ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

デューン2

2024-03-29 09:45:22 | 映画

観たいような、観たくないような気分。

戦後の日本にSF小説を根付かせようと意気込んで刊行されたのが、早川書房のSFシリーズであった。戦前は空想科学小説とされたが、子供向けの読み物だと看做され、あまり高く評価されていなかった。

だからこそ早川書房の心意気は、SFファンに広く歓迎された。創元推理文庫も追随したが、SFマガジンという雑誌を刊行し、安い文庫本には人気のある漫画家に挿絵を依頼してSF文庫は本屋の書棚に並んだ。

たかが挿絵と言うなかれ。正直に云えば、私がはじめて読んだスペースオペラはバロウズの「火星のプリンセス」だが、きっかけは武部画伯の表紙絵であった。当時の早川SF文庫には、SF未体験の読者をひきつけるため挿絵、表紙画にも力を入れていた。

なかでも漫画家を登用したのは素晴らしいアイディアであった。松本零士や藤子不二雄そして石ノ森章太郎とSF好きな漫画家が描く挿絵は、読者をSFの世界に引き込んだ。なかでも私は石ノ森章太郎の挿絵を好んだ。

その代表作がフランク・ハーバードの砂の惑星・デューンである。きっと石ノ森先生も夢中になって読んだ後に挿絵を描いたと思う。あまりに壮大な物語であるため実写化は不可能かと思われたが、ハリウッドはやってのけた。

TVドラマ版が先行したらしいが、映画も作られた。大ヒットとは言えないが、原作のファンならば足を運ばずにはいられなかった。私も映画館の大スクリーンでこそ観るべきと考えて観に行った口だ。

正直、原作の小説には劣ると思ったが、製作者の想いは伝わってきた。ちなみに二回、映画化されているが、私は歌手のスティングが悪役として登場している方が好きかな。でもねェ・・・正直言えば、石ノ森氏に漫画化して欲しかったかな。

ハーバードが認める可能性は低い気がするけど、当時の脂ののっていた石ノ森章太郎の力量ならば、きっと素晴らしい作品になったと思う。もちろん映画でもSFX技術の飛躍的向上により、より素晴らしい映像で映画化された実績は認めている。

多分、今回の第一部完結編でも前回以上の映像化技術が投入されているはず。だから観たい気持ちもある。ただ、早川のアホが漫画家による表紙及び挿絵を廃止して、映画の映像を利用したものに変更したのが非常に気に食わない。映画の広告をみると漫画家による挿絵を廃止した当時の怒りが、再び湧き上がってくる。

やい、早川。熱心なSFファンは未だに怒っているのだぞ。

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スパイ対策

2024-03-28 09:47:42 | 社会・政治・一般

戦前の方がずっとマシであった。

実はここにこそスパイ天国の土壌がある。戦前、スパイを取り締まる警察として「特高警察」があった。尋問に名を借りた拷問で悪名高い組織である。日本では特に共産党系のスパイが、この特高警察により残酷な取り締まりを受けた。これは事実だと思う。

戦後GHQが特高警察を解体したのだが、多くの職員が公安警察へと転籍になった。しかし、戦後は共産党の躍進が強く、公安警察は人員、予算とも大きく制限され、かつ大衆の反感も強く煽られていたために冷戦が本格化してもなお、その強化が図られることはなかった。おかげでスパイ天国と日本はなった。

自民党内には、これを危惧する声は小さくはなかった。しかし、左派系が強い映画業界やTV局などは、反戦映画のなかに特高警察を戦前の悪の象徴的な存在として活用したため、本来担っていた外国のスパイの取り締まりはもちろん国内の重要な情報を守る職務にも支障をきたす惨状であった。

当然に旧ソ連や共産シナは、そのような状況を利用して数多くのスパイを送り込み活用したことは言うまでもない。その代表的な事件が「東芝スパイ事件」であった。簡単に言えば、東芝の関連会社からソ連のスパイが精密加工技術を盗み出した。

