ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

喧嘩侍勝小吉 小松重男

2025-01-27 12:59:13 | 

明治維新の本質は内乱による権力交代である。

どの時代、どの国にあっても内乱は悲惨で苛烈なのが通例だ。同じ国の仲間同士の争いであるが故に、むしろ憎悪と恨みが絡み合い、庶民も巻き添えにした壮絶な殺し合いが内乱では普通に見られる。

明治維新においては、徳川家が幕府を置いた江戸こそがその内乱の最大の戦地となるはずであった。しかし、幕臣の勝海舟と維新側の西郷隆盛との話し合いにより江戸城の無血開城がなされたことにより悲惨な内戦は最小限に留められた。

本来ならば江戸に攻め込む情念に燃える維新側にとって最も盛り上がる場面になるはずであった。連戦連敗の幕府側はただただ維新軍に蹂躙されるだけのはず。話し合いなんて必要ないと思っていたはずだ。

しかし山岡鉄舟が駿府に駐屯中の維新軍に乗り込み、会談の設定を取り付けた。これは幕府側に切り札があったからだ。勝海舟が事前にあれこれと対策を練った成果でもある。その対策の一つに江戸の街の焦土作戦がある。

勝は江戸の街の火消したちを集めて、もし維新側が攻めてきたら火をつけて江戸の街を燃やし尽くせと命じた。火消しの大親分である新門辰五郎は仰天したが、それでも小吉の旦那の息子さんの顔を潰すわけにはいけねえと請け負った。

火消しだけでなく、博徒やごろつきまで含めて江戸の暴れん坊たちから慕われたのが勝小吉である。いや、小吉自身が暴れん坊の代表格であった。とにかく子供の頃から喧嘩好きで、勉学は好まず、武芸もやらず。ただし喧嘩だけは江戸一と云われ、武芸者では剣聖とまで言われた男谷精一郎でさえも軽くあしらったという。江戸の三大道場に喧嘩を売りに行くのが大好きだが、酒や賭博はやらず専ら喧嘩と吉原遊びに傾倒した。

だから親が望んだ幕府への士官は叶わず、その代わり江戸一の暴れん坊として名を上げた。ちなみに息子である勝海舟(麟太郎)は、小吉が二度目の家出をした罰として、実家の座敷牢に3年間蟄居させられた時に産まれている。座敷牢って何なんだ?

こんな破天荒な親父を反面教師として育った息子は、徳川幕府を潰しても日本を守りたいと考えるトンデモナイ幕臣であった。しかし、その思いは敵である西郷にも熱く伝わり、無血開城という結果に結びついた。

それにしても海舟の実父がここまで無茶苦茶な人物だとは知らなかった。無職の浪人だとは知っていましたが、表題の書を読むと浪人というよりも不良親父であり、侍というよりも与太者。武芸の技量はなくとも天性の喧嘩上手で荒れた幕末の江戸に無頼風を吹かした小吉は、品の良い歴史家には評価しずらい人物だと思います。

だが小吉の息子であったからこそ、江戸の暴れん坊たちは勝海舟の無茶な要請に応じた。これはこれで事実として明記されて然るべきでしょうね。ただ霞が関のエリート官僚様は嫌がるだろうなぁ。だって、彼らが一番苦手なタイプですからね。

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アウトサイダー フレデリック・フォーサイス

2025-01-20 15:36:58 | 

スパイ小説の紙価を高めたといって良いのがイギリスのF・フォーサイスであろう。

なんといっても「ジャッカルの日」は傑作であった。映画化もされて大ヒットしたことで原作を読んだ人も多いと思う。ただし駄作も少なくないが、それでも「オデッサ・ファイル」「戦争の犬たち」は傑作だと思っている。

そんなフォーサイスの自伝が表題の作品だ。率直に言って下手なスパイ小説よりも面白い。挫折多き半生だと思うが、その多彩な経験が後の小説家としての資質に大きく寄与していると分かる。

ただし、この自伝は注意して読まないといけないと思う。おそらく情報提供者を守るため、あるいは守秘義務に関わる部分があるため、けっこう空白の部分があることが読み取れる。私、けっこう意地になって調べたりしましたが、無理ない気もします。

特にナチスの追跡や、アフリカのビアフラ戦争に関わる部分は書けないのだと思う。それだけフォーサイスが危険な場所、人物などと関わっていた証左でもある。同時にフォーサイスの作品にむらがある原因も分かったような気がした。

面白いアイディアがあったとしても、それがこれまでの彼の人生で知り合った人に迷惑となりそうになると、そこを誤魔化さざる得なくなり、結果的にツマラナイ作品になってしまったのだろうと思う。実際、フォーサイスは諜報活動に関わることがあったようだし、かなり危ない目にも遭遇している。

