紳士の国だとか聞かされると唾棄したくなる。
18世紀後半の産業革命で飛躍的に軍事力を挙げたイギリスは、七つの海を支配し、世界中に侵略の手を伸ばした。19世紀はまさに大英帝国の最盛期であり、新大陸のみならずアジア、アフリカと世界中に植民地を増やし続けた。
大英帝国の支配の仕方は悪辣にして効率的だ。元々それほど大きな国ではなく、世界各地の植民地を支配することに、それほど人手を割けなかったことも背景にあったのだろう。
その植民地支配を一言で云えば、分断と差別化であり、結果としてその支配地の原住民たちに不仲と遺恨を残すことになった。それは21世紀の今日にまで尾を引いているのだから、そのやり口のすさまじさ、えげつなさは世界史の中でも屈指のものだと思う。
非常に興味深いのは、かつてのイギリスの植民地で民主主義が上手くいっている国は皆無に等しいことだ。例外はアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドといった白人の入植者が支配している国だ。
逆に現地人が支配している国は、南アフリカ、インド、ミャンマーなどをみれば一目瞭然で、国内に民族対立、宗教対立が渦巻き、経済格差と教育格差が国を分断してしまっている。植民地ではないが、イスラエルとパレスチナ問題の根幹には、イギリスの二枚舌外交があることは周知の事実だが、当のイギリスは知らん顔である。
数少ない例外は、民主主義を諦め、独裁政治で国を豊かにすることでまとめたシンガポールぐらいなものだろう。共産シナに戻された香港が、かつての自由都市としての栄光を取り戻すことは、まずないと断言できる。イギリスが推し進めた議会政治の伝統など、中華思想のまえには脆くも崩れ去っている。
このイギリスの分断と差別化による植民地支配の実態が読み取れるのが、表題の書である。セャCの反乱と、その時期にイギリスのえげつない植民地支配に抵抗の姿勢をみせたマハラジャ未亡人による戦いの記録でもある。
副題にインドのジャンヌ・ダルクと書かれているが、これは欧米向けの宣伝文句に過ぎず、このマハラジャ未亡人は宗教的情熱の化身ではない。むしろイギリスの植民地支配に抗議の烽火を挙げた民族主義者の象徴とみるほうが適切だと思う。
このような本を読むと、日本の植民地支配のほうが遥かに理想主義的であり、甘すぎると思う一方で、現地の福利厚生にまで情熱を燃やした先人たちを誇りに思ってしまう。ただし、植民地から利益を得ていたのはイギリスであり、日本は赤字経営であった事実は、しっかりと認識すべきだとも思う。
なお、この王妃は歴史上の実在の人物であり、今日のインドでも広く名を知られた英雄です。興味がありましたら是非ご一読のほどを。
東南アジアの近代史のなかでも、特筆すべき国の一つが都市国家シンガポールである。
そのシンガポールの創立者であったリー・クアンユーが死去したのとの報が出ていた。果たして日本のマスコミは、この奇異なる政治家をどう評するのか、私は少し意地悪くみている。
リー・クアンユーは独裁者である。多数決の価値なぞ認めず、少数の賢者による効率的な政治により、小さな都市に過ぎないシンガポールをアジアの四大新興国に育て上げた独裁者だ。
開発独裁なんて言葉で誤魔化す論者は多いが、開発だろうと軍事だろうと独裁は独裁であり、本来は民主主義の対極に属する政治スタイルである。太平洋戦争の敗北後は、民主主義こそ至上の政治スタイルだと思い込んだ日本のマスコミの天敵といっていい存在であるはずだ。
しかし、この東南アジアの独裁者に対する日本のマスコミの舌鋒は鈍い。成功した金日成と評する人もいるが、いくら経済的に成功していようと独裁は独裁である。本当に民主主義が正しいと信じているのなら、本気で独裁者を非難するべきではないか。
いい加減認めるべきであろう。民主主義は絶対ではないことを。そして、優れた独裁政治は、時として民主主義をしのぐ政治となることを。それを認める気概もないくせに、闇雲に独裁政治は悪いと決めつける覚悟のなさがだらしない。
民主主義というものは、人類の歴史上かなり特異な政治形態であり、社会は人々の意思により作ることが出来、一定の共通認識を持つ有権者が自ら政治に積極的に関与することによって、その政治に対して責任を負うことを特徴とする。