その結果、ソ連の潜水艦のスクリュー音が劇的に小さくなった。アメリカ海軍の対ソ連防衛システムは大幅な改善を必要とし、それにかかった予算は数千万ドルだと云われている。この間抜けな同盟国の醜態に激怒したアメリカは、日本の政治家、外交官、霞が関のエリート官僚たちを締め上げて、日本国内に対スパイ法を作ることを確約させたらしい。

プライドだけは異常に高いエリート官僚たちは抵抗したらしいが、自民党の政治家たちはビビッてこの内政干渉とも云えるアメリカの横暴に応じた。それが特定秘密保護法である。興味深いことに最初の原案は民主党政権に置いて検討されている。しかし実際に法制化したのは第二次安倍政権の時であった。

ちなみに既に野党に落ちていた民主党は、対案を出したが、中身はだいぶ骨抜きしたものだった。代わって日弁連や左派系のジャーナリストたちが反対運動を繰り広げたが、思いの外支持を得られず。また幾度となくなされた裁判においても、特定秘密保護法が違憲だとされることはなかった。

まぁあの方々は、平和を守る為には何が必要かが分かっていない。戦争は一国では出来ない。必ず相手が要る以上、その相手に見合った軍備が必要であり、その情報を入手するためにもスパイ行為は必要不可欠である。

多分、スパイ行為というと怪しい違法行為を想像する人がけっこういると思うが、それこそ日本人の軍事知識が欠落している証拠である。例えば戦争をするためには武器弾薬だけでなく食料や水も必要不可欠である。それを前線近くに運ぶには、大規模な鉄道や船舶による運搬が必要となる。

これは故・長谷川慶太郎がその著作で述べ、また防衛庁(当時)相手の講演でも言っていたことだが、アフガン戦争の直前、ソ連の鉄道の運行スケジュールが大幅に変更されたことから、アフガン侵攻前にソ連軍のアフガン侵攻を日本の商社は予測していたという。

別にスパイを送り込んだわけでなく、公表された情報からでも相手国の軍事情報は入手できる。情報を適切に使えば、戦争を予測することも出来るし、戦争を回避することも出来る。これは相手国にも言えることで、仮想敵国の情報を入手することは必要な行為である。

鉄道の運行スケジュールなどは致し方ないが、軍事上の機密情報は守る法制度が必要なのは当然のこと。情報の入手方法は時代により、技術の変化によりいくらでも変わる。それに応じて機密情報を守る法制度も変えなくてはならない。まったく簡単な理屈だと思う。

しかし、日本国内には軍事情報には目を閉ざしていればよい。それよりも隠さねばならない軍事上の機密事項があることがおかしいと主張する妙な人たちがいる。脳内お花畑で平和の舞いに酔い痴れているのだろうけど、お花畑の裏で鋭い牙をもって飢えた野獣がいることには気が付かない。いや、気が付きたくないのだろう。

いい加減、日本でも軍事学を大学の一般教養のカリキュラムに入れ、公務員試験の範囲に含めた方が良いと思いますね。

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お休み

2024-03-27 03:53:36 | 日記

本日、病院巡りのためお休みします。検査のための空腹がつらいなあ

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北朝鮮戦の中止

2024-03-26 17:32:18 | スポーツ

本来、今日26日はサッカー・ワールドカップ大会アジア二次予選の大一番、アウェイでの北朝鮮戦であった。

しかし北朝鮮側から中止通知があり、代替地の提案もなく、このまま没収試合となり規定により3-0での日本の不戦勝となり残り二試合を残しての予選突破で次の最終予選入りとなる。

ちなみに北の言い分では、日本国内に致死率30%の疫病が流行中なので、防疫上の観点からの試合中止らしい。だったら代替地が選ばれるはず。少なくとも女子サッカーはサウジで試合を行っていた。では、何故に男子は代替地開催がないのか。

