毎年、冬の寒い晩になると我が家にはなにかが出る。
築50年を超える鉄筋コンクリ造りの公営団地だけに、もしかしたら都会の座敷童ではないかと思っている。
昨夜も出たみたいだ。芯まで冷え込む寒い晩だった。私はノートPCの前に座り込んで、のんびりとあれこれ閲覧していた。すると隣の寝室から音がする。電気は消してあるはずなのに、天井の蛍光灯あたりから物音がする。
ラップ現象にしては音が小さすぎる気もするが、さりとて原因に思い当たる節がない。別になにか被害がある訳でもないので、私は気にしない。
しばらくすると、誰もいない台所から、やはり何か音がする。小さな虫がコソコソと動いているような音である。ちなみに暖房のない台所なので、気温はかなり低く、虫などが活動できる状況ではないと思う。
目の端をなにか黒い影が動いた気もするが、物音がした訳でもなく、静かな夜であることに変りはない。すると誰かに見られている気がした。周囲を見渡しても、見慣れた家具があるだけだ。
PCの画面に視線を戻すと、キーボードの上をなにかが動いている。よくよく見てみると、なんとハエトリグモであった。おいおい、2月だぞ。
この部屋は暖かいので、虫が出てもおかしくはないが、暖かいのは私が在宅中だけだ。日中の大半は不在なので、虫が活動できる温度ではないはずだ。
蜘蛛が嫌いな人はけっこう多い。でも、私はそうではない。子供の頃はジョロウグモを捕まえて、決闘をさせたりして遊んでいた。蜘蛛の巣を張る蜘蛛は、実は蜘蛛の中でも3割ぐらいで、大半の蜘蛛は巣を張らない。
その代表がハエトリグモである。我が家にやってきて以来、ゴキブリが激減したのは間違いなくハエトリグモのおかげである。だから私は、このクモが家の中を自由に闊歩することを容認している。
それにしても今は冬である。まずゴキブリはいないはず。そうなるとイエダニを狙っているのな?ハエトリグモは餌がなければ、すぐにいなくなるので、居るということは餌があることを意味している。ダニの根絶は難しいからなぁ~
まぁそれはいい。しかし小指の爪よりも小さいハエトリグモである。蛍光灯を叩くような音を出せるはずもない。すると隣室の奇妙な音は、いったい何なのだ?
やはり座敷童かなぁ?別に実害はないので放置しているけど、気にならない訳ではない。ただし一点注意が必要だ。こんな夜は、日ごろ忘れていたことを夢に見ることが多い。
思い出して嬉しい夢もあれば、そうでない夢もある。夢なので詳細に思いだせる訳ではないのだけれど、目覚めが違うんだよね。はてさて、明日の朝はどうなることやら。
歴史は勝者によって刻まれる。
勝ったものこそ正しい。負けたものの主張なんざ何の価値も見出せない。その通りだと私は思う。でも、過去になにがあったかは把握しておくべきだと思う。
臥薪嘗胆ではないが、過去の敗北を屈辱と思う感情は自然なものであり、知らないふり、忘れたふりはむしろ不健全だと思う。
なにも復讐しろと煽っているのではない。過去に何があったかを認識したうえで、同じ思いを子孫に味あわせない為にも、過去をしっかりと理解するべきだ。
ただし、現状正しいとされるのは勝者の理屈である。この勝者の権利に盾突くのは安易にするべきではない。裏で牙を磨きながらも、表向きは面従腹背の姿勢を崩さないことが肝要だ。
それが出来ないお馬鹿が隣の半島にいるので、反面教師として欲しい。
繰り返すが歴史は勝者によって書かれるものだ。しかし、その書かれたものが真実であるかどうかは別問題だ。
歴史上卑劣さと悪辣さで勝者となったものが紳士の国を気取る偽善ぶり。醜さと欺瞞を文化で覆い隠したが故の芸術の国、それを知りつつ見て見ぬ振りをして尻尾を振る醜さ。
人類の歴史は裏切りと搾取と傲慢により描かれてきた。その上澄みだけを切り取って勝者は自らの栄華を正当化しただけだ。美しい水面に隠されている水底に穢れた汚物があることを忘れてはならない。
