隔靴掻痒の感が否めない。
相変わらず国会では、日本学術会議が推薦した6名の拒否理由を野党が追及している。菅総理は拒否理由について、各個人の人権を理由に拒否している。
歯にものが挟まったかのような気持ち悪い討議だと思う。誰かはっきり言ってやれよと思う。また、なんで日本共産党が声だかに追求しないのか。このあたりが厭らしくて貯まらない。
私が子供の頃から、日本学術会議は日本共産党の強い影響下にあったはず。いや、戦後一貫してこの団体は日本共産党に支配されていたことは、知っている人は知っている既成の事実だ。
私は子供の頃、教会の少年部担当の若者たちに連れられて、ある大学の講堂で日本学術会議のメンバーであるという偉い先生の講演を見に行ったことがある。
見に行ったではなく、聴きにいったのでは?と思うだろうけど、本当に見に行っただけ。しかも、講堂に入っていくその先生を拍手喝采で迎える行列の一人としてである。
講堂は人で一杯で入れないんだよと言われたが、私は話が違うと憮然としたものだ。不満がすぐに顔表に出る子供だったので、その後ミルクホールでジュースを奢ってもらい、とりあえず私は満足していた。
日本には政治や宗教などの自由が保証されており、別に共産党の党員であったり、あるいは熱心な賛同者であることも自由だ。日本学術会議という組織も、全てが共産党に仕切られている訳ではないはずだ。
それでも、日本学術会議が共産党の強い影響下にあったのは確かだと思う。実例を挙げれば、この日本学術会議は戦後一貫して、戦争への協力反対を唱え、また天皇制についても批判的であった。元号廃止を強く訴えていたのが、この日本学術会議であった。
おかしいのは日本のマスコミ様で、何故だが今回の報道でも、日本学術会議の赤い面については知らぬ存ぜずで押し通している。学問、信教の自由がある日本であるから、日本学術会議が共産党の意向に沿った主張をすることも自由であるはずだ。
でも、なぜかそれを報じない。いや、日本では戦争への協力反対を言いつつ、シナでは戦争協力をする自由についても報じていない。
ちょっと偏向し過ぎではないか。
その偏向だって自由といえば自由である。でもその偏向を報じてこそ、マスコミは有権者に必要な情報を提供していると云えるはず。でも現実には、日本の多くのマスコミ様はその情報提供を拒む。
日本学術会議が日本共産党の強い影響下のもとで、様々な提言を行っていて何が悪い。そう主張するマスコミ、政治家がいてもいいはず。
でも、しないんだよね。あたしゃ、それが気持ち悪いぞ。
チョコレート、大好き。
甘いもの好きであり、和菓子の餡子も好きだけど、やはり上質なチョコレートが一番好きだ。
以前は時たま銀座・松坂屋の地下で、名店のチョコレート菓子を自分へのご褒美として買っていた。松坂屋が閉店してからは、三越か松屋まで出向かねばならず、またお財布の事情も侘しいので、機会が大幅に減った。
それ以上に、デパ地下まで行かねばならぬ時間が惜しい。やはりコンビニのお菓子売り場が一番足繁く通える。ところが、ここには私が本当に欲しいと思うチョコレートがない。
いや、デパ地下に行こうが、千疋屋、明治屋に行こうが、どこにも売っていない。なぜなら、もう販売停止だからだ。それがロッテの最高傑作、VIPである。
板チョコ史上、最も美味しいと言われた名品であった。バブルの申し子でもある。生チョコをたっぷりと使った贅沢さは、パティシエの手作りチョコにも劣らぬ上品な甘さを感じさせてくれたものだ。
だが、やはりバブルの申し子であったのか、数年後には製造中止となり今日に至る。私はコンビニやスーパーなどで気軽に入手できる板チョコで、このロッテのVIPほど美味しかったものはないと断言できる。
ロッテ様、どうかどうか、再び製造販売をお願いします。
フランス料理は美味しいと思うし、イタリア料理も大好きだ。
少ししか知らないが、スペイン料理やポルトガル料理だって美味しい。あまり評判の良くないドイツ料理やイギリス料理だって、その一部は確かに美味しいと現地で思ったのも確かだ。
