もし、仮にだ。私が死んだ後にある作家が悪意をもって「恐怖の悪霊ヌマンタ」なんて本を書かれたら困るな。
なにせ、この悪霊は性質が悪い。平和を愛する善良な市民の耳元で「憲法9条なんて役に立たないぞ」なんて酷い科白を囁いて、心の平安を妨げる。
きっと、この悪霊は心の拗けた、荒んだ性根の持ち主に違いない。裏で後ろめたいことをやっているような輩こそ、殊更偉ぶるものだ。
そうだ、きっとそうに違いない。だからこそ、私のような平和を愛する善良な市民が嫌いなんだ。よう~し、どうせ死人に口なしだ。私がヌマンタの悪事を暴き出し、世にさらしてやる。
どんな奴だって、多少の欠点や失敗はあるものだ。その点を芸術的に誇張して、恐怖の悪霊を作り上げてやる。そのほうが世間の評判にもなりやすいしね。
かくして恐怖の悪霊ヌマンタは、22世紀の未来において、子供たちから恐れられる悪辣非道な怪物として暗躍するようになる。
冗談ではないと思うが、自分の死後になってからのことなんて、自分ではどうしようもない。化けて出ても手遅れというか、むしろ逆効果かもしれない。
実際にこのような目にあったのが、15世紀のバルカン半島、ワラキア地方の領主であった、ヴラッド・ツッペシュである。この名前を知らなくても無理はない。しかし、今日では世界的な有名人である。
なぜなら、ブラム・ストーカーの古典的ホラーの名作「吸血鬼ドラキュラ」のモデルとされた人物であるからだ。もちろん、実際のヴラッド・ツッペシュは、人の血を吸ったりはしていない。
だが、多くの血を流した強圧的な領主であったことは確かだ。なにせ攻め入ってきたトルコ軍を撃退したのはともかく、その捕虜2万人あまりを串刺し刑に処し、街道沿いに並べておいた。それを見たトルコ兵が恐怖することを期待しての蛮行である。
これでは、吸血鬼のモデルとされたのは仕方ないと、私も表題の本を読むまで思っていた。この本は、ワラキア公ヴラッドに対する正当な評価を求めたルーマニアの歴史家の手により書かれている。
だから必然的にワラキア公を擁護する内容になっているが、その点を勘案しても、やはり吸血鬼ドラキュラのモデルとされたのは気の毒としか言いようがない。
なにせ時は15世紀。東ローマ帝国を滅ぼし、破竹の勢いでヨーロッパへの野心を隠そうとしないオスマン・トルコ帝国の前に立ち塞がったのが、ワラキア公ヴラッドだ。
進軍してきたマホメット2世を撃退し、トルコ兵へ恐怖を刻むため捕虜2万人を串刺しにして街道沿いに並べてみせた。それゆえに串刺し公との異名をとったが、実はこの串刺し刑自体は、当時のヨーロッパでは一般的なもので、別にワラキア公が先駆者でもなく、ただ規模が大きかっただけだ。
事実、トルコを撃退せしめたことで、ローマ教皇をはじめとして当時のヨーロッパの各国から英雄と奉られたのが実態だろう。実際、果断にして武勇に富み、謀略奇策に富んだワラキア公の活躍あってこそのトルコ撃退であった。
しかし、ワラキア公には敵が多かった。同じルーマニアのトランシルバニア地方とモルドバ地方の領主たちとは、時には手を取り合い、裏では敵対することも珍しくない。なによりもワラキアに多数存在した地方領主たちこそが、ヴラッドの最大の味方であると同時に、最悪の敵でもあった。
ヴラッドは、内外の敵に足元を救われる不安定な地位の地方領主に過ぎなかった。ただ、その思想は先鋭的で、国家の絶対権力の確立に努め、軍や法令の整備に勤しんだ改革的な政治家でもあった。
それだけに敵が多かった。本来味方であるはずの隣国ハンガリーの公認を得て、ワラキア公の地位を獲得したものの、その武勇を浮黷驛nンガリー王家により捕縛されて虜囚の憂き目に遭う。
しかし、再び襲ってきたトルコ軍に対峙するために釈放されて故国に戻る。その戦いの最中、おそらくは味方であるはずの地方領主たちの策謀にあって生涯を終えた悲劇の人でもある。