暗かった町を明るく変えた街灯の油は、クジラを殺して、脂身を絞って作られたものである。美しいレンガ造りの街は、故郷から攫われて異国で重労働に喘ぐ黒人奴隷たちの血と涙が源泉である。
華やかな舞踏会を彩る美しいドレスと食卓を彩る美食の数々は、子供や老人の辛苦を土壌に生み出された。プロシアのビスマルクは鉄と血によって国家は作られると豪語したが、その鉄を掘り出し燃やす原材料は遠い異国の地の住民の血涙により産み出されたことは知らないだろう。
現代の文明は欧米が切り開き牽引してきたものであり、我が日本はその追随者である。この鉄とコンクリと電気と石油により築かれた文明は、他の文明を磨り潰し、蹴散らし、搾り取って出来たものだ。
卑下する必要はないが、そのおぞましい一端を知っておいても良いのではないかと思う。そんな一助になるのが表題の作品です。
B級は確かだが、この完成度ならば十二分に満足できる。
この映画は、巨大蟻に襲われる人間といったSFパニックもので、ホラーではない。また予算もあまりかけていないことがバレバレの安い造りである。当然に出演者もメジャーな俳優は誰一人いない。
またシナリオだって、長年のSFファンの私を満足させるようなものではない。調べたらコンピューター・ゲームが原作となる映画化らしい。そりゃシナリオに期待するのは無理がある。
しかし私は、観終わった後に満足した。もちろん細かい点では不満もあるが、それを口にする気はなかった。なにが気に入ったのかといえば、意外なことに主人公たちの成長する姿だった。
頭はいいがオタク青年のブライアンと、容姿も運動能力もあるが頭が残念なルーカスの二人の関係が良い。どちらも自分の欠点を強く認識している一方で、相手の長所を尊敬し合っている。そこにブライアンが片思いしているリサという美女が上手く絡んでいる。
ネタばれはやりたくないので、これ以上は明かさないけど、苦境を機に助け合い、本音を晒しての必死の行動は清々しい。特にヒロインのリサが敵ボスである巨大女王蟻に向かって「女王様は私だけで十分よ」と言いながら武器を撃ちまくる姿がいい。
いや、彼女決して高飛車高慢なのではなく、照れ隠しだと思うほどに、この娘イイ子。
本来、B級映画の面白さは怪物やら化け物やらがスクリーンの主役を如何に張るかがメインだと思う。余計な人間ドラマは、むしろ邪魔なことが多い。ところが本作はモンスターの暴れっぷりよりも、3人の若者たちのドラマこそが面白い。
言い換えれば巨大蟻のモンスターぶりが物足りない。だから何時もならば、ダメ出しする映画なのだが、本作に関しては、モンスターの力不足に不満を抱かせない作りであることに感心した。
あまりヒットしなかった作品ですけど、機会がありましたら是非どうぞ。
日本人の食習慣って、ちょっと特殊かもしれない。
なんでも食べるといえば、やはりシナ人だろうと思う。そのシナ人でさえ食べることを止めたのに、何故だか日本人だけが食べている食材がある。それがコンニャクだ。
コンニャク芋の原産地はシナの南部からミャンマー、ヴェトナム界隈の山岳地帯である。日本にはかなり古くから入ってきた食材だが、はっきりと資料が残っているのは推古天皇の頃だ。その前にも入っていたらしいが証拠はない。
どうも仏教と共に入ってきたらしいのだが、当時は精進料理の食材としての扱いであり、後になると漢方等の薬剤としても利用されている。
もっとも現在もコンニャク芋を商用食材として活用しているのは日本だけだ。シナ深南部の少数民族などが自らの食用に供していることもあるかもしれないが、ほとんどの場合かの地では、工業用原材料などに使われている。
そのせいで輸出食材としては非常に値段が安い。日本ではコンニャク生産農家を保護する目的で、かなりの高関税が掛けられている。でも食べるのは日本だけだぞ。
実はコンニャク芋は毒性がかなり強い危険な食材である。丁寧に加工しないと食べられない。これが手間で、おそらくシナでは食べられなくなったと思われる。ところが日本だけは頑固に食べ続けた。
