ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

この一年を振り返って

2007-12-31 10:57:57 | 日記
今年一年を振り返ってみると、いろいろありましたが、無事に一年の終わりを迎えられて良かったと思います。やはり平穏無事な一年がなによりです。

私は自分が読んだ本の数を数える習慣がないので、何冊読んだかは分りません。今年一年に限って、一番印象に残った本は以下の通りです。

1 再読本では「山月記」 中島敦
 最初に読んだのは、多分高校生だったと思いますが、当時はあまり記憶に残っていません。やはり病気をして、それなりに苦しんだことで、印象がまったく違ってしまいました。いろいろと思い起こされること多く、再読の楽しみを満喫できました。

2 今年初めて読んだ本では「屍鬼」 小野不由美
 S・キングの「呪われた町」の日本版の感もありますが、苦悩する吸血鬼というのも新鮮で、凄い長編にもかかわらず一気に読めることが、実に爽快でした。

3 お気楽度No1は「だめっこどうぶつ」 桑田乃梨子
 駄目な動物たちの棲む森の奥深くには、美しい神秘の泉があります。その傍らには伝説の一角獣ユニコーンが、昼間っから一升瓶抱えて、アタリメ齧りながら貴方を待っています。是非お越しください。

さて、これから家で大聡怩ナすが、未読の本の山をどれだけ削れるか・・・嬉しくも悩ましい問題です。本年も残すところ後わずかですが、ご拝読いただきありがとうございました。年明け三が日まではお休みするつもりです。それでは、良いお年をどうぞ。
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薬害肝炎救済に思う

2007-12-29 14:41:36 | 社会・政治・一般
人の血液から作られる薬が、血漿製剤だ。献血などされる血液から造られるが、もし肝炎のウィルスに感染している人の血液が混じった場合、血漿製剤の製造方法によっては、肝炎のウィルスが残ってしまう場合がある。

この肝炎ウィルス入りの血漿製剤から感染して、C型肝炎を発症してしまうことが起こった。このことは、当初は分らなかったし、誰も知らなかった。分ったのは70年代のアメリカでの研究の成果だ。旧・厚生省の役人たちはそのことを知りながら、十分な対策を採らなかった。だからこそ、薬害肝炎訴訟は国を訴えることとなった。

実のところ、人事とは思えなかった。私が難病の治療の過程で、大量の血漿製剤を使用されていたからだ。主治医も心配して、肝炎の検査を何度か行っている。幸いにも私は感染していなかった。

もし感染していたらと思うと、薬害肝炎の被害を受けた人たちへの同情の思いは強くならざる得ない。だから新聞報道を注意深く読んでいた。幸いにして、福田首相の決断により、議員立法での救済が昨日決まったようだ。肝炎が治るわけではないが、国が責任を認め、わずかではあるが金銭的救済がされるのはなによりだと思う。

それにしても、高裁判決以降も二転三転した救済手続き。今朝の産経新聞を読むと、その裏舞台が報じられていた。薬害肝炎訴訟の原告団と交渉していた与党対策プロジェクトチームこそが、その最大の阻害要因だったというから驚きだ。

プロジェクトチームは当然に厚生労働省の役人たちが参加して、主導権を握っている。彼らは一貫して、患者の一律救済を否定していた。対策費に10兆円かかると言い触れ歩き、原告団を誹謗して議員たちを説得していた。

弁護士出で頭のいい谷垣氏など、あっさり官僚の言いなりになっていた。しかし、実際の救済費用は200億あまり。多少増えることはあっても、役人の主張する10兆円には程遠い。原告団と直接会い、真相を知った福田首相も怒った。官僚を叱責してそして急遽、原告団の主張に沿うかたちでの救済案が作られることとなったと報じている。

官僚組織を守るためなら、嘘をつき事実を捻じ曲げる役人の本性を知る意味で、福田首相にはいい薬になったと思う。福田氏は頭のイイ人だと思う。そのため却って官僚を信じやすい。私は福田首相の欠点は、世論の動向や有権者の意見よりも、官僚の作成した、よくまとめられた資料を信じてしまうことだと思っていた。頭のイイ人によく見られる傾向でもある。

