ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

森保Jの中国戦

2022-01-31 11:57:00 | スポーツ
次が危ないと危惧せざるを得ない試合だった。

それが先週国内で行われたカタールW杯最終予選の中国戦であった。この試合、中国はスャ塔Tー企業の経済危機でご自慢のブラジル人帰化選手が満足に使えず、中国人選手中心で戦わざる得なかった。

吉田などDFの中心選手を欠く森保Jであったが、この中国代表チームならば勝って当然であり、もちろん2≠Oで勝利して今週のサウジアラビア戦に臨む。

その試合が危うい。サウジの監督は歴戦の強者である。エルヴェ・ルナール監督といえば、先のロシアW杯でモロッコ代表を率いたイケメン監督として知られていますが、ザンビアやコートジボアールの代表監督としてアフリカの大会で幾度となく賜杯を制した名監督です。

実際、ハリルホジッチ監督更迭の際に後任に名が挙がったこともありました。この名将といってよいフランス人監督は、間違いなく現在の日本代表の試合をチェックしているでしょう。

実際、サウジのホームでの試合では、見事に日本の弱点を突いての勝利をものにしています。しかも途中で戦術変更していたと思われるので、臨機応変な対応力もあるようです。

それに比べると森保監督の経験値のなさ、対応力の低さが哀しい。森保氏本人は確固たる戦術で対応していると思い込んでいるようだが、いかなる戦術も100%はありえない。登用する選手次第で、いくらでも伸びるし、穴も空く。その見極めが稚拙に思える。

FWの柱に大迫を据えての手法も理解は出来るが、もう全盛期の大迫ではない。それはSBにも云える。ベテランを配置することでチームに安定をもたらすのは王道だが、そのベテランが足を引っ張っている場合もある。

先の中国戦でも、それはあったと思う。伊東を使ったのは良しだが、SBの交替はもっと早い方が良かった。せっかく豊富な持ち駒を持ちながら、それを使いこなせないのが森保監督の稚拙な部分だ。いや、まだ監督として未熟なことを承知の上で登用したのだから、ある意味必然なのかもしれない。

そんな発展途上の監督でも、そこそこ戦えるのは選手の質が監督を上回っているからだ。意地悪な言い方をすれば、監督の失策を選手がカバーしているように思える。

それをスリルある試合だと楽しめる余裕は、私にはない。次のホームでのサウジ戦で、私の不安を吹き飛ばしてくれると嬉しいのですがね。

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受験のストレス

2022-01-28 11:45:00 | 日記
今月初め、心臓の不整脈で入院して以来、私は週末は可能な限り静養している。

動けない訳ではないが、安静を保つことは古来より心臓病に最も有効だとされており、私もそれに同意しているからだ。また一月は寒さが厳しく、この寒さと暖かさの寒暖の差が心臓に良くないことを痛感しているからでもある。

私は怠けるのは好きだが、じっとしているのはあまり好きではない。だから静養といいつつ、洗濯してアイロンかけたり、水回りの磨き聡怩オたりと結構動いていた。

その間、BGMでラジオを流していたのだが、私の耳に飛び込んできたのが東大の受験会場で起きた惨劇である。また八つ当たり犯罪かと思ったが、詳細がよく分からないので、夜になって落ち着いてからネットで事情を確かめた。

どうやら優秀だった高校生が、成績低下を悩み、なにを想ったのか名古屋から東京まで出てきて、念願だった東大の受験会場で凶行に及んだようである。

いかなる事情でそこまで追いやられたのかは、その時点では不明であった。その後、週刊誌や新聞などの後追い取材で、次第に家庭事情や高校での姿が露わにされているようだ。

嫌な事件だね。

だが、これは別に新しい事件ではない。私が高校生であった1980年にも神奈川で金属バット殺人事件があった。やはり教育熱心であった両親の下で、受験のプレッシャーに耐えきれず、その両親を殴り殺した事件であった。

私自身、受験生となる時期を迎えており、かなり身近に感じた事件ではあった。でも正直に云えば「なんだ、この弱虫は」と犯人を蔑む気持ちのほうが強かった。

そして、何より不快だったのが、当時のマスコミに登場していた評論家とやらの「子供を追い込む社会が悪い」といった風潮であった。この一見、受験生の味方面した善人ぶりっ子が厭らしく思えてならなかった。

私とて受験に対して不安は感じていた。でも、はっきり言うと期待もしていた。なにせ中学時代、学年で下から数えて一桁台の落ちこぼれ出身である。お勉強の出来る連中から散々蔑まれてきた。しかも面と向かってではなく、陰でコソコソと悪口を言う性悪さである。

まァ面と向かって云われたら即座に殴っていたと思う。ちなみに相手が女の場合、殴りはしないが、机をひっくり返すなど乱暴を働きビビらせる程度で済ませていた。今なら立派な暴力だが、当時は「よく我慢した」と悪ガキ仲間からは褒められた。