ちなみに黒いコンニャクと白いコンニャクがあるが、これは加工方法の違いによる。また関東ではシラタキ、関西では糸コンニャクとして売られているが、これはほぼ加工方法の違いだけで、事実上違いはない。
コンニャク芋の生産は、ほぼ群馬県が一手に握っているが、生産拡大を目指して輸出を思案している。ところが、これが難航している。過去には食べていたはずのシナの人でさえコンニャクには拒否反応を示す。ちなみに国内の中華料理店では日本人に合わせてコンニャクを使う店もあるが、本来は使わないそうだ。
いわんや西欧の方ともなると、まず食材として認めてもらいない。無理に試食してもらうと「スライミー~!」(スライムみたいだぁ)と悲鳴を上げる始末である。東南アジアや中近東でも評判は散々である。
ちなみにダイエット用で知られるコンニャクゼリーもあまり芳しくない。ほぼ日本が独占しているのが実情だ。私はコンニャクはあまり使わないが、それでも空腹時に便利なので、球コンニャクは常備してある。シラタキは肉じゃがなどで使うから、案外と食べているのだろう。
それにしても、現在シナ深南部の少数民族を除けば日常的に食べているのは、ほぼ日本人だけだとは思わなかった。ちょっと驚いたな。
二十歳の頃、私は登山に夢中だった。
生涯かける価値のある趣味だと思っていた。まさか数年後にその夢を奪われるだなんて考えてもいなかった。難病がこれほど恨めしいものだと知りもしなかった。
白状すると、衰弱して長く病に伏せていても、再び山に登り出すことを諦めるのは難しかった。完全に断念したのは、社会復帰を果たしてからだ。当時は絶対に弱音を吐いてたまるかと依怙地になっていた。
でも苦しかった。歩く速度が明らかに遅い。走るなんて以ての外であり、ふらつく身体を必死の思いで支えていた。走るのが嫌いだった私は、走ることに恋い焦がれるなんて思いもしなかった。
諦めざるを得なかった。私の身体の衰弱は、日常生活を普通に送ることさえ困難なものである現実が、私の心を打ちのめした。それでも、まだ自分に出来ることはある。せっかく苦労して身に付けた資格を活かして生きていくことに集中するしかなかった。
だから、自分の部屋の本棚を埋め尽くしていた本を、皆段ボールに詰めて押し入れの奥に仕舞い込んだ。年末に大掃除をした時、その段ボールを見つけた。もう、いらないものばかりなので、捨てる積りだが、古本屋に売れるものもあるので、時間をかけて選別している。
その中に大学ノートがあった。なにかと思い、開いてみると自宅での病気療養中に図書館で調べて、身体が元気になったら登りたい山のリストアップと下準備が記載されていた。
オレ、こんな事していたのかといささか呆れた。同時によく忘れたものだと自分の能天気さに感心した。当時はインターネットなんざないので、調べものがあれば図書館に行くか、神田の古本屋の店主たちに訊ねるかしていた。
そのなかに、世界一危険な山と私が書き込んだページがあった。読みながら、我ながら良く調べたものだと感心した。多分、毎日寝てばかりの鬱屈した気持ちを晴らすためにやっていたのだと思う。
エベレストより難しいと言われるアンナプルナ山とか、非情の山K2、ネパールの恐怖ジャヌーなんかを調べている。はて?寒いのが嫌いで、冬山登山を嫌がる私がなんで、これらの高所登山の難関ばかり調べていたのだろうか。当時の自分の心境が分からない。
ページをめくっていくうちに目についたのがレーニア山。これは覚えている。セント・ヘレナ山に連なるカスケード山脈の最高峰4392メートルの成層火山である。
アメリカは西海岸ワシントン州にある山だ。全米屈指の難峰として知られている。メモ書きに死者800人超とある。そうそう、この山は遭難者が多いのでも有名だったはず。たしか当時、谷川岳よりも死者数が多いと知って驚いた記憶がある。
もう30年近く前のことだから確認しようと思ってネットであれこれ検索したら驚いた。レーニア山に対する否定的な情報がほとんどない。はて?30年前に調べたあの数百人の遭難者は、いったい何だったのだ?