日本の政治は、官僚の協力なくして動かない。しかし、組織というものは、その組織が大きくなるにつれ、その組織の存在目的よりも組織の存続維持自体を求めるようになる。今回のケースでも、日本国民の健康福祉のために存在するはずの厚生労働省が、国民の福祉よりも役所の保護(責任とりたくな~い!)を優先したことの表れだと思う。

日本の与党政治家の役割は、官僚を如何に活かすかにかかっている。官僚に主導させれば、必ず前例主義が横行し、責任回避と先送りが慣例化して、小手先でお茶を濁す改革で終わる。

今回の薬害肝炎患者救済だって、もっと早く決着を付けることは可能だったはずだ。それが出来なかったのが福田首相の力量だと思うが、それでも年内に解決の道筋をつけたことは評価していい。

もし、現与党が民主党主導だった、おそらく官僚主導の決着に終わっていたのでないか。少なくとも旧・社会党と自民の連立の村山内閣なら間違いなく官僚主導で終わったと思う。次の衆議院選挙がどうなるか分らないが、少々不安に思わないでもない。

忘れちゃいけないのは、肝炎患者の社会復帰への支援。これはやって欲しい。個人差はあるが健常者の7割程度の労働なら可能なはず。行政の支援があれば雇用促進につながるし、単にお金を援助するより、働いてお金を得るほうが健全だと思う。
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「目指せダウニング街10番地」 ジェフリー・アーチャー

2007-12-28 11:32:20 | 
小説家って奴は、いい意味で嘘つきだ。フィクションは当然だが、ノン・フィクションでさえ書き手の誇張や修辞といった嘘が加味される。

優れた小説家は、その嘘を見破られることなく、まるで本当にあったかのごとく書き上げる。小説家の作り上げた虚構の世界だと分っていても、気がついたら信じ込むが如く読み進んでいる。こんな優れた小説に出会える喜びこそ、本好きの本懐だと思う。

だから小説家の嘘は許せる。困るのは政治家の嘘だ。政治家もまた嘘をつく。未来への理想であり、過去への認識であり、現在の在り様について平然と嘘をつく。

政治家の嘘が恐ろしいのは、嘘を真実として既成事実化させる力を有しているからだ。とりわけ我が国では河野(その場しのぎ)・元官房長官による従軍慰安婦発言や、村山(おおぼけ)・元首相による戦争謝罪など、その発言の重みが分っていない愚人による思慮なき発言が、何時の間にやら真実としてまかり通っている。

無知的確信犯の村山はともかく、河野に至ってはその場をしのぐための誤魔化し発言だから性質が悪い。おそらく日頃から有権者に嘘をついて誤魔化すことが常習化しているので、罪悪感なく、将来への禍根となる心配すらせず、なにより事実関係すら調べずに発言したのだろう。

私が学生の頃は、どちらかといえばタカ派のイメージがあった河野だが、権力の座の味をしめ、いつのまにやらハト派というか、媚びへつらい派に転向したらしい。新自由クラブからの出戻りの苦労は分るが、平和愛好自虐市民派連中から褒められたのが、そんなに嬉しかったのか?

もっとも状況次第では、いとも簡単に過去の自分の発言を魔キことも平気でするだろうと思う。口先だけで、その場をしのごうとする政治家なんて、そんなものだ。

だから、どうしても政治というものを軽視して、蔑視する気持ちが生じがちとなる。実はこれは非常に良くないことだ。その場しのぎの嘘をつきまくる政治家がいるのは、それを見逃す有権者あってこそだからだ。なにを言おうと、予算(公共事業)さえもってくればイイという有権者もいるだろう。政治なんてクダラナイと考えて、選挙にいかないことで、却ってクダラナイ政治家をのさばらす有権者もいるだろう。

いずれ、そう遠くないうちに国政選挙は行われると思う。政治なんてクダラナイなどと思わず、選挙には必ず行くべきだと思う。アホな政治家をのさばらせないためにも、行かねばならぬ。投票したい奴がいなければ、一番当選しそうもない候補者にいれるのもイイ。白紙投票だってイイ。国民の意思表示の機会は、そう多くない。是非とも活用すべきだと思う。

それにしてもジェフリー・アーチャー。小説家として嘘をつき(大歓迎~♪)、政治家として嘘をつき(こっちは問題だが)、それでも人気は落ちない。たいしたもんだ。
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「21世紀(この国は買い、この国は売り)」 ジム・ロジャース