そんな落ちこぼれ君にとって受験は名誉挽回の絶好の機会であった。そりゃ試験前に不安はあった。でも、私は当時から感じていた。受験勉強って、なんと平等で公平なのだろうと。

悪ガキをやっていれば、自然と思い知るのが世の中の不条理である。どんなに頑張ってもガタイが良くて、力が強い奴のほうが強い。たとえこちらが正しくとも、喧嘩で負ければこちらが悪いとされる。

学校のなかはまだマシだ。外に出て夜の街をうろつけば、もっと理不尽な現実を思い知る。ヤクザはもちろん、たいしたことないチンピラだって油断できない。一番厭らしいのは、優しげに近づいてくる大人であることは十代の初めに既に思い知っていた。

道理も法律もへったくれもない。力が強いものが正しい。騙された奴が悪い。弱いから悪い。不平等で卑怯で陰湿な大人の社会を早くから知っていた。

だからこそ勉強をすれば素直に結果が出る受験は、私にとって公平でチャンスに満ちた絶好の機会であった。幸か不幸か、私の母は勉強をしろとは一言も云わない人であった。金を出してくれた父は、引け目があるのか頑張れは言っても、強要はしてこなかった。

だから私は思うままに、出来る範囲で受験勉強を頑張った。もちろんプレッシャーはあった。国語や歴史は得意だったが、やはり基礎を疎かにした数学がネックだった。中一の頃から真面目に数学をやっていればと後悔した。英語は勉強すればするだけ伸びたが、やはり中学の2年間のさぼりが痛かった。

だから高校受験は苦しんだ。試験の点数は良かったと思うが、内申が悪すぎた。内申の悪さが致命的で、志望の高校はランクを落とさざるを得なかった。これは悔しかった。

それゆえ内申が関係ない大学受験は、私にとって実にありがたかった。ただ、元は落ちこぼれである。やはり遊びの誘惑には弱い。勉強疲れした隙をついて、思わず怠けてしまい現役合格には失敗している。ちなみに誘惑とは賭博、つまりパチンコであるから言い訳にもならない醜態である。

だから浪人が決定した時は後悔の思いが強かった・・・嘘ではないが、実はその後浪人中もパチンコを止められなかったダメ浪人である。幸い、パチンコ屋でトラブルを起して嫌な思いをしたので、それを機に止めている。その後は受験勉強に集中している。

私は一度決めたら断固、それを守る性癖がある。以来、パチンコには手を出していない。でも、受験浪人中の冬の決断であったから、我ながら間抜けであることは自覚している。それだけに残り2か月あまりは徹底的に勉強に励んだ。これで合格という結果を出さなきゃ大馬鹿である。

その意味でプレッシャーはあったが、それを周囲の人間に転嫁するとか、八つ当たりするような卑劣な真似はしていない。自分の弱さや馬鹿さ加減で失敗したのなら、それは自分が悪い。その程度の覚悟はあった。

だから金属バット殺人事件にせよ、今回の東大受験会場の殺傷事件にせよ、犯人に対する同情心は全く持ち合わせていない。

それでも子供に大学合格といった目標しか与えられなかった親の教育に対する疑念はある。私は落ちこぼれ出身だけに、別に学歴に拘らなくても生きていけることを知っていた。事実、私はその方へ進むつもりであったから。

別に大学を否定している訳ではない。ただ、人生における一つの進路に過ぎないし、戦争や大災害など環境が変われば無効化する進路となる可能性も認識していた。その意味で、大学進学一直線の真面目君とは、心持が違ったのは確かだ。

人生、なにをやっても、どんな生き方を選んでも良いはずだ。そのなかで、一つの有力な進路が大学進学であるだけだ。なんで、加害者の親はそれを子供に教えなかっただろうか。その点が少しモヤモヤします。
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極超音速兵器

2022-01-27 15:38:00 | 社会・政治・一般
台風でも火山噴火でも、その実態を正しく知ってこそ適切な対応が出来る。

それは戦争とか兵器についても同じこと、なはずなのだが妄想平和主義に取りつかれた日本では奇妙な反応をすることが多い。

最近わりと話題に上がるのが、極超音速兵器である。

一応、定義としてはマッハ5ないし7以上の超音速で飛行するミサイルなどを言う。あまりに速いため、従来のレーダー等では対処が難しいのが売りである。

なんだか最新兵器のように聞こえるが、20世紀半ばから散々云われていた大陸間弾道ミサイルは、当時既にマッハ15以上で高層圏を飛行していたから特段に目新しい訳ではない。