推測だけどけっこう観光を売りにしているので、遭難死者数などの否定的なデーターは隠しているのだろうか。でもアメリカはそのような情報操作はしないと思う。多分、30年前の私の調べがおかしいのだと思う。
ただ、このレーニア山が難易度の高い山であるのは確かだ。なんといっても体力が必要な山で、私が調べたところ体力が充実している時にこそ登るべき山だと書かれていた。特にリバティリッジと呼ばれる山稜は、氷結と強風で遭難が多発するのは確かなようだ。特に大雪が降った時は、進も退くも困難となる難易度の高い山として警告されている。
私のノートには、航空料金やら登山ガイドやらの料金を書いたりしてある。当時の私はけっこう真剣にこの山を登ることを検討していたらしい。そこまで執着しているとは思わなかった。あの頃の私は、こんなことを調べることで、病苦から逃れようとしていたのだと推測できる。
ちなみに2020年現在、世界で最も遭難死者数の多い山は、日本の谷川岳である。
ただ、この情報は補足が必要だ。谷川岳は夏の時期に稜線を登るだけならばハイキングコースである。ただし、日本海から太平洋側に風が通り抜けるルートにあたるため強風には覚悟が必要だ。
また世界屈指の豪雪地帯であり、谷川岳周辺では積雪5メートル以上は珍しくない。冬山登山の対象としては、体力面も含めてかなり難易度が高いのは確かだ。あの細い稜線上で、吹雪によるホワイトアウトなんぞに遭遇したら恐怖で動けなくなること請け合いである。
でも谷川岳を世界一の遭難死者数で有名にしたのは、普通の登山者ではない。谷川岳南面の一ノ倉沢を中心にした岩稜地帯に挑むクライマーたちが、遭難者の大半を占める。
この一ノ倉は、登りがいのある岩壁である。多分、日本国内では最大の岩壁だと思う。もちろん穂高周辺や、剣岳周辺の岩場も大きいが、一ノ倉ほど危険ではない。
私も森政弘氏の登攀教室に参加して何度か登っているが、あの迫力には身震いする。一ノ倉が人気の理由の一つは、アプローチが容易だからだ。岩壁下部まで車で行ける。駐車場で車を降りて、見上げた一ノ倉の岩壁の凄味は、観た人にしか伝わらない思う。下部まではスニーカーでも行けるので、観光がてらに観に来ると良い。首が痛くなるほど、見上げてしまう迫力は国内屈指の眺望だと思う。
もっともそれは夏のシーズンだけ。豪雪地帯で強風が吹き荒れる冬の一ノ倉は、死の関門でもある。太陽の輝きを受けて白く輝く一ノ倉岩壁は神々しいほどに美しい。でも、その美しさは死の恐浮ワとっている。
この岩壁に挑み、命を散らしたクライマーは現時点で800人を超える。文字通り死の岩壁である。登攀をやらない人からすると、なぜにそんな愚かしいことをするのかと思う。
でもあの恐ろしい岩壁に挑み、乗り越える悦楽はこの世のいかなる娯楽をも超越した至福の心境をもたらす。死を身近なものに感じるとき、人は生きていることを実感する。死があるからこそ、生きる喜びが貴重なものに思える。
ただ幸か不幸か、かつては真冬でも登山者があふれるほど活況を呈した一ノ倉岩壁も、今ではかなり人が減っている。また技術というか登攀用具の進歩も著しく、以前よりは安全に登れるようになったとも聞いている。
それでも、あの豪雪と強風の恐怖が減った訳ではない。標高2千メートルに満たない谷川岳ではあるが、危険性は今でも世界トップクラスの岩壁を擁する。まだまだ当分は世界一の危険な山との看板は下ろせないと思います。