ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

紅白歌合戦

2024-12-09 09:10:37 | テレビ

国民的歌番組として知られているNHKの紅白歌合戦。

この番組を大晦日に観て、行く年くる年を見てから初詣に行くのが平均的な日本人家庭だとされていた時代も確かにあった。でも、私が紅白歌合戦を観ていたのは中学生までで、高校生の頃にはもう見なくなった。当時は洋楽に夢中だったし、歌を聴くならばFMラジオで十分だ。

気が付いたら40年以上、紅白歌合戦を見ていない。別段それで困ることもないし、多分死ぬまで見ないと思う。でも、どんな歌手が登場し、何を歌うのかは少し関心があった。日ごろ流行ごとには興味はないが、私が知らない曲でも良いものがあるかもしれないからだ。

しかし、報道された出場歌手及び歌名を読んで首を傾げた。知らない歌手、聴いたことのない歌ばかりではないか。自宅ではクラシックかジャズが中心だが、事務所ではFM放送を常時流しっぱなしなので、ある程度ヒットしていえる曲は分かる。

でも最近の紅白は、その私がまったく知らない歌手が数多く混じっている。特に南コリアの歌手というかグループが多いのが不可解だ。確かに一部の若者にある程度人気があるのは知っている。しかし熱心ではあっても少数派だと思う。

逆に国際的にも人気があり、FM放送でもよく曲が流れていたYOASOBIやAdo、Aimerなどは出ていない。まぁベイビーメタルあたりは請われても出ないでしょうけど。替わりに私が全く知らない歌手や曲が多いこと、多いこと。

いくら私が流行音痴でも、この出場者、選曲はないと思う。これでは毎年のように視聴率が低下するのも必然だ。

これはレコード大賞などにも言えることだが、人気がある歌手、曲ではなくTV局が売り出したい歌手、曲を押し込むやり方は、むしろ逆効果ではないかと思う。うろ覚えだが、90年代ぐらいからTV局、出版社、広告代理店などがタイアップして、まず知名度を得るための営業活動をして人気があるようかに見せかけての遣り口はあったと思う。

ちなみにKポップの売り出しの方法を伝授したのが、どうも日本の音楽関係者らしいと聞いている。右に倣えの気質は日本だけでなく、半島にもあるのかと妙に感心したものだ。まぁ私は倣いませんけどね。

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私はやっぱり悪くない

2024-02-28 09:32:19 | テレビ

私は悪くない。

そんな本音が出ていたのが、日テレが4月に放送予定であった漫画「たーたん」の実写化ドラマであった。製作スタッフは「セクシー田中さん」と同じメンバーである。既に主役などの俳優陣も決まり、撮影段階に入っていたのだ。

しかし「セクシー田中さん」の原作者が自殺した件を受けて事態は急変した。知らん顔して事件の立ち消えを狙ったTV局の思惑は外れ、ネットを中心に大炎上してしまった。そんな矢先に同じ製作スタッフによる漫画原案の実写化ドラマである。日テレ上層部もほっておけなくなった。

以下の情報元は、文藝春秋の記事を主にネット上で検索したものに基づくため、フェイクが混じっている可能性があることは、予め書いておきます。ただ、内容が内容だけに、本当に事実と異なるものならば、日テレのドラマ製作スタッフの名誉を大いに傷つけるものであり、日テレは断固法的措置を取らねばなりません。しかし現時点でその動きはありません。

さて「セクシー田中さん」の原作者が自殺したことを、自分たちには責任ないとしらばっくれて、却って世間の反発を買った日テレなのだが、現場の製作スタッフも同様に全く反省なぞしていなかったことが分かってしまったのだ。

原作の「たーたん」では、ある女性が飛び降り自殺を図ろうとする場面があるのだが、実写化ドラマの脚本では、その女性が少女漫画家に変えられていたという。その変更が「セクシー田中さん」の原作者の自殺の後なのかどうかは分からない。しかし、変更する必然性は原作にはまったくないことだけは確かだ。

誰がその変更を主導したのかもわからないが、原作者ではないはず。むしろ「セクシー田中さん」の原作者に対する当てつけではないかと疑われても致し方ないと思う。日テレ上層部もそう考えたようで、最終的には放送は取りやめとなった。

