ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

実効性のある平和を守るための手段

2025-04-09 09:22:45 | 社会・政治・一般

平和を守るとは祈ることではない。

相手が嫌がる防衛装備を整えて、攻撃する気をなくすことは、いつの時代でも有効な方法だ。

実際、北コリアが核兵器を備え、弾道ミサイルを装備したのは敵国(シナ、南コリア、日本、アメリカ、ロシア)が自国を攻める気を失くさせるのが最大の目的だ。だからこそ冒頭の記事のように、その潜在的敵国の一つである日本が北コリアに直接届きうる兵器を持つことを嫌がるのだろう。

誰だって大切なものを奪われるのは嫌だ。北コリアの支配者たちからすれば、自分たちが特権階級でいられる現状を変えられるのが嫌だが本音であろう。その為に国民が餓えようと病死しようとお構いなく、核兵器とそれを搭載できるミサイルを持つことに執着した。

周辺国から文句が出ようが、我が身が第一である。むしろミサイルを撃つことで、金づるである日本から援助を引きさせると思っていた。それなのに返事は日本から半島に届きうる長距離ミサイルの配備だというから腹立たしい。

それどころか、これ以上日本を刺激すると本格的に長距離ミサイルや核兵器を開発する可能性すらあるから止めろと賢し気に助言してくる奴らまで出る始末である。まったくもって腹立たしいではないか。

意地悪な私の邪推ではあるが、そう外れてはいないと思う。その一方で我が国の国会では相も変わらずに、話し合い、話し合いだと騒ぐお方もいる。ミサイルという武器で相手を威圧するなんて、平和なやり方ではないと声を上げる。

言論の自由は認めるが、もう少し歴史を学んで欲しいものである。

かつてスペインは鉄砲や大砲をもってアフリカ、新大陸、アジアと次々に侵略して、遂には極東に現れて日本侵略を試みた。しかし、彼らスペイン人が見たのは、至る所に戦士がいて、戦争に明け暮れている壮絶な修羅場であった。

しかも何故だか知らぬがポルトガルが持ち込んだ少数の鉄砲が、この島国では至る所で使われている。おそらく世界最大の鉄砲保有国ではないかと思う。しかも、独自に改良を加えてあるらしく、スペイン製の鉄砲よりも性能が高い始末である。

更に厄介なことに、インドのように内部分裂を図ろうとすると、急に団結して外敵に構える柔軟な政治力さえ持ち合わせている。歴戦の猛者に鉄砲まで備え、政治的にも油断できぬ領主が数多いる戦国時代の日本では、これまでの国々のように武力制圧は不可能だと思わざるを得なかった。

そこでキリスト教の宣教師による精神的支配を試みるも、警戒心の強い秀吉や家康といった武将に見抜かれて追い出されてしまった。ポルトガルと世界を二分化して支配する野望は、ここに途絶えてしまったのが16世紀世界最大の侵略国家スペインであった。

平和を守りたいならば、平和を守る覚悟、すなわち戦う覚悟を示すことが最も重要である。ただし、話し合いの窓口を必ず残しておくこと。場合によっては屈辱的な話し合いであっても、血みどろの殺し合いよりはマシなこともある。

私はナマケグマなので、平和な暮らしがなにより大事。でも、それを守るためには戦う覚悟が必要なことぐらいは知っています。平和への祈りを全否定はしませんが、所詮はポーズに過ぎません。

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解散命令

2025-04-08 09:05:27 | 社会・政治・一般

自由とは、欲望の正当化のためにあるのではない。

私は宗教や神を不要だとは考えていない。人が人治を超えた苦難に遭遇した時にこそ神にすがり、心の平安を取り戻す。神は完全ならざる人間にとって微かな希望となりうる存在である。

人が論理を極め、検証と反証を繰り返して創り上げた科学は、残念ながら万能ではない。これまで積み重ねてきた労苦を一瞬で絶望に追いやる残酷な現実。この残酷さに遭遇した時にこそ神は求められる。

どんなに苦しくとも、救いの灯が微かに見えていれば、人は驚くほどに耐え抜くことができる。

だが、この救いを求める人と神の間に宗教団体が関わるようになると、神はむしろ遠い存在となってしまう。神の後光を権威として利用する人間は、いつの時代、どこの地域にも必ず現れた。