有権者が投票という政治行動を誤れば、政治は悪くなるし、投票権という権利を持つ以上、その社会に対して一定の義務を有するとも解される。それゆえに、社会が悪ければ、それは政治家を投票により選択した有権者が悪いと責任転嫁できる。また投票権の対価としての義務には、国を守るために軍隊に参加することも含まれるとされる。
投票により政治指導者を選ぶなんて奇習は、古代ギリシャの都市国家の一部にしかなかった、かなり珍しい政治形態であることは間違いない。では、何故に民主主義が近代になって突如復活したのか。
それは西欧における商業活動の隆盛が契機となっている。儲けたいという欲望が、その妨げとなる政治との対立を生じせしめた。儲けたい商人たちは、税金を納めているのだから、こちらの言い分も聞いてくれ。もっと自由に儲けられるようにしてくれと云いだした。
一方、既成の身分階級と封建社会を維持した既成勢力(王、貴族、キリスト教会)は抵抗したが、儲けたいとの欲望をたぎらせた商人たちに煽動された市民たちの暴動に屈した。すなわちフランス革命である。
政治権力を握った欲望の申し子たちは、その権力基盤を守るため、暴動の尖兵たちを活用することを目論んだ。すなわち政治的発言権をやるから、この新しい国家体制を守ってくれた。かくして革命戦争は始まり、それは悪性の腫瘍のように欧州を席巻した。
従来の騎士や傭兵たちは、欲望の申し子たちの軍隊に抗しきれなかった。これを国民皆兵という。従来の選抜された専門兵士だけでは、この大量に俄か兵士たちには抗しきれなかった。銃器という引き金を引くだけで、簡単に敵を殺せる兵器の存在も大きいのは言うまでもない。
そして改めてこの民主主義という欲望の芳醇な香りに惹きつけられた兵隊の威力を認め、共和制のみならず立憲君主制という誤魔化しで、国家権力の強大化は近代化と称されて隆盛を迎えた。ここに欧米による帝国主義の堅固な土壌が生まれた。
以来2世紀にわたり民主主義国家が、世界の覇権を握ることとなる。民主主義=平和と思い込んでいる人は、認識を改めてもらいたい。国家を強くする手段として、民主主義はきわめて有効であったからこそ広まったことを。
しかし、民主主義という前提が機能するためには、一定の社会的条件があり、それに適合したのは西欧の国々を除けば日本だけであった。この条件を満たさない国では、むしろリー・クアンユーが採用したような国民生活を豊かにする開発独裁タイプの政治が有効であった。
これは台湾、韓国などでも立証されている。すなわち賢明な政治指導者の独裁的な政治のほうが、民主主義を単純に採用した国よりも経済的発展には適している。
賢明でない政治指導者の例は北朝鮮であり、単に民主主義があるだけではダメである例がフィリピンである。この現実を踏まえたうえで、改めてシンガメ[ルの成功と独裁者リー・クアンユーを評してみるべきだ。
私のみたところ、マスコミ様はそこまで踏み込まず、単なる現実主義者的な論評で誤魔化している。これが日本のマスコミの、そして有権者の知的レベルの現状なのだろう。
そんな日本の無様さを、あの世でリー・クアンユーは冷笑しているかもしれませんね。
古本屋の店頭で見つけたとき、買うか、買うまいか結構迷ったのが表題の作品だ。
まず間違いなく家のどこかにあるはずの漫画なのは確か。ただ、どこにあるのかが分からない迷子の作品なのだ。もしかしたらレンタル倉庫に送ったのかもしれないが、何故か記録には残っていない。
普通なら諦めるのだが、なにせ値段が100円(税抜き)なのだ。古本の価値を短期間で売れるか売れないかで判断する某新古書店ならばの値段なので、買う気になってしまった。
ちなみにネット通販などで見ると、大体400円から500円前後で売られている。ちょっと得した気分である。
短編集であり、1970年代にビックコミックなどに発表されたものばかり。この頃の松本零士は、まだ宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999の前だけに、よく見かけるが、あまりメジャーな人気はない不遇な作家のイメージが付きまとっていた。
しかも、その作品からは売れずとも誇り高さだけは失わないといった気概とは裏腹な惨めさが漂っていた。貧乏くさい画風の漫画家なら沢山いたが、プライドの高さと劣等感とを同時に感じられる漫画家は、この松本零士がダントツだったと思っている。
そして白状すると、私はこの頃の作品が一番好きだ。後年ヒット作、特にヤマト以降の松本作品には、なんとなくだが劣等感の裏返しの匂いが強く感じられて、それがあまり好きでなかった。