文藝春秋の取材によると、その取りやめ発表を受けての製作スタッフの反応は「悔しいです」であるそうだ。原作者の意図に反して原作を改変することを悪いことだと思ってないからこその反応だろうし、自分たちは被害者だと世間とは真逆の認識でいることが良く分かる反応でもある。同時に原作者に対するリスペクトどころか邪魔者扱いしていたことがはっきり分かる。

あの自殺事件から一か月が経つが、未だに件の製作スタッフからの謝罪表明はない。それどころか主導したと思われる女性プロデューサーは逃げまくりで表に出てこない。日テレもこのままでは拙いと気が付いたのか、社内に事件を検証する委員会を立ち上げた。

しかし、普通この手の検証委員会は第三者を入れるが、あくまでその気はなく社内の人間だけで済ませている。当然に検事出身の弁護士などは入れる予定さえなかったようだ。やはり同じ穴の狢なのでしょう。外向けの発言はともかく、内心では「やっぱり私は悪くない」との思いがひしひしと伝わる醜態です。

それにしても、自分たちで自殺に追いやりながら、他のドラマで追い撃ちを掛ける遣り口には嫌悪感しか感じませんね。

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残念無念

2023-10-31 09:04:50 | テレビ

残念で仕方ない。

TBSの日曜午前中のお楽しみ、サンデーモーニングの司会を長年務めた関口宏が番組を下りてしまわれるそうだ。日本を代表する反日自虐番組として、私はけっこう楽しみにネットで視ていた。ちなみに我が家のTVはアナログなので、普通には視れないが、よく話題になる番組なのでネット上によく取り上げられていた。

特に第二次安倍政権が選挙で圧勝した時の放送は面白かった。先週の番組では、この選挙で自民党が大敗して野党の時代がやってくると期待に満ち溢れた顔をしていただけに、苦虫を嚙み潰したような関口宏の司会ぶりは、可笑しくて堪らなかった。

他のレギュラー出演者も反日自虐大好きな方ばかりなので、まるでお通夜のような雰囲気で笑ってしまった。先週はあれだけ盛り上がっていたのにねェ。

近年では正月特番で、ヒットラーを支持してしまったドイツの大衆は、結局第二次世界大戦で心身ともに傷つき、その愚かな判断を大いに悔いることになったと解説。その背景には、しっかりと安倍首相(当時)の写真を掲げ、安倍・自公政権に投票することは、ナチス・ドイツを支持した戦前のドイツ大衆と同じだと云わんばかりの番組構成であった。

私はあそこまで露骨な情報操作、イメージ操作をやっている番組を他に知らない。ある意味、最も先鋭的な反日自虐番組であり、その番組の司会者として君臨したのが他ならぬ関口スターリ・・・じゃなくて関口宏であった。

あぁ誤解なさらぬように。関口宏はかつてのTVスターであると書こうとしただけですから。

それはさておき、私は政治的には対極の立場ですから、尚更この番組は大切だと思っていました。なにしろ腐れ左翼の本音を知れる機会が激減している。あの手の輩は、表に出しておいた方が良いのです。なまじ世に出る機会がないと、コソコソと碌でもないことをやらかす姑息な輩なのです。

またあのような反日自虐番組があると、自分たちはまだまだ世の役に立てると勘違いしてくれます。いわばガス抜きの場として存在価値がある。現実を見ずに、脳内お花畑で平和の舞いに酔い痴れていたいだけの人のオアシスですから、是非とも今後も続いて欲しいものです。

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忍風カムイ外伝

2023-02-06 10:41:00 | テレビ
漫画は子供の娯楽。

そんな考え方が当たり前だったが、60年代ごろから大人向けの漫画が出版されるようになった。いわゆる劇画と呼ばれた漫画がそれなのだが、その一方、漫画を動画にしたいわゆるテレビ漫画(アニメーション)は相変わらず子供向けであった。