今の日本ではあまり人気はないかもしれないが、ロシア料理は子供の頃の大事な思い出である。総じて西欧料理全般、私はけっこう好きだ。あまり大きな声で言うべきではないかもしれないが、美味しい国の料理には貴族文化と帝国主義が必要だと思っている。
貧しい国民を尻目に一部の支配者が美食を満喫し、他国を侵略して美味しいものを簒奪してまでして豊かな生活を享受する。この傲慢にして貪欲な人間の本能があるからこそ、美食は成立する。帝国主義の総本山である西欧料理が美味しいのは当然である。
その西欧の帝国主義をギリギリで喰いとめた明治政府は、食われぬ為に富国強兵を目指した。屈辱的な不平等関税を甘受しながらも、西欧の強き部分を学び自らのものにすることで、列強の一角に名を挙げることに成功した。
その過程で伝統的な日本の食文化に取り込まれたのが、いわゆる西欧料理である。だが、この時代の日本は西欧料理をそのままの形で受け入れることは出来なかった。
食材などの調達で難しい部分があったのは確かだが、それ以上に伝統的な食文化へのこだわりという心の壁が大きかった。だからこし西欧料理を日本的にアレンジした洋食が生まれた。
後にトンカツと名を変えたカツレツであり、オムライスやカレーライスなどが続々と編み出された。西欧料理をご飯に合うようにアレンジしたのが洋食だと言われるが、たしかにそうかもしれない。やはり主食が米であり、おかずとしての西欧料理のかたちが当時の日本人に一番しっくりときたのだろう。
いや、今でもご飯とオカズといった形は当たり前であり、主食がお米の日本人に適した形態なのだと思う。その一方でご飯なしで西欧料理を食することも珍しくなくなってきている。
私の記憶では、やはりバブル経済がもたらしたものだと思う。ようやく西欧料理がそのままの形で日本社会にも受け入れられるようになったのだが、それには日本の高度成長の恩恵である過剰な資金がもたらしたことを思うと、いささか複雑な心境である。
バブル期の日本の経済力は、欧米をして日本の再侵略だと警戒されるほど凄まじかったことが良く分かる。やはり美食には、他者を怯えさすほどの経済格差とか、文化侵略といった好ましからざる道程が求められるようだ。
表題の書は、その洋食やの老舗である日本橋の「たいめいけん」の初代が記したエッセイである。
さすがに私も初代の店が新川にあった頃のことは知らないが、「たいめいけん」自体には幼少時に行った記憶がある。ここのオムライスは名物で、それを母と祖母に聞かされた覚えがあるからだ。もちろん子供はオムライスが大好きだから、私もかなり鮮明に覚えている。
ただ、店が思い出せない。食べたことは覚えているが、どこで食べたかが思い出せない。多分、日本橋の本店ではないように思う。私の記憶だと上野動物園に行った帰りだから、上野のデパート内に出店した「たいめいけん」か上野駅構内の「たいめいけん」ではないかと思う。
もう母にも祖母にも訊けないから、こればっかりは分からない。妹・・・長男様の吾輩が覚えてないのだから、妹たちが覚えている訳ない。訊くだけ無駄であろう。第一、お子様ランチだったと思うぞ。
もっとも私もお子様ランチだが、おばあちゃんのオムライスを分けてもらったので覚えているのだ。
ちなみに、「たいめいけん」の日本橋店は先月、閉店してしまった。コロナ閉店かと思いきや、日本橋の再開発に伴う閉店だそうで、いずれ再開するとのこと。もう数十年、足を運んでいないのだけど、再開する予定だと聞いて一安心です。
今年の夏は暑かった。
これを過去形で云えるのが少し寂しいほど、もう冷え込んできている。もう半袖ではいられない。一雨ごとに冬が近づいてきているのが分る。
にもかかわらず、私は毎朝、コーヒーカップに氷を浮かべて、そこで甘酒を注いで、少しかき回してから飲み干している。
今年の夏から始めた私の健康法だ。甘酒は栄養豊富でブドウ糖が多く、朝目覚めた身体に優しい飲みものだ。ただ糖分が高いので、糖尿病を気にする私は、一日にコップ一杯と決めている。
本当のところ、甘酒はさほど好きな飲み物ではなかった。子供の頃は炭酸飲料に強く惹かれていたので、甘酒なんて古臭いと思っていたくらいだ。
ところが最近、スーパーの店頭などで甘酒を見かけることが増えた。それも季節を問わず置いてある。売れているのか?