人は集団に属することにより安心する本能を持っている。そのため宗教団体は古来より必要とされてきた。人々の心に安寧をもたらしてきた実績を否定することは私には出来ない。

しかし、神の名を騙り、自らの欲望を正当化するための偽りの宗教も存在する。その典型ともいえるのが半島で作られた統一教会だ。性欲と金銭欲を満たすために、悪魔である共産主義と戦うと宣して作られた邪教である。

当時は冷戦の真っ盛りであったので、一応西側陣営である南コリアでは賄賂と女を使って政界に食い込み、堂々と欲望を満たすことに成功した。しかし教祖の欲は留まることを知らず、同じ西側陣営の国々にも売り込みを図った。

しかし、あまりに露骨で低劣な活動から多くの国で、その宗教としての価値を否定され、活動を禁止された。常識で考えれば当然だと思うが、不思議と日本では容認された。マスコミが積極的に宗教批判をしない国であることも大きかったが、なによりも自民党に食い込めたのが大きい。

その手法は第一に選挙への協力だ。政治資金のみならず選挙活動に教団の人間を派遣して応援した。また冷戦時代、日本政府が対応に苦慮した左派学生運動家や労働組合潰しに勝共連合という暴力組織を暗躍させて自民党を満足させたことも大きい。

その活動の資金は、怪しい壺などの宗教グッズ販売から、信者の私有財産の没収などの詐欺まがいの行為まで、信教の自由を盾に押し通すことでアホで善良な日本国民から奪い取ったものだ。本来ならば告発すべき官庁は、買収された政治家の圧力に屈し、報道すべきマスコミは「信教の自由」に逆らう気概を無くして彼らの悪行を黙認した。

その結果が安倍首相の暗殺という最悪の結果である。

守るべき自由の意味をはき違えた政府、マスコミの責任は重いと言わざるを得ない。欲望を自由の名のもとに放置すればどうなるかが良く分かる事例でもある。そこで政府はようやく重い腰を上げ、旧・統一教会関連団体への解散命令を下すに至った。

正直言って遅きに失したと思うが、やらないよりはマシである。

もう一点、注意して欲しいのが、今回の解散命令に異議を唱えるお方々である。一言で云えば、勉強の良く出来る頭の良い馬鹿である。信教の自由という字面に囚われて、宗教を盾にした欲望の暴虐が見えないお馬鹿ちゃんでもある。

「信教の自由」を「平和と戦争反対」に置き換えても、一向に構わない。居心地の良い言葉のイメージに囚われて、現実が見えない頭が良いだけのおバカを判別する良い機会でもある。せっかくの機会なので、活かして欲しいと思います。

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イジメはないんだぁ

2025-04-03 09:25:11 | 社会・政治・一般

絶対に風化させてはいけない事件、それが4年前北海道旭川市で起きた女子中学生の自殺事件だ。

当初からイジメが原因だと疑われていたが、当の中学校の教頭、担任、同級生とその親たちが隠蔽し、それを教職員組合が支援し、遂には市役所ぐるみで隠し通そうとした悪辣な事件。

教職員組合が絡む事件だと腰が引ける左派マスゴミは当初無視していたが、このイジメによる女子中学生の自殺事件は、その卑劣さ故に徐々に拡散し、遂には文部科学大臣からの発言を引き出すほどに大きく広まった。

当初、市ぐるみで隠ぺいしていた市長は、国政選挙に打って出たが落選。新たに市長に当選した今津氏は、新たな調査委員会を立ち上げ、ようやくイジメがあったことが報じられた。

しかし、イジメ関係者の抵抗は根強かった。あくあでイジメを認めず、関係者を逃がすことに終始した。イジメはないとして、断固として責任を認めなかった。それは今も変らない。そう分かったのが北海道のHBC放送が報じた元校長へのインタビューであった。

なにが「適切な対応」だ。十代半ばの女子中学生を自殺に追い込んでおきながら、よくぞ「適切」なんて言葉を使えるものだ。このような人間が校長先生を務めていた学校でイジメが横行するのは必然といって良い。