劇画といえば「カムイ」と云うほどに大人が読める漫画として定評があった作品だが、さすがに子供向けと見られていたTV漫画として製作されることはなかった。

そんな中で、主役の一人である抜け人カムイをクローズアップした外伝がアニメとして製作された。私はこの暗い画風のアニメがお気に入りであった。しかし、あまり人気はなかったらしく打ち切りになった。

ちなみにその後釜が「サザエさん」である。雰囲気違い過ぎだろう。

正直に云えば、私は「サザエさん」が好きではなかった。忍風カムイ外伝のような大人の雰囲気があるアニメの方がずっと良かった。白土三平の作品でTVアニメ化されたものといえば、普通「サスケ」が上がると思う。でも、私はカムイ外伝のほうが好きだった。

ただ、基本的に抜け忍カムイと、彼を追う忍びたちの殺し合いだから、PTAや親の世代には受けが悪かったのだろう。でもその後釜の番組がサザエさんなのだからギャップが酷過ぎる。

ご存じの方もあろうかと思うが、この作品は現在では再放送が出来ない。なにせ差別用語で満ち溢れているからだ。なにせ非人出身のカムイが主役ですし、片目、奇形など差別用語だらけ。

私は差別には反対だけど、このような差別語を隠ぺいするがごときやり方には賛成できない。むしろ差別が過去にあったことを隠さず、表に出した上で差別の非道さを明らかにするほうが良いと思います。

でも安易に差別隠蔽を図りたがる良心的な反差別論者が多いから、やはり再放送は難しいでしょうね。私はこの暗い雰囲気をまとった抜け忍カムイが大好きだったので、とても残念です。
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海のトリトン

2023-01-24 11:20:57 | テレビ
このアニメのオープニングソングを歌える人は多いと思う。

でも、このアニメのエンディングを覚えている人は少ないと思う。

原作は手塚治虫であり、当初は虫プロでアニメ(当時はTV漫画と呼んでいた)を製作する予定であった。しかし、経営的に苦しかった虫プロでは完成させることが出来なかった。そこでマネージャーだった西崎義展が放送局に独自に売り込み、富野由悠季の初監督作品としてアニメは放送された。

原作を読んだ富野は「ツマラン」と評して、独自のシナリオを書いてしまった。アニメ創設期には、このような乱暴なことはしばしば行われていた。しかも富野のシナリオは手塚の原作とはかけ離れた物であったため、漫画の単行本の帯には「TV版とは違います」と書かれる始末。

またアニメの作成も虫プロではなく、東映動画からスタッフを連れてきて作画しているので、画風まで微妙に違う。おかげで原作とTVアニメは似て非なるものとなっている。

あの頃、漫画やアニメは子供のものとの認識が普通であった。子供が楽しめることが第一とされ、それに相応しい作品が当然であった。しかし富野氏はそれに納得していなかったと思う。たとえ子供向けの作品だとしても、現実の厳しさ、残酷さを加味したよりリアルな作品を望んでいたのではないかと思う。

だからアニメのトリトンは、当初はポセイドン族に追われる悲劇の主人公であったのだが、最後はポセイドン族を全滅させる残酷な悪役を担う羽目に陥っている。絶対的な善と悪といった概念で納めず、立場により善悪は変るといった、より現実的なシナリオを富野氏は提示したのだと思う。

それが間違いだとは云わない。実際、子供向けの童話などでは、必ずしもハッピーエンドとは言えない物語が沢山ある。その代表がアンデルセンの童話だ。悲劇的な童話が多いが、それは将来残酷な現実に出くわす子供たちへの心のワクチンの役割を果たしている。

だが富野氏が提示した「海のトリトン」には悲劇としての残酷さ、割り切れぬ現実の難しさはあるが、アンデルセンの童話にある哀しい美しさがない。だから心に残らない。

富野氏の意図は分かるが、初監督作品である「海のトリトン」のエンディングは美しくなく、哀しくもない。その意味で私の評価は低い。率直に言って、手塚治虫の原作の方がまだ子供向けとしては上だと思うのです。

いささか厳し過ぎる評だと自覚はしています。ただ、幼い子供の心には残らないとしても、十代以上の若者には強く印象に残ったのも確かです。私の知る限り、視聴者が主体となってファンクラブが出来た最初のアニメが「海のトリトン」なのですから。
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