私は甘酒を寒い時に飲むものだと思っていたが、調べたら江戸時代は夏に飲んでいたらしい。なんと夏の季語の一つが甘酒なのだ。これにはビックリ。
しかし、夏バテ防止として栄養豊富な甘酒が有効であることは、私自身実感している。特に汗を大量にかいた時の栄養補給として、極めて有益であったと思う。飲める点滴とはよくいったものだ。
ただし、飲み過ぎると絶対に太ると思う。そこだけが要注意ですね。
誤解を恐れずに敢えて予言すると、日本はそう遠くない将来、アメリカ軍の一部隊として戦場に引きずり出される。
実際のところ、既に国連軍の一部隊として主に戦後処理を担っている。でも戦後なんて国連が勝手に決めただけ。現地ではいつ再び戦争が再開されるか分からない。
国連信仰に染まった方には理解不能だろうけれど、欧米以外の国では国連は必ずしも好意的に受け入れられる存在ではない。特にアフリカでは、国連がかつての植民地の宗主国であるヨーロッパ諸国の手先と捉える現地人は少なくない。
日本の歴史教育では、まず教えらえないが第二次大戦後、多くのアフリカ諸国が植民地から独立したが、その際の旧・宗主国主体の国連軍の振る舞いは蛮行以外の何物でもない。
ピース・キーピング・オペレーション(平和維持活動)の美名の下、旧・宗主国はかつての植民地の財産を収奪し、反対者を虐殺し、そのあまりの醜悪さから一時期国連はアフリカの地に国連軍を派遣することが出来なくなるほどであった。
幸いにして日本の自衛隊は今のところ深刻なトラブルには見舞われていない。オサマを始めとして世界各地に国連軍の名の下、自衛隊が派遣されているが、戦争に巻き込まれずに済んでいるのは、むしろ僥倖だと思う。
だが、ここでアメリカ軍が日本の自衛隊が利用価値の高い軍隊であることに気が付いてしまった。「なんだ、日本国外でも使えるじゃないか」
もともとは、太平洋戦争時その狂ったような戦い方に辟易したアメリカが、日本から軍隊を取り上げる為、平和憲法を押し付けた。そして日本の防衛はアメリカ軍が担ったのだが、冷戦が状況を一転させた。
ユーラシア大陸東部に対する軍事拠点として、日本列島は最適の位置にあり、ここを兵站拠点として活用することに価値を見出した。武器、弾薬、食料、修理、兵士の慰安など多様に活用できる日本である。その警備も日本人にやらせよう。
そう考えたからこそ、アメリカは自衛隊の創設を日本政府に命じた。平和憲法の下、国力を日本経済再建に集中していた日本政府は慌てたが、なんとか専守防衛の大義名分で世論を黙らせ、自衛隊と称する国防軍を作り上げた。
ただし、アメリカ軍は案外と自衛隊を馬鹿にしていた。実戦経験もなく、実弾訓練だってたいしてやっていない未熟な部隊だと蔑んでいた。もっとも日本軍との合同演習を重ねる度に、現場サイドでは自衛隊に対する評価は高まっていた。
それでもアメリカ国防省は戦地での経験がない日本の軍隊に懐疑的であった。その評価を一変させたのが、国連平和維持軍での活躍であった。「これならば戦場でも使えるぞ」と。
表題の書は、日本での生活経験が豊富な元・アメリカ陸軍将官が記した自衛隊に対する再評価である。現在もPMCの役員として活躍し、アメリカ国防省だけでなく、日本の自衛隊及び防衛省とも人脈を持つ著者だけに、この本が書かれた背景は不気味である。
私は予言したい。日本の若者たちが世界各地の戦場で活躍し、戦死する未来はそう遠からず実現すると。
更に嫌な予測だが、その時の日本は未だに平和憲法を現状のまま放置しているだろうと。憲法を守らず、法治の基礎を蔑ろにして、我が日本は戦争の道へと突き進む。
戦争を始めるのは容易い。しかし、戦争を終わらせるのは難しい。
戦地で無残な死を遂げた日本の若者のため、戦争続行を訴える熱狂的な日本国民は過去にも幾度もあった。特に日露戦争の時は、戦場で疲弊する兵士を想い、断腸の思いでアメリカの停戦交渉を受け入れた原・内閣。
その日本政府に対して戦争継続を訴えて大阪の地方紙から全国紙にのし上がったのが朝日新聞であり、その熱狂的な購読者が日本各地に多数いた。原・内閣はそれを強硬に押し潰し(言論の弾圧だァ!)て戦争終結を受諾している。
だが、この時の政府の混乱を見て、明治憲法の欠陥と有事法制の不備を悟った軍の若手将校らが、後に満州で勝手に戦線を拡大し、それが太平洋戦争への入り口を切り開いた歴史をどう考えているのだろうか。
脳内お花畑平和市民が固執する平和憲法と、有事法制の不備が日本を再び戦争の泥沼へ引き込む可能性は決して低くないと思います。
21世紀は、水と食料と石油をめぐる戦いが必ず起こります。水以外の資源に欠ける日本が、再び戦争に巻き込まれる可能性がないは到底思えません。
巻き込まれるのは不可避かもしれませんが、撤退は政府の意志次第です。その時、有事法制の欠陥が邪魔しなければ良いのですけどね。