれど、ぬえはやはりこの意見にも賛成できませんね~。この場面は、それほど深い意味を詮索する必要はないでしょう。物思いにふける妻の耳に波長が合うように、「ふと」もの悲しい音色が響いてきて、それにシテが耳をとめたのです。日頃から聞き慣れているはずの音、という指摘はまさにその通りでもありましょうが、前述の先人の解釈の、この場面では常に聞き慣れているはずの砧の音さえそれと聞き分けられないほどシテの心が乱れている、というのはこの静謐な場面にはいかにも そぐわないように思います。

シテ妻は、上歌の中で孤独感の中に埋没していきながら、むしろ感覚がセンシティブになっていったのではないでしょうか。物思いにふけるうちに、ふと、今までは聞き漏らしていた かすかな物音。。遠くの里の民家ででも擣つのであろう砧の音が耳に入ってきたのでしょう。普段から砧の音はたしかにこの里に響いていました。でもそれは、よくよく注意を払っていなければ聞き逃してしまうほどの幽かな音です。しかし風に乗って運ばれてきたその音に、いまの彼女の耳は本能的に遠くからの「音信」を感じて、ふと、気を留めた、と解したいと思います。

ところで ここで蘇武の妻が高楼に上って砧を擣つ、という話が出てきます。蘇武は漢の時代の人で、『漢書』等に記事があるものの、『砧』の作者。。世阿弥が参照したのは『平家物語』などに少し潤色が加えられて紹介された蘇武の記事であると思われます。『平家』に載る記事は大略次のようなものです。

漢の武帝は、蘇武ら将軍に命じて胡国を攻めさせましたが破れ、生捕りになります。胡王は蘇武を岩窟に三年間監禁し、片足を切って追放します。蘇武は雁の羽に都への手紙を結びつけて放ちます。一方漢では武帝はすでに世を去り、その子の昭帝の時代になっており、胡国と和睦していました。この昭帝が御遊の折、飛んできた雁が翼に結びつけた手紙を食いちぎって落とします。これが蘇武の手紙で、そこには「身は胡国に散らすとも、魂は再び漢に帰って帝にお仕えしよう」と、書かれていました。昭帝は感じ入り、将軍李広に命じて胡国を攻め破ります。こうして蘇武は、十九年ぶりに故郷に帰還することができました。

手紙を「雁書」と呼ぶキッカケとなった事件ですが、じつは蘇武の妻が胡国で囚われの身になっている夫のために砧を擣った、という『砧』に登場する物語は、『漢書』にも『平家』にも見えないのです(わずかに平安末期成立の『新撰朗詠集』大江匡房に「寡妾擣衣泣南楼之月良人未帰」とあるのが本説?)。

もっとも砧の音が秋の夜の詩情を表すものとされてきたことは『白氏文集』や、日本でも『和漢朗詠集』などにその例は多く見えることからも首肯できますし、女性が思う男を思ってひとり砧を擣つところは『千載集』あたりから見られる固定化されたイメージであったようで、『砧』に登場する、蘇武の妻が高楼に上って砧を擣つ、という話は、散逸した物語かあ取材したのかもしれませんし、あるいは蘇武の「雁書」のくだりは『砧』でも後場に登場するので、イメージを統一するために作者があえて脚色したものかもしれません。

『砧』~夕霧とは何者か(その4)

2013-04-01 08:52:34 | 能楽
シテとツレが橋掛リから舞台に入って対面して着座することで、場面は戸外から座敷に移動したことになるのですが、このところ金剛流では二人は移動せず、橋掛リで会話を続け、そうしてこの後に続く地謡のなってから二人が舞台に入るそうです。

観世流の行き方ですと舞台に移動することによって場面が変わって、さて対面して着座してから しみじみとシテの孤独を描くのに有利ですが、反面、舞台への移動の時間が空白になってしまう問題もあります。金剛流の演出では舞台の空隙をなくすのに効果的ですが、一方シテの孤独の心情を描く地謡の間に移動することになり、少々もったいないかなあ、とも思います。ただ、着座したシテの孤独感の表現は、動作といってもわずかに面を曇らすとかシオリ。能ではこういう場面では動かない事でこそ その表現の最大の効果が得られるのですが、現代のスピード社会では最も伝わりにくい点でもあります。移動とはいえ動作を伴う金剛流の行き方の方が現代ではわかりやすいかもしれませんね。もっとも歩むその「佇まい」によって孤独を表現するのですから、これは演技上もかなり難しいということはあると思います。