主にロシアやシナ、あげくに北コリアなども実験するものだから、軍事音痴の日本のマスコミが妙な記事を垂れ流している。困ったものである。

たしかに超音速で飛来するミサイルを迎撃するのは難しい。最新の迎撃システムでも対応しきれないらしい。その意味で脅威に感じるのは間違いではない。

しかし、この極超音速兵器の難しいところは、その速度の速さではない。如何に命中させるかが一番難しい。高度な電子制御機構がなければ、絶対に目標物に命中させることは出来ない。

未だ推測の域を出ないが、アメリカがロシアやシナの極超音速兵器に対してあまり騒がないのは、対応させる手段を公表したくないからだと思う。これは一部の軍事マニアからの推論だが、その対抗手段とは電磁パルスだと思われる。

強力な電磁パルスは電気系統に多大なダメージを加える。とりわけコンピューター関連機器へは致命的なダメージであることが知られている。電磁パルスを迎撃用兵器として活用するプランは、以前から噂されいたが、現時点では未確認である。

ただ目標物に命中させるためには必須の電子制御機構が電磁パルスにより破壊されれば、ただ飛び去り燃料切れで墜落するだけである。もちろん未確認情報だから、むやみと信じる訳にはいかない。

私の記憶では、レーガン大統領時代、既に敵国の軍事衛星を無力化する武器として電磁パルスが研究されていたと思う。極超音速兵器無効化のため、この電磁パルスが使用されることは決して空想ではない。

ただその一方で、アメリカは電磁レール砲については研究を中断したとの報道もある。日本はむしろ積極的に研究を続けるらしいが、なぜアメリカが中断したのか理由が不明なのも不思議である。

軍事情報はとかく秘密主義からくる不透明なものが多い。だが長い目で見れば、ある程度推測できるものだ。その一方、日本のマスコミ、とりわけ新聞やTVは記者クラブでの資料丸投げなど適当な報道が多い。

本当に平和を願うのならば、戦争や兵器について、もっと学んでほしいものである。
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アメリカザリガニの脅威

2022-01-26 11:28:00 | 社会・政治・一般
放流厳禁!

なにがってアメリカザリガニである。現在、日本に棲息する外来生物のなかでも極めつけに凶悪な環境破壊犯であるからだ。

アメリカザリガニが池や小川、用水路などに放たれると、彼らはまず水草を切り唐キ。水草をねぐらとし、隠れていた水棲生物(小魚や昆虫)が仕方なく姿を見せる。そこを狙って彼らを喰らい尽くす。

あっという間に、その近辺に棲息していた水棲生物は絶滅に追い込まれる。アメリカザリガニの食欲と攻撃性は凄まじい。水草と水棲生物により水が綺麗に保たれていたが故に、絶滅後その水域は泥水と化して小生物が棲めなくなる。

ある程度、陸上を移動できるアメリカザリガニは他の餌場を探して拡散する。かくして、日本全国の湖水、河川、用水路などが生物の住めない泥水と化した。

あまりの被害の多さにアメリカザリガニを特定外来生物と指定して事実上、飼育などを厳しく規制することが何度も検討された。当然であろうと思うが、この規制案は議論の末、廃案になっている。

なぜなら、特定外来生物と指定されると、届け出や厳しい規制を嫌って野山に放逐する飼い主が多数いることが、過去の経験から分かっているからだ。ワニガメやアリゲーターガーといった肉食性の水棲生物が、日本各地で発見されたのは、外来特定生物として指定されてからだ。これは人災といって良い。

実はアメリカザリガニを飼育している人はかなり多い。これは彼らが他の大型水棲生物の餌として便利だからだ。そのため、もし特定指定されると、多数のアメリカザリガニが野山に放逐される可能性が高い。それゆえ、今まで規制を免れてきていた。

またアメリカザリガニは、既に日本において相当に馴染まれているため、善意で安直に野山に放逐されるケースが多い。学校の教師までもが、これを主導している場合もある。その危険性が認識されたのが、比較的最近なためである。

従って、その危険性の周知徹底と、飼い主が安易に放流しないような規制が求められていた。その結果、今国会で改正法案が提出される予定となっている。その内容は、アメリカザリガニの飼育と譲渡は認めるが、放逐は禁止とするいささか甘いものだ。

アメリカザリガニに罪はないかもしれないが、日本に連れてきて、ペットとして、あるいは餌として売り出し、今では日本の自然に馴染んでしまった。その結果として日本全国の池沼や河川を泥水化させてしまっている。

一番悪いのは人間なのだが、下手に罰則を強化すると、隠れて放逐するケースが予見されるだけに性質が悪い。ちなみにアメリカザリガニは、きちんと泥抜きなど処理をして、寄生虫を殺すようにしっかりと煮込めばけっこう美味であるそうだ。

小型なので食べられる部位は少ないが、中国やアメリカでは大人気の食材である。下手に駆除するよりも、食べ尽くして数を減らすのが良さげに思うが、なぜだか日本では流行っていないそうだ。