更にそのイジメを隠蔽する教職員組合、教育委員会、市役所、そしえイジメ加害者の関係者たちが罪も問われず、今ものうのうと生きている町、それが旭川市。

もちろん全ての住人が同じではないのは分かります。旭川市を愛する故郷だと認識している人たちもいるのは承知しています。

でも、どんな状況になっても旭川市には住みたくないし、絶対に子育てには向かない町だと断言できます。別に私一人が粋っている訳ではなく、現実に旭川市の流入人口は減りつつある。当然だと思います。イジメによる自殺追い込みを黙認する町に誰が住みたいと思うでしょうか。

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高校の無償化

2025-03-28 09:10:28 | 社会・政治・一般

私が十代の大半を過ごした街である三軒茶屋は、わりと外国人の多い街でもあった。

なにせ韓国人居留区があり、朝鮮学校もあった。でも小学生の頃は普通に近所の遊び仲間として健やかに過ごしていた。ちなみに日本語でお喋りし、遊びのルールも我々と変わらなかったと記憶している。親御さんとも普通に挨拶していたし、銭湯などで会うことも多々あった。差別とか対立もなかった。

でも、今にして思うと、それはご近所さん同士だったからだろう。商売の絡みもあり、対立するよりも円滑な関係であるほうが互いに良かったからではないかと思う。

状況が変わったのは中学進学以降だ。私が進学したS中学の隣には朝鮮学校があり、その境界である壁の上にはわざわざ金網が張られていた。私たちが校庭で行われる入学式へ向かうと、壁の向こうから盛んに騒ぎ立てる。金属パイプで金網を叩く奴らもいた。凄い迫力だったと記憶している。

気が付いたらかつての遊び仲間は離れてしまい、挨拶さえ出来る雰囲気ではなくなっていた。S中学は区内屈指の不良中学と云われたが、先生たちが怖すぎて校内ではどの生徒も大人しくしていた。腕っ節の強い先生ばかりで、ちょっとでも粋がれば、文字通り袋叩きにされた。私も数回、保健室に運び込まれた口である。

だが放課後は別である。なまじ悪のS中などと云われていたせいで近辺の大人たちの監視の目が厳しい。なかには博徒系の怖い人たちもいて、とてもじゃないが地元では悪さは出来ない。それでも近隣の中学生同志では、しばしば揉め事が起きる。困ったことに、それを肴に酒を飲んで監視している大人がいる始末である。まぁ道具を使わない素手の喧嘩なら見過ごしくれたが、汚い喧嘩はすぐに止めに入ってきた。

ちなみに自転車で巡回している警官たちは、私らが喧嘩を終えてからのんびりやってきて、偉そうに説教かましてきた。変な街ではあるが、そのせいで大怪我するような喧嘩は滅多になかったと思う。

ただし例外があった。それが朝鮮学校の生徒たちとの喧嘩である。一応、地元では関わり合うことは避けたが、少し離れると衝突することがままあった。なにせ連中は道具持参である。木刀や金属パイプ、自転車のチェーンと危ない道具を隠し持っているので、素手では圧倒的に不利である。だから逃げるが勝ちとなる。

でも囲まれてしまい逃げ切れない時もあった。私も一度だけ逃げそびれて袋叩きの目にあったことがある。滅茶苦茶にぶっ叩かれて失神したのだが、気が付いたら公園のベンチに寝かされていた。痛みに耐えながら起きると、戻ってきた仲間の肩を借りてその場を立ち去った。警察の事情聴取なんて真っ平ごめんである。

不思議なのは、誰が私をベンチの上に寝かせたのか、だ。仲間に訊くと、武器をもって戻ってきた時には既に朝鮮学校の連中の姿はなく、私だけがベンチに寝かされてという。はて?いつからそんな親切になったのだ。大概人目に付かない場所に放り出されるだけなのだが。

憶測になるが、襲ってきた朝鮮人のなかにかつての遊び仲間がいたのだろうと思う。それ以外、考えられないからだ。いささか複雑な思いではあるが、集団心理は分っていたので、近所にまだ済んでいた遊び仲間に直接問うようなことは避けた。

私は中二の冬には真面目っ子になり、そうなると朝鮮学校の連中から狙われることはなくなった。塾通いで忙しくて、夜遊びをしなくなっていたので接点がなくなっただけだ。やがて高校に入り山登りに夢中になり、ますます夜遊びから遠ざかったせいで、悪ガキ仲間とも疎遠になり、朝鮮学校の連中とは一切かかわらなくなっていた。