ワラキア公ヴラッドが、串刺し公として悪名を宣伝され、やがて吸血鬼ドラキュラのモデルとされたのは、ヴラッドの評価を貶めたいハンガリー王国の情報操作である可能性は高い。
そのあたりの指摘は、断片的な物証しかなく、著者の思い入れ(極力中立的な内容にしようと務めてはいる)によるものかもしれず、私には判断しかねる。これは、私が当時の東欧の政治状況に詳しくないからで、複雑怪奇なバルカン半島の歴史をもう少し学ばねば、適切には判断できないと思う。
いずれにせよ、吸血鬼ドラキュラのモデルとされてしまったのは、いささか不遇に過ぎる。やはり著者の言うように再評価が必要な人であるのは、間違いないと思いますね。
先月の不信任案提出が嘘のように、菅総理はふてぶてしく居座っている。
なぜなら彼は賭けに勝ったからだ。内閣総理大臣には解散権がある。これある限り、菅直人は首相の椅子に居座れる。つまり、民主党内部の反・菅陣営は、選挙が怖くて不信任案に同調できないと分ったからだ。
今や、誰からみても民主党は次の選挙には勝てないことが明らかだ。いくら民主党の一部の議員が、菅に退陣を迫っても、「解散」の一言を菅が発すれば、それは自分たちが落選することを意味している。
だから、菅内閣ではダメだと分っていても、菅に退陣は迫れない。それを自覚している菅は、当然早期退陣など頭になく、予算分配という権力の行使に酔いしれて、1.5次補整予算などの戯言を口にするほど余裕がある。
唯一の可能性は、反・菅陣営が民主党を離党しての新党結成か、既成政党への合流なのだが、先の不信任決議をみれば分るように、そんな機運も気概もない。
せいぜい、小沢あたりが影でコソコソ悪口を言って、憂さを晴らす程度のことしか出来ない。かつては、自民党を割り、新進党を割り、ぶっこわし屋の異名をとった小沢に、もはやその力は残っていない。そのことも菅は分っている。
鳩山との会談で、引退の時期をぼやかした菅は、夏はおろか年末まで居座りそうな勢いだ。もはや怖いものはない、とうのが本音であろう。
在日外国人からの献金疑惑は、見事マスメディアがもみ消してくれそうだし、アメリカ政府は日本抜きで、外交戦略をやっているようなので、菅が気にすることはない。
シナの領土的野心なんざ、見て見ぬふりをしてやればいい。そのほうが平和市民運動家出身の自分に相応しい。少なくても彼(平和愛好市民)らから非難されることはないだろうしね。
沖縄?どうせアメリカが守ってくれるさ。自分が正面にたって、北京政府様から非難されるなんて真っ平さ。少数意見の擁護者であることこそ、自分に課せられた役割だ。
菅の頭のなかには、自分が多数派の意見を踏み潰していることへの自責なんぞ、欠片もない。東南アジアの人々が寄せる対シナへの対抗勢力としての期待なんざ、目にも入らない。当然、国際社会が日本に期待する役割なんて分るはずもなく、ただ言葉の先だけで美辞麗句を並べるだけ。
要するに、その場を取り繕って誤魔化しているだけだ。世界の大国である日本の最高権力者としての自覚に欠けるだけでなく、能力さえも欠けている。そのくせ最高権力者としての椅子にしがみ付く。
この浅ましさは、近年まれに見るものだと思う。歴代の首相の多くが、二世、三世であり、必ずしも首相の座に固執しなかったことを思うと、やはり成り上がりものは違うといわざる得ない。私は権力の座に、これほどまでにしがみ付いた首相を知らない。
非自民政権の樹立と長期政権を望むマスコミと、これまた反日自虐平和愛好市民からの期待を受けて、まだまだ首相の椅子に座り続ける気がしてなりません。
正直言って、この人が最高権力の座にあることによる弊害は相当なものだと思いますが、反面居座れば居座るほど、次の選挙において民主党が票を減らすのも確実でしょう。
それはそれで良いのですが、出来るなら早めに選挙をしてもらいたいものです。
タイトルを見たとき、思わず「やられた~」と思った。