その経験を活かして小説を書くにしても、どうしても書いてはいけないことも多々あったのだろう。この自伝を読むとフォーサイス自身は自らの基礎をジャーナリストであるとし、小説家を余技としているように思えてならない。

多分、これこそスパイ小説家としてのフォーサイスの美点であり、かつ限界なのだと思います。

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葬送のフレーレン第七巻 

2024-12-25 10:14:04 | 

あーあ、久々にやっちまったよ。

子供の頃から私は寝床の周りに本を山積みするのが好きだった。手を伸ばせば、そこに本がある。冬の寒い時期は妹たちに占拠された炬燵ではなく、自分の寝床で布団に包まりヌクヌクと読書にふける。これが私の冬の読書スタイルであった。臆面もなく書かせてもらうと至福の時間であった。

とはいえ小遣いの乏しい10代の頃は、本の山積みというより丘積み程度であった。でも自由に使えるお金が飛躍的に増えた社会人になるといけない。本の山積みは、危険な高さになり、いつ山崩れが起きてもおかしくない危険な状況が常態化してしまっている。

これも30年以上経つと、危機意識も希薄となり、小遣いの増加もあってますます未読山脈は増大するばかりである。いくらナマケグマの生まれ変わりを自称する私でも危機管理の必要性を認識せざるを得ない。まぁ一言でいえば片付けろ、である。

なので週末、寒かったので外出は控え、その替わりに寝床周りの未読山脈を整理していた。そうしたら見つかってしまったよ。今年のお気に入りの一つ「葬送のフリーレン」第七巻が二冊も。

同じ小説を買ってしまったことは何度かある。しかし漫画は珍しい。何故だろうかと訝ったが、おそらく夏場で暑くてバテていた頃だと思う。実はこの作品はゆっくりと読もうと決めていた。内容が濃いというよりも、じっくりと楽しみたいからだ。

ちなみにアニメ版はほとんど視ていないが、北米や欧州では絶大な人気を得ているらしい。動画を短時間だけ視てみたが、原作の雰囲気を上手く活かしており、これはアニメも視てみたいと思っている。

ところで余った7巻だが、年明けにでも新古書店に売りに行こうと思う。今ならけっこう値がつくらしいしね。余談だが私は時折、この二度買いをやらかす。一番多いのはフィリップ・マーゴリンの「炎の裁き」だ。三冊も持っている。何故かというと面白そうだったからで、本当に面白いので本屋で立ち読みして、思わず買い込んでしまったからだ。

いや、ボケじゃないよ。なにせ30代の頃からやらかしていますから。

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湿地 アーナルチデュル・インドリダソン

2024-12-10 09:16:54 | 

おそらく私は北欧とかアラスカ、カナダ北部では暮らせないと思っている。

そして、表題の書の舞台であるアイスランドも無理だろう。行ったこともない癖に傲慢に過ぎるとの誹謗は甘んじて受ける。でも原因は分かっているし、それはどうしようもないことなんだ。

まず寒いのがダメ。もっとも暑すぎるのもダメなので、これは私の我儘である。でも、それ以上にダメなのがあの暗い空である。緯度が高い地方では、夏は短く冬は長い。それは自然現象として仕方のないことではあるが、多分だけど私きっと鬱状態になる気がする。

日本ならば冬は寒くはあっても見事な快晴がある。星空だって一年で一番美しいのが冬だ。しかし、緯度が高い地域では極夜といい、一日中日が昇らない日々が続く。その替わりにオーロラなどが見えることもあるそうだが、おそらく私はダメだと思う。

ちなみに欧州へ旅行した時は夏であり、夜22時過ぎても明るいのに仰天したが、夏は短く冬の長い高緯度地方で暮らす気分にはなれない。暮らす気はないが、北欧を舞台にした小説などを読むのは好きだ。表題の作品は、北極圏の方が近いアイスランドの首都レイキャビク周辺で起きた殺人事件が主題のミステリーである。

もう、のっけっからいけない。薄暗い空から降る雨と謎の老人の死体。陰鬱な事件背景と暴力的な匂いの漂う犯人捜査。正直、読み始めは陰鬱な気分に陥るほどであったが、捜査が進むにつれて見えてくる意外な犯人像。雲の切れ間から太陽が差すような事件展開。

謎を追い詰める刑事の独特な個性と相まって目が離せなくなる面白さ。北欧生まれのミステリーもなかなかに侮れないと痛感した良作でしたね。

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野蛮なやつら ドンウィズロウ

2024-11-22 11:23:03 | 

たいへんに失礼な話ではあるが、私はメキシコには行きたくないと思っている。

特段、メキシコ人から被害を