自然との調和って、つくづく難しいと思います。

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わくわくワーキング13巻 お~はしるい

2022-01-25 11:34:00 | 
人生に転機があったとすれば、私の場合それは大学生の時であろうと思う。

もちろん、落ちこぼれ中学生から猛勉強中学生へと変わった時や、難病により真っ当な会社員人生から転げ落ちた時も転機ではある。

ちなみに税理士試験合格は予定されたものであって、その後の生計を支える重要なものではあるが、私の中では転機だとは思っていない。あれは決められた事を暗記し、計算を反復することを十分やれば達成できると思っている。

ところが、大学で出会ったワンゲル部の連中には本気で驚かされた。上場企業の社長息子や幹部の子弟だけでなく、地方の名家の子弟がゴロゴロしていた。私が高校までまるで出会ったことのない人種であった。いや、正確には、居るには居たが、面白みがないので積極的に関わらなかった。

私の十代は、良くも悪くは「チョイ悪」な友人たちばかりと付き合っていた。法律とは破るものであり、ちょっと隙間をみつければ法の穴をくぐることに躊躇いのない連中である。もちろん私のその一人である。

ところが、大学のWV部の連中ときたら、バカかと言いたくなるほど真面目であった。よくもこんなお真面目ぶりで生きてこられたもんだと呆れたほどである。鴨が葱背負って、おまけにタレと薬味を携えて歩いているのかと本気で心配したほどである。

4月の入部から数か月、過酷な部活のせいで浪人時代につけた脂肪は、あっという間に消えて身体は絞り込まれた。走るのが大嫌いな私が、嫌々ながらも長距離を走る羽目に陥り、放課後のトレーニングの時間が来るのが憂鬱で仕方なかった。

WV部のトレーニングは1年から4年まで皆同じメニューをこなす。ある意味平等であるが、それだけに逃げ出したり、サボったりするのが難しい。お坊ちゃん育ちの同期たちも苦しんではいたが、それでも前向きに取り組んでいる。おかげで私までサボれなくなった。

これには困った。これまで運動は自分が苦しくない範囲内で楽しくがモットーだったので、吐くほどに苦しいトレーニングにはゲンナリした。更に困ったことに、同期の誰もが真面目なので、サボりも手抜きもしようとしない。

なんという息苦しい生き方だと思ったが、反面その大通りのど真ん中を堂々と生きている有様が眩しかった。日の当たる場所を、何事も恥じることなく顔を上げて生きている様が羨ましかった。

思えば私の人生は陰日向を交互に歩み、裏通りをコソコソと生きることも珍しくなかった。いや、コソコソどころか、薄ら暗い悦楽さえ自覚していたワルガキだった。自分なりに真面目に生きると決めてからも、一緒に遊ぶ仲間はチョイ悪の連中ばかりであった。まァ、彼らも全員堅気の人間ではあるが、それでも大学のクラブの同期と比べれば、けっこうな悪ガキだった。

気が付いたら、私は悪いことをほとんどしない真面目な大学生になっていた。実際、道交法違反ぐらいしかやってない。ちなみに中学から高校までは法令に違反というか、明らかに犯罪だろうってことを結構やっていた。でも狡賢かったので警察の世話にはなっていない。

厳密に言えば、大学のクラブの同期も、未成年で飲酒、喫煙などはしていたが、せいぜいその程度だ。私からすれば悪さの内に入らない。クソ真面目に生きている自分に気恥ずかしさは感じていたが、反面堂々と生きられる安堵感も感じていた。これはこれで悪くないと思った。

ちなみに半世紀を超える我が部だが、入部から卒業まで一人も欠けることなく過ごしたのは私の同期だけだ。ヘンな言い方だが、妙に気が合うというか、脳みそ筋肉系の真面目バカが揃ったせいで、部活も遊びも7人いつも一緒だった。

こいつらのおかげで、私は真っ当な堅気の道を生きられることになったと思っている。そこから零れ落ちるのが嫌で、悪い誘惑から逃れることも出来た。残りの人生がどれだけあるかは分からないが、奴らとは最後まで仲間でいたいと切望している。

それにしても、私がこれほどまでに真面目に生きられるとは思わなかった。浮き沈みの激しい人生だとは思うが、一つぐらい誇れるものがあるのもいいもんだ。

ところで表題の四コマ漫画は、実に18年も連載が続いた。仕事一筋の猪突猛進OLと、その仲間たちの6年余りを描いている。どのような結末になるか、おおよその予想は付いたが、まァ納得の完結である。

作者のおーはしるいの漫画は、いつも健全な気風に満ち溢れている。だからきっとハッピーエンドだと確信していたが、その予想に違わぬ幸せな結末には納得である。

多分、堅気になれなかった私なら、この漫画を楽しむことはなかったと思う。

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