それが週刊少年ジャンプに掲載されていた表題の作品だった。いわゆるシナの怪奇小説の一つであり、私がかねてから読みたいと切望していたものだ。
その名を知ったのは、中学生の時だった。当時、私は無謀にも史記に手を出しており、一応読了したが理解できたのは、そのほんの一部だけであった。
私はそのことを、けっこう気にしていて、それゆえ何時かしっかりと再読したいとも願っていた。率直に言って、当時の私の国語力では、史記はいささか敷居が高かったと思う。
勉強などほとんどしなかった私だが、「史記」に関してだけは、先生に質問に行くことがあった。落ちこぼれの私が質問に職員室を訪れるのは珍しかったので、他の先生までもが不思議そうにしていたことはよく覚えている。
そのため、担当ではないにも関らず、漢文に詳しい先生が質問に答えてくれることがあった。その時だったと思う。雑談の際に、太公望が活躍する怪異小説のようなものがあると教えられた。
その先生が持っていたのは、明治時代に抄訳されたもので、文語体であったため読みにくかった。珍しい本であったので、貸してはくれなかったが、いつか読んでやろうと思っていた。それが表題の原作であった。
その後、しばらくは忘れていたのだが、30になり社会復帰を目指している頃に、現代語訳された「封神演戯」が出版されていることが分り、是非とも読みたいと思っていた矢先のことだった。
なんと、ジャンプで漫画化されていたのだ。これにはビックリした。私は原作を読んでから、漫画化された作品を読みたいと常々思っていたので、いささか悔しい思いをしたが、反面読んでみたい気持ちは抑え切れなかった。
結局、漫画喫茶で全巻読破したが、相応に納得の出来るものでしたよ。もちろん、ジャンプ得意の対決路線を踏襲しつつも、きわめて日本的な自然観に基づく「封神演戯」となっていました。
飄々とした太公望の態度は、シナ人的価値観からはかけ離れているし、敵でさえも最後は友達にしてしまう日本的感覚は、敵の死体の頭蓋骨をもって酒盃を作るシナ人の感覚からは、大きく離反しています。
それでも、日本人の読者、とりわけ子供たちを対象とする漫画としては悪くない。ただ、この感覚でシナ人を理解してもらっては困りますがね。
私としては、後は原作に忠実に訳されたとされる日本語訳の「封神演戯」を読んでみて、対比したいところです。シナ人の神仙思想が、今日のシナ人にどれほど痕跡を残しているか、興味津々なのです。
私がこうして毎日のようにブログの記事を書けるのは、若い頃の読書のおかげだと思う。
中学生の頃に夢中になって文庫本を読み漁っていたことが、始まりだった。高校、大学では普通の読書好きに過ぎなかった。しかし、社会人になり身体を壊して長期の療養生活の時の読書こそが、今の土台になっている。
原因も治療法も確定していない難病である。未来に希望なんぞ持てず、明日を夢見ることさえ虚しさを感じる無為の日々。その苦しみから逃れるための読書であった。
書に埋もれ、活字の世界に心を没することで、日々の苦悩から逃げていた。それは情けなく、みっともなく、惨めな現実からの逃避である。
なにもしないでいると、脳裏に浮かぶのは病気のことばかり。この苦しみから逃れられるのなら、私は藁にすがるどころか、犬の糞にさえしがみついたであろう。
ただ、私の周囲には藁も犬の糞もなく、あるのは本だけだった。私は読書の世界にのめり込む幸せを知っている人間であった。本は、私を見知らぬ世界に導き、まだ見ぬ世界に私を連れ立ってくれる魔法の門であった。
幸か不幸か、私には考える時間が有り余るほどあった。動くことが辛かったので、寝転んで考える時間が腐るほどあった。病気のことを考えないようにするため、意識して読んだ本について考えることを自らに強要した。
その結果が、過去の知識の見直しにつながった。私が学校で教わったことは正しかったのか?いつのまにやら常識として身につけていたことは、現実社会と照らし合わせてみて、おかしくはないか?