さて二人の問答は次のようなものです。

シテ「いかに夕霧珍しながら怨めしや。人こそ変り果て給ふとも。風の行方の便にも。などや音信なかりけるぞ。
ツレ「さん候とくにも参りたくは候ひつれども。御宮仕への暇もなくて。心より外に三年まで。都にこそは候ひしか。(と、シテは正へ向く)
シテ「なに都住まひを心の外とや(とツレへ向き)。思ひやれげには都の花盛り(と正へ向き)。慰み多き折々にだに。憂きは心の習ひぞかし(とツレへ向き)。
地謡「鄙の住まひに秋の暮。人目も草もかれがれの。契りも絶え果てぬ何を頼まん身のゆくへ(とシオリ)。
地謡「三年の秋の夢ならば(と正へ直し)。三年の秋の夢ならば。憂きはそのまゝ覚めもせで。思ひ出は身に残り昔は変り跡もなし。げにや偽りの。なき世なりせば如何ばかり。人の言の葉嬉しからん。愚かの心やな。愚かなりける頼みかな(と面伏せ聞く心)。

シテとツレとの会話だけでなくシテの孤独感を綴る地謡も掲載しましたが。。じつは『砧』は夫の不実の疑いに悩んだあまりに没してしまった妻が亡霊となって夫に迫る物語であるわけですが、そのキーワードとして、この場面が問題視されているのです。このことは『砧』のテーマに関わる問題なので、ちょっと考えておこうと思います。

いわく、夫に不実の行為の事実があったのか、なかったのか。『砧』の台本には一切触れられていないことではありますが、それによって『砧』の読み方はずいぶん変わってきてしまいます。

結論から言いますと、夫に不実の事実はあった、と見るのが大勢の読み方で、しかもその相手というのが誰あろう、ここに登場している侍女・夕霧だとされ、ぬえもこの意見に賛成しております。ぬえの賛成の理由は単純で、夫に不実がないのならば、シテ妻の夫への疑いや、その悩みによる横死はすべて妻の「誤解」だったことになり、死後に帰宅して妻を弔う夫に対して迫る後シテの登場の意味が薄くなってしまう、というこの一点に尽きます。不実の事実があったからこそ妻を死に追いやってしまった夫は「悔い」のために妻を弔うのであり、後シテは夫にその罪を責め、またついには昇華する形での救済に繋がってゆくだと考えます。もしも夫に不実があり、その相手がツレ夕霧であるとすれば、その当人を妻の許へ遣わし、妻の悲報を聞いてようやく後悔する夫は、ずいぶん鈍感で無神経な人物ということになってしまいますが。。

いずれにせよ夕霧を夫の不実の当事者と考える意見では、この場面にその証拠がある、としているようです。それが、この場面で夕霧が、夫から妻に宛てた大切な伝言「この年の暮には必ず下るべき」を妻に伝えていない、という点です。

夫から託された、妻にとっては希望の言葉であるその伝言を夕霧は伝えようとしない。。なるほど、『砧』の中ではこの場面くらいしか夫と妻、そして夕霧の三人を繋ぐ場面はないので、そう読むことも可能かもしれませんが。。ぬえにはこの読み方にはちょっと無理があるようにも思います。

この場面でツレ夕霧が夫の伝言を意図的に伝えなかった、と読むのはちょっと行き過ぎでしょう。ツレは主人である妻からの問い「などや音信なかりけるぞ」に対してひと言「御宮仕への暇もなくて。。」と弁明しただけなのであって、その後はシテが「なに都住まひを心の外とや。思ひやれ。。」と夕霧の言葉を受けて「慰み多き折々にだに憂きは心の習ひ」と孤独な自分の心中を嘆き、以下の地謡もそのシテの同じ心境の描写です。

つまり、夫に疑念を持った妻の孤独は、すでに巨大な塊となって、妻はその疑念の虜になってしまっているのではないか? 妻は夕霧の言葉も耳に入っていない。夕霧が伝言を伝えたかどうか、よりも、むしろ夫の安否を夕霧に尋ねることをしない妻の姿に、ぬえは違和感を持ちます。