むしろ売れなくても、自分の好きなことを描いていたこの頃の松本作品にこそ、この人の真価があったように思うのだ。だから私の好きなのは「インセクト」「セクサロイド」そしてこの「蛍の泣く島」の三冊だ。
「セクサロイド」を除けば皆短編集ばかり。連載が続くような人気作家ではなかったが故だと思うが、その分短編には佳作が多い。もし機会があったら是非とも手に取って欲しい。決して売れ筋の漫画ではないが、その分松本零士という漫画家の根幹ともいえる作品に出合えると思います。
春はどうも、気忙しい。
春は新しい世界への扉を開ける季節でもあるが、同時に今までの世界に別れを告げる季節でもある。どちらかといえば、後者の印象のほうが強いのは、ただ単に出会うだけでは新しい世界の扉が開かれないからだ。
出会いというものは、人と人が出会い、交わり、時はぶつかり、相争い、また理解と和解の繰り返しにより深まっていく。だからただ単に春になり、新しい学校、新しいクラス、新しい会社、新しい仕事というだけでは、本当の出会いにはならない。
それゆえに、今まで狽チてきた人間関係などに別れを告げる季節としての春のほうが印象が強いのだと思う。
私が十代の頃、アイドル歌手として人気を博していた柏原芳恵のヒット曲に「春なのに」という曲がある。この歌の歌詞のなかに「春なのに、お別れですか」というフレーズが繰り返される。
この部分だけ、妙に記憶に残っているのは私自身、春になり幾多の別れを経験してきたからだと思う。仲が良かったはずの友人との疎遠であり、心から愛したはずの女性との別れであり、未来を約した筈のパートナーとの別れでもあった。
私にとっては「春なのに、お別れですか」ではなく、春だからこそ、別れの時期である。別れることで、新たな展開が拓け、新たな友人と知り合い、新しい人生が始まる。
人はいつまでも同じではいられない。仕事も家も友人さえも時の流れと共に変わっていくし、なによりも自分自身が変わらねばならない。そして自らの意思で、自身を変えていくのは難しい。
だからこそ別れは必要となる。別れてしまえば、自分も変らざるを得なくなる。本当は変わりたくない、変わりたくなんかない。でも変わらねばならないことも分かっている。別れはその未練を断ち切ることが出来る。
この春は、何に対して別れ、どんな出会いと変化が待ち受けているのだろうか。春はどうも気忙しくていけないな。
揚げ足取りで政権が取れると思っているのだろうか。
安倍首相が国会での答弁で自衛隊を「我が軍」と呼んだことを、野党が問題視しているとの報道に呆れ果てた。
まず、自衛隊は誰がなんと言おうと軍隊である。防衛隊でもなければ、災害救助隊でもない。日本国を守る軍隊である。過去の国会で経緯を知らないわけではないが、いい加減言葉遊びでのごまかしは止めて欲しいものだ。
まァ、安倍首相が自衛隊を、アメリカ軍護衛隊だと呼んだら、私も問題視しますけどね。・・・それが実態だとしてもね。
また、一部の平和を愛すると称する市民グループからも、安倍首相が自衛隊を「我が軍」と呼んだことを、別の意味から問題視しているとの報も目にした。これだから平和に陶酔する脳内お花畑の踊り子さんたちは困る。
民主主義の国に限らず、政府にとって軍を如何に掌握するかは、古代から現代に至るまで、最重要課題の一つである。特に文民が最高権力の座にある政府にとっては、軍を政府の支配下に納めること、すなわち文民統制は決して疎かにしてはいけない重大事なのだ。
首相が自信をもって「我が国の軍隊」だと自衛隊を掌握している限り、文民統制は守られている訳で、それを帝国主義の亡霊の復活などと騒ぎ立てるほうがどうかしている。
実際、あの強大な権力をもっていた明治政府でさえ軍隊の暴走を抑えるのに苦労していた。明治憲法下における統帥権の独立を盾に、軍部が政府の意向に背き、大陸に強引に進出したことが、後の太平洋戦争の敗北につながっていることは忘れてはいけない。
まして現代の日本は、完全なる文民統治の国である以上、軍部を完全に抑えねばならない。それだけ軍隊というものは恐れなければならいない劇薬なのだ。
平和を守るということは、政府が軍隊を完全に制御することだ。この程度の常識もない輩が、平和を安直に口にしているのだから頭が痛い。日本の常識は世界の非常識は、今も通じる困った原則なのだと痛感してしまう。
ただ一点、この騒ぎで良かったのは、野党がこの程度では当分政権交代はないと予測できることですね。