私が十代の頃、当然だと考えていたマルクス史観に染まった歪んだ歴史観の異常さに、二十台後半でようやく気がついた。ベルリンの壁の崩壊以降、社会主義の幻影が失せて、惨めな現実を世界が知ってしまった以上、それは必然でもあったが、この頃の読書と思索がなかったら、なかなかに脱却出来なかったと思う。
多様な価値観を知ることで、真実が一面の事実を表わしているだけだと知った。新聞やTVなどのマスメディアが報じる真実も、同様に一部の事実だけを報じたものに過ぎないと分った。
本から得た知識と、自分が現実に見聞きした事実とを照らし合わせて、自分なりの価値観で判断することの大切だと言えるようになったのは、この読書に埋没した日々があったからこそだと思う。
表題の書は、相場師としてしられていた是川銀蔵氏が、自ら手にとって記した自伝である。自伝というものは、本人しか知りえぬことが述べられているだけに、実に興味深い。
もっとも人間って奴は、本当に嫌なこと、知られたくないことは書かないものなので、その点は割り引いて読む必要がある。
私が驚いたのは、是川氏が驚くほど勉強家であることだ。そのほとんどが独学であり、図書館にこもっての読書により膨大な知識を得て、それを実務に活かしている。
それは投資だけでなく、鉱山開発や農業など是川氏本人が実際に経営に携わった分野で活かされている。是川氏は、この経験から、一般的な常識や風潮に流されず、自分で調べ、自分でやってみて、自分なりの考えて物事を進めることで成功してきた。
その膨大な経験から、他人の情報に踊らされての株式投資を諌め、あくまで自分の判断と決断で行うべしと断言する。そして、その判断をもってしても欲に溺れて大損したことを悔やむ。
私はこの書を読むまで、是川氏を株式相場にのみ生きた人だと思い込んでいたが、実際に多くの事業経営を為し、その経験を活かした上で、株式投資に打ち込んでいたと知り、非常に驚いた。
もう一つ、大いに驚かされたのは、この方、法令順守の気持ちが薄いことだ。ビックリするくらい明け透けに脱法、脱税を述べている。戦争や騒乱の最中を生きた人だけに、法令を守って大切なものを失くす愚かさが身にしみているのは分るが、それを平時にまで持ち込むあたりは感心できない。
たしかに社会の実情に合わぬ制度、法令などを頑なに守ることは愚かだと思うが、これはやり過ぎ。若い頃は、晩年に政治家を目指す志をもっていたようだが、その志を何時断念したのかが書かれていなかったのが残念。
自伝の限界を知った上で読むには、大変面白いものだと思うので、機会がありましたら是非どうぞ。
誰もが向上心を持つわけではない。
人は時として、頑ななまでで愚かでいたいらしい。そう思わざる得なかったのは、丁度今頃の時分であった。当時、前年11ヶ月に及ぶ長期入院を終えたのだが、春先に再発しての二度目の入院中であった。
もっとも、このときは緊迫感はなく、再び無為の日々を過ごすことへの遣りきれなさを、病床での読書で誤魔化していた。私のような長期入院患者は、皆TVをレンタルしていたが、私は断固拒否した。
ただ漠然とベッドの上で日がな一日TVを見るような怠惰な生活は、真っ平だった。ただでさえ怠け者の私である。目的もなく、ただTVを見呆けるような生活を送れば堕落するのが目に見えていた。
どん底から這い上がる苦労は、既に経験済みであったので、一度怠惰な自分に戻ってしまえば、そこから立ち上がるのは大変であることは分っていた。臆病な私は、その辛苦を避けたいと思っていた。
勘違いしないで欲しいのだが、TVを見るから怠惰になるのではない。TVを敢えて見ない選択をすることで、心の緊張を保っておきたかったのだ。
そんな訳で、私の入院生活は新聞を丹念に読むことと、本を大量に読むことに充てられていた。ちなみに本は、時々病院を抜け出して、近所の古本屋から入手していた。三冊200円の安売りワゴンから無雑作に買った本ばかりであったので、駄作も随分あった。
おかげで、駄作と良作の違いが良く分った。著名な文人であったとしても、駄作はけっこうあるものだと知った。駄作を沢山読んだおかげで、私が敬遠していた純文学には良作が沢山あることも良く分った。
駄作は本ばかりではない。人間にも駄作があることを知ってしまったのも、この頃だった。
私が入院していた病棟は、難病治療で知られたN教授が担当していたせいで、全国からいろんな患者がいたが、その一人にS氏がいた。
高齢者が多い病棟のなかで、私は数少ない若い患者であったので、よく年配の方々から可愛がられた。ただ、訳もなく私を嫌う、敬遠する人が少数おり、S氏もその一人であった。