そして高校卒業とともにその街を離れ、数十年がたった。バブル期の再開発のせいで三軒茶屋は見知らぬ街になり、韓国人居留区も朝鮮学校もなくなっていた。小綺麗なマンションと、閉店した小売店が寂しい街になってしまい、私はますます足が遠ざかるようになった。

その頃になると社会人として落ち着き、退職後の人生を考えるようになったかつてのクラスメイトたちから誘いがあり、時折飲み会に参加した。悪ガキ仲間も親になり、人並みの暮らしをしていることに妙に安堵したものだ。

悪ガキ仲間の一人が、嫁さんが私のことを知っていると聞き、よくよく訊き出すと小学生の頃に私がその嫁さんの実家に遊びに来ていたことがあったそうだ。ちなみにその嫁さんは南コリアの方であり、当然に朝鮮人学校にも通っていたそうだ。

その次の飲み会の時に、その嫁さんも連れてこられて挨拶した。かすかに覚えている女の子であった。兄貴はどうしていると尋ねると、今はアメリカで市民権を取って暮らしているそうだ。ちなみに妹さんも彼も日本国籍に変更しているとのこと。やはり、あの日本人拉致事件が公表されたことが大きかったそうだ。

その時聞いた朝鮮学校の話が凄かった。毎朝、教室に飾られた金日成とその息子の写真に敬礼し、授業はもっぱらコリアの尊厳と日本人への反感を募らせることに重点が置かれているそうである。はっきり言って学校ではなく、コリアのための私塾ではないかと思う。

他にもいろいろ聞かされたが、一番印象的だったのは疑問に思ってもそれを口に出せる雰囲気ではなく、気が付いたら教わることが当然の真理だと信じ込んでいたことだった。彼女にせよ、今は国外にいる兄にせよ、そのおかしさに気が付いたのは、あの小泉政権の時の安倍外相が拉致日本人を連れ戻した時以降だったそうだ。

今までの朝鮮学校で教わった真実が崩れ去った瞬間であり、洗脳が溶けた瞬間でもあったという。彼女の両親や親せきの中には疑心暗鬼に陥り、相当な諍いが生じたそうだ。しかし、長い物に巻かれる安堵感は捨てがたく、再び元の反日思想にしがみついた人も多かったそうだ。

ただあの拉致事件が明らかになって以降、総連や民団を抜ける人が増えたのは間違いなく、彼ら兄妹もそのタイミングで日本に帰化したそうだ。ただ兄(私の幼馴染)は総連及び朝鮮学校への怒りと喪失感に耐えがたく、最後は日本を出国してアメリカに渡ったとのこと。

おかげで私は再会を果たすことが出来なかった。

現在、石破政権において高校の無償化が実施されようとしており、その対象に朝鮮学校を含めよと騒ぐ人たちがいる。断言しますけど、あれは日本の学校法に定める教育機関ではありません。せいぜい言って私塾です。根本的に日本のためにならない存在です。

差別の問題でもなく、人権の問題でもありません。日本の税金の補助を受けたいのならば、日本の法律の定める教育内容に従うべきです。それが法治というものです。まぁ人治国家の人たちには理解しがたいのでしょうがね。

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財務省を解体しても解決しない

2025-03-21 12:37:00 | 社会・政治・一般

明治維新により徳川家を江戸から追い出した明治新政府ではあるが、すぐに困った事態に陥った。

薩長を中心に新政府を立ち上げたのは良いが、全国を統治するノウハウを持っている家臣が皆無に近かった。大久保や西郷は命令を下せばよいと思い込んでいたが、その命令を実行するのは中核を担う家臣である。

薩摩や長州の小さな地方政府ならば、なんとか切り盛りできたが、全国を統治する行政を担える人材はいなかった。困った大久保は、江戸城を追い出された御家人たちを再雇用したが、肝心の中核を担う役割を負っていた御家人たちは、徳川慶喜と共に静岡に転居していた。

そこで止む無く大嫌いな勝海舟に膝を屈して、彼らを江戸に連れ戻して新政府への協力を依頼した。これでようやく明治新政府は統治機能を得ることが出来た。このあたりの事情は教科書はもちろん、歴史書にも記載されていないが、筆まめな勝海舟が記録してあったので、後世の歴史家の貴重な研究資料となっている。