日本嫌いで知られるAFC(アジアサッカー連盟)はノーコメントだし、FIFAに至っては規定通りの没収試合で済ませる意向のようだ。40年以上、サッカーを観てきた私も初めての事態だ。私なりにいじわるな推測をしてみようと思う。

1 損得感情 勘定の誤用ではない。世界基準でみても強豪といってよい北朝鮮の女子サッカーは、代替地サウジで試合をしても勝って国威(金王朝)高揚につながる可能性が高い。しかし国際試合の経験が少ない男子サッカーだと日本相手では引き分けも難しい。そんな試合に資金は出せない。

2 先日の日本国内での予選試合で敗北した男子サッカーチームは、現在お仕置き中であり、それを世界に悟られる愚は避けたい。

3 単純に首都平壌自体が不穏な雰囲気があり、外国人を招き入れることはしたくない。ほとんど報道されないが、いくつか噂レベルで妙な情報がある。ロシアからの観光客を少数迎えているが、極端に行動を制約させて却って不興を買う始末である。間違いなくコロナ禍以前よりも外国人に対する規制は強まっている。


正直、あの独裁政権の真意は闇の中だが、国外からの情報に国民が触れることを極端に恐れているのは確かなようだ。毎月のように打ち上げるロケットやらミサイルやらの報道ばかりが目立つが、肝心の国内情勢は真っ暗闇であり、絶対にその情報が国外に出ないよう厳重に管理していることは確かだ。

興味深いのは、ロシアとの親密な関係をアピールしている一方、もう一つの血盟の同志であるはずの北京が妙に冷淡であることだ。このあたり、実にきな臭いと私は勘繰っています。まぁ平穏が一番なのでしょうけど、そうでないから困ります。

私の知る限り、半島では国民の内乱で倒れた王朝はないと思いますが、クーデター的な王朝交替はあったので油断できない。こんな時、南の政権がしっかりしていれば良いのですが、こちらは前大統領のような北よりの政権か、若干右側に位置しているだけの左派政権(今の大統領)のせいで国内経済がボロボロ。北を支える財力がない。

多分、統一のコストを日本に押し付け、その一部をポッケに入れることしか頭にないアンポンタンばかり。既に北込みで賠償金を払っている日本としては、無視したいけど金は出したくない国際社会からの圧力に負けて、いくらか出さねばならない状況に陥りそうなのが怖い。

ウクライナやガザの問題だけでも大変なのに、ここにきて半島の厄介ごとが生じそうな状況が嫌ですね。

 

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青春少年マガジン 小林まこと

2024-03-25 12:24:11 | 

現在、少年漫画を描く作家の半数以上が女性である。

いや、デビューするだけなら男性漫画家もかなりいる。だが10年以上続かない。続けて描けているのは女性に多い。私はその原因の一つに精神的な逞しさにあると考えている。

これは漫画に限らないが、創作の世界は厳しい。ゼロから価値ある作品を作り上げるのは精神的なスタミナが必要不可欠だ。私は白い画用紙を前にして半日なにも描けずに煩悶した経験がある。本来、絵を描くのが大好きな子供だった。ノートだけでなく教科書にも悪戯書きをやたらめったら描き散らかす悪童でもあった。しばしば先生に叱られたものである。でも描くのを止めることは出来なかった。

山を登っていた頃は、写真だけでなく空いた時間があればスケッチブックに風景を描くことを楽しみにしていた。限られた時間で白いスケッチブックに描くのは難しいが、その分一番印象に残った風景を心象として描く作業は楽しかった。

しかし、20代で長期の療養生活に入った私には飽きるほどの時間が出来た。病院で寝ている時は、自宅で絵でも描こうと考えていたのだが、いざ帰宅すると描けなくなっている自分に気が付いた。長期の入院生活と、その延長である自宅療養は私の心を深く痛めつけた。