もっとも、入院患者のなかでは一番元気であった私に喧嘩を売ってくるわけではなく、無視したり、影で悪口を言いふらしたりしていたらしい。
そんなS氏は、他の患者から嫌われ、年配者から苦言を呈されたりすることが多く、その度にトラブルになっていた。患者だけではなく、医者や看護婦とのトラブルも絶えない問題患者であった。
ところが妙なことから、私はS氏と口を利くようになった。間に入ってくれたのは、これまた問題患者の代表(?)であった右翼のA氏であった。
明らかに堅気ではないA氏は、私を妙に可愛がってくれた大人の一人だった。私は体が多少不自由なA氏に頼まれて、いくつか雑用をしたことがある。その流れて、私を嫌っていたS氏とも関るようになった。
A氏に言わせると、私が真面目に勉強(単に本を読んでいるだけだが)している姿が、S氏にとって不愉快であったらしい。治療法のない難病ではあったが、私はまだ未来を信じていたし、そのための読書だと思っていた。
ところが、S氏は自分の病気が治ることを信じておらず、未来なんてないと悲観していたが故に、私の存在が不愉快であったらしい。
そのことをS氏がA氏に話したら、強面のA氏に逆に一喝されてしまい、しぶしぶ私が同席することを認めざる得なくなったようだ。
同席というのは、病棟の深夜に不良患者たちが集まってお喋りをしている集いのことで、その場でA氏が振舞うジュースやお菓子を目当てに、月に数回開かれていた。
その場で、S氏は日頃口にしない本音をボロボロとこぼすことがあり、私もようやく彼の人となりを知ることが出来た。率直に言って、私はこれほど後ろ向きの生き方をしている人を知らない。
S氏が他の患者から嫌われるのも無理ないと思ったが、反面同情すべき点もないではなかった。手術の失敗で腎臓を一つ失くしていること。自分が入院中に妻が浮気をして、家を出て行ったこと。度重なる転職と仕事を首にされたこと。
とにかく不幸のオンパレードみたいな人であった。その上、治る見込みのない難病を患ったため、ひどく厭世的になり、物事を前向きに見られなくなったようだ。
A氏ほか数名の不良患者たちも、S氏の愚痴を真剣に聞いてはいたが、後になってそれがポーズであることを知った。A氏の手術が失敗したのは、術後に絶対安静を守らず売店に行って買い食いしたことが原因だった。
奥さんが浮気したのは、S氏がほかに女をつくり家に帰らなかったからで、その女とは金銭がらみのトラブルで別れたこと。そのトラブルの解決金は奥さんが払っていたこと。転職の原因も、彼が客とトラブルを起したからであること。
そのことは、S氏本人が自ら語っていたようだが、当人は自分が悪いとは思っていないと、他の患者たちが呆れ顔で私に話してくれた。
なんのことはない。自業自得ではないか、皆そう思っているようだった。ただ、不良患者という人たちは、自分自身もけっこうな苦労人であるせいか、S氏のわがまま、自分勝手さを聞き流す寛容さを持っていた。
多分、一番憤ったのは私だったが、A氏から「黙って聞いておけ。聞くだけで十分だ。理解する必要はないぞ」と言われたので我慢した。
私はその後半年ほどで退院し、自宅での療養に入ったが、病院には毎週通院していたので、病棟にも遊びに行っていた。医者の言うことを聞かないS氏は、次第に衰え、精神的におかしくなってきたようで、翌年には精神科に転院されていた。
同じ難病なので分るのだが、S氏は完治は無理でも、ある程度の回復は見込めたと思う。だが、肝心のS氏本人にその気がなかった。未来に希望を持たず、過去を嘆くだけで生きていた。
過去しか見ないから、未来への努力をする気になれなかったらしい。自分の誤りや、愚かさを直視しないから、他人の誤りや愚かさを許す気持ちを持ち得なかったらしい。
誰になんといわれようと、私はTVを断固レンタルしなかった。その頑固さ、依怙地さとS氏の頑迷さには、ある種の共通点があるかもしれない。だから単純に非難することは出来ないかもしれない。
違いがあるとしたら、未来を信じ、未来のために頑固であらんとした私に対し、S氏は過去を美化し、過去を取り繕うために頑固であり続けた点ではないか。
その後のことは知らないが、もう生きてはいないと思っている。反面教師という言い方は少し酷かもしれないが、挫折しそうになるような苦境に陥った時、私はS氏を思い出すようにしている。
諦めて堪るか、倒れるなら前を向いて、倒れてやる。前に向かって倒れてやる。同じ頑固ならば、私は前向きで頑固でありたいと思う。