2007-12-27 11:38:51 | 
株には痛い目にあっている。

新入社員の頃、証券会社の外交員に勧められるままに安易に株を買っていた。わかったような振りして買っていたが、当時ろくに決算書も読めなかったし、罫線読みも知らない世間知らずだった。

二年後に退職したときも、株のことは念頭になく、気がついたら買値を割り込んでいた。病気療養中に税理士試験に挑むため、その資金として止む無く株を売り払ったが、売却損であったことは言うまでもない。以来、どうも投資には苦手意識がある。

そんな私でも、ジム・ロジャースの名前は知っていた。白状すると、かなり胡散臭いと思っていた。表題の本は、彼がオートバイで世界を駆け巡った旅行記だ。

アイルランドに始まり、ヨーロッパ、中央アジア、中国を抜けて一度、日本に渡り一休み。日本海をわたりシベリアのツンドラ地帯を抜けて、再びヨーロッパへと戻る。次はアフリカを縦断し、南北アメリカをバイクで縦断した大旅行だ。

前人未到のバイク旅行だと思うが、面白いのは彼がいつでも投資家の目でその訪れた土地をみていることだ。その視点には、驚くと同時に感心もする。投資家らしく市場による調整機能こそ最上のシステムだと信じているが、必ずしも民主主義至上論者ではない。政府や国家に対する醒めた目線が、その投資の根幹にあるように思う。

さらに付け加えるなら、彼は相当に歴史を勉強しているようだ。欧米のみならず、アフリカ、アジアも調べているようで、歴史的な観点から、その地を観察することを怠らない。

投資の秘訣を「損をしないこと」だと言い切り、そのためには資金を寝かすことも厭わない。投資の判断に現地の情報のみならず、歴史的背景と未来への展望を加味することを欠かさない。

この本は、オートバイによる世界旅行記なので、投資について語ったものではないはずだが、そこかしこに彼の投資哲学が覗けるのが非常に興味深い。いつか来日(時折、来ているらしい)したら、講演聴きに行ってみようかな。
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「絶望に効くクスリ」 山田玲司

2007-12-26 09:24:26 | 
人の生き様から学べることって、多いと思う。

著者は美大出身の漫画家だ。ヒット作はあるにはあるが、まだまだ一般的な知名度は低いと思う。実際、当の本人が描きたいものと、求められるものとのギャップに悩み、その苦悩の果てに思いついたのが表題の漫画だ。

著者が注目している人々との対談により、インスピレーションを求める企画なのだが、漫画によるインタビューの表現という形をとる。この形式は私の記憶では現代洋子の「おごってジャンケン隊」が最初だったと思うが、たしかに文章と写真だけによる対談集よりも表現に富んだものになるようだ。

なかでも私が注目したのが、「SLUM DUNK」「バカボンド」と超大ヒットを連発する井上雄彦との対談だ。二人は以前からの友人であったようで、あまりメディアに露出することの少ない井上氏の本音が覗けるのが興味深い。

私はスポーツ漫画の最高峰に、迷うことなく「SLUM DUNK」を挙げる。なかでも単行本の最終巻の山王戦の50ページあまりは、漫画という表現方式の頂点だと信じている。

信じ難いのは、その後「SLUM DUNK」は全国制覇することなく、また花道や流川が進級して新たなチームを作ることもなく完結したことだった。信じられない。あれほどの人気を誇った漫画を、あのような形で終わることを週刊少年ジャンプ編集部が許すなんて、在り得ない。あるはずがない現実だった。

その疑問が、この対談でようやく解けた。井上氏の妻(幼馴染み)がいみじくも語ったように、井上雄彦はいつも「一人の人」つまり個人として確立している人物なのだろう。周囲に流されることなく、自分の考えにのみ従い、その信念を断固として貫く人なのだろう。だからこそ、「SLUM DUNK」は終わることが出来た。

集団に合わせることなく、雰囲気をぶちこわしても、自らの考えを貫きとおす信念の漫画家が井上雄彦なのだと分った。その井上氏が目指すのは「人とつながること」だそうだ。

そういえば、「SLUM DUNK」の山王戦のラストは、孤高の天才・流川が花道に出したパスが決め手だった。それを引き出し、表現しただけでもこの企画は成功なのだと思う。
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