今も全国各地で散発している財務省解体デモだが、彼らはおそらく分っていない。国家予算を管理する機能を担う財務省官僚は必要不可欠な存在であり、他の官庁から人材を寄せ集めてもたいして役に立ちはしない。解体して解決する問題ではないのだ。

だが気持ちは分からないでもない。バブル崩壊を含めて、ここ30年の日本経済の低迷の責任は霞が関の官庁にこそあるからだ。そのことに気が付いてきた人が増えてきたのならば喜ばしいが、デモに参加した人の大半は最近の不満の捌け口程度だと思う。

このような事態に陥った真の原因にこそ考えを及ばすべきなのだ。

私は政治が無力だとは思わないが、日本の政治は事実上官僚の手に握られてきたのは確かだと思う。本来は三権分立のもと、立法(国会)行政(官庁)司法(裁判所)により運営されるはずだが、官僚が事実上立法の手助けをするふりして主導しているのはご存じだと思う。また司法すらも行政追随なのは、議員定数の矛盾さえ解決できぬ現状が、逆説的に証明してしまっている。

かくも強大な権限を行使してきた官僚だが、その結果責任をとることはない。妙に思われるかもしれないが、権限を用いて政治を動かしても、その結果については決して責任を負わない。このおかしな慣行は、日露戦争以来定着してしまい、以降太平洋戦争の敗北でエリート官僚たちが追放されたのを唯一の例外として、今日に至るまで変わることのない不変の原則である。

もちろん官僚たちは、そう考えてはいない。内部考課において失敗を考慮していると反論する人はいる。しかし、主権者たる国民の監視のもと、その失敗を認めたことはない。あくまで役所内部における内々の処理に留まるのが彼らの失敗後の対処である。

この内々で誤魔化す癖は、別に官僚に留まるものではなく、日本社会全般に横行していることは自覚して欲しい。そして敢えて言おう「連帯責任は無責任」だと。実は役人は失敗を忌み嫌う。人事考課の基本が減点志向であるからだが、失敗を認めるよりも、失敗を認めない、失敗を認識しないと誤魔化す方が多い。失敗がないのだから反省する必要はなく、改正の必要もないと。

これは財務省だけでなく、日本の公務員だけでもなく、日本人全般に見られることは自覚して欲しい。だから、財務省を解体しても、結局他の誰かが同じことをやらかす。

もう一つ、理解する必要があるのは、役人は嫉妬深いということだ。

この30年民間の可処分所得は減る一方である。デフレに真摯に対応することを避けた財務省が主たる原因ではある。ただしエリート官僚の生涯賃金は増えている。ただし現職の官僚である間は、民間よりも少ないことが多く、辛うじて退職金を加味して民間並みとなる。

これが誇り高き官僚には我慢できない。だから退職後に特殊法人や大企業に天下ることにより、ようやくその高き自尊心を満足できるだけの高報酬を受け取る。この仕組みは、役人の給与を民間並みに抑制しようとするおかしな平等志向が根底にある。

だがよく考えて欲しい。子供の頃から猛勉強を重ね、過酷な受験を勝ち抜いてようやく得たエリート官僚の座である。それなのに妙な清廉潔白幻想に踊ろされ、民間企業程度の給与に押さえつけられることが、どれほど彼らエリート官僚の自尊心を傷つけてきたことか。

また役所を退職してからようやく得られる高額な報酬も天下り先があってのもの。理想に燃えた若き日のエリート官僚の改革志向を潰すため、先輩たる元エリート官僚たちが天下り先というニンジンをぶら下げて、改革を潰して既得権を守る姑息な遣り口に耐えねばならぬ苦悩。

彼ら優秀なはずのエリート官僚は、分かっていながら改革が出来ず、退職後でなければその自尊心を満足できるだけの収入が得られない環境に置かれている。そのような環境では既得権を守ることに重点を置き勝ちで、社会の変化に対応する法制度の改革はやりたくても出来ないのが普通だある。

財務省を解体すれば良いなんて、馬鹿が考えた愚民政策、いや愚民煽動に過ぎませんよ。

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