外に出てみれば嫌でも気が付く残酷な現実。明るい太陽の下で日焼けした浅黒い肌をきらめかす汗が眩しいが、それは私自身には当たり前のことであったはず。でも今の私は真っ白い不健康な肌で、筋肉が削げ落ちた惨めな姿であることを強く意識せずにはいられなかった。

まさか楽天家の自分がこれほどまでに深い劣等感に悩まされるとは思わなかった。健康な人たちの姿を羨み、嫉妬する自分の心の醜さに絶望を覚えざるを得なかった。そのことを強く実感したのが、絵を描いてみた時だった。

絵を描きだした時は分からなかったが、ふと一休みして絵を見直すと、絵柄から浮き出るどす黒い悪意に自分で驚いた。私が描きたい絵ではない、私の醜い心が描いた絵だとすぐに気が付いた。描きかけの絵を前にして、私は凍り付いたように動けなくなり、筆を置かざるを得なくなった。

以来絵を描いていない。真っ白なスケッチブックに絵を描くことが怖くなってしまったからだ。何もないところに、新たなものを作り出すのは難しいと思っている。無邪気に絵を描けていた幼き日々が懐かしいが、もう元には戻れない。

創作という行為は、新たなものを生み出すことだ。自由に出来ることでもあるが、その自由を行使することは実はとても厳しい。好きなことであったとしても、いつしか心のスタミナが切れて、好きなことだと思えなくなる。

趣味なら辞めればいい。しかし仕事として創作を請け負うと、そこには締め切りもあるし、お客様に合わせた制約もある。私はプロとして創作という仕事をしたことはない。でもプロとして期限内申告という制約、税務署や銀行といった第三者の視線に仕事を見られる覚悟が必要な仕事をやってきた。それなりに創作の厳しさは理解しているつもりだ。

表題の作品は、かつて週刊少年マガジンで「一、二の三四郎」という漫画を連載して人気を博した漫画家の若き日の悪戦苦闘を描いた漫画だ。マガジン三馬鹿新人と呼ばれた小野新二、大和田夏希と並び、あの頃のマガジンの屋台骨を支えた人気漫画家だ。

まだ売れない漫画家であった頃から、いつかは俺もと大志を抱き、やがて仲間に連載が決まると我が事のように喜ぶ。その一方、売れっ子になり稼ぐ仲間に嫉妬心をもちながらも互いに競い合う。そして気が付いたら人気漫画家として稼ぐ一方で、連載のストレスに苦しむ。やがては互いに連絡を取り合うことも薄れゆく中、中年に達したころに再会した時の仲間のやせ衰えた姿。

もちろん小林自身も悶え苦しむ人気漫画家ではあったが故に、その姿に憐みを感じるどころか共感すら覚えてしまう。そして、気が付けば一人は苦しみに耐えかねて自死を選び、もう一人は酒に逃げて内臓をボロボロにしての病死。

創作を仕事にしたものが必然的に直面する苦しい経験は、時として死を受け入れてしまう。実際、男性漫画家で酒や賭博に逃げて、社会から逸脱した人は少なくない。どちらかといえば男性のほうが弱いようだが、女性だって直面する苦しさは同等であろう。

人気がある漫画をネタにして、そこに人気のタレントを起用して原作にないラブロマンスを加えれば視聴率アップは確実だと考え、原作者の意向を無視して映像化してきた一部のTV業界の人間には、創作者の苦しみは分かるまい。

身体を蝕むほどの創作の苦しみの末に生み出した作品を勝手に改竄される原作者の苦しみなど、彼らには邪魔な感傷でしかない。主犯のプロデューサーは未だに表に出てこず、社外の人間を入れない検証委員会とやらで誤魔化そうとする日テレの輩には、ほんの少しでいいから創作者の苦しみを知って欲しい。

何故に私が「セクシー田中さん」の事件を執拗に書き続けるのか分からない方は、是非ともこの作品を手に取って欲しい。多分、漫画喫茶か古本屋でないと見つけられないとは思いますが、その手間と時間がある方は是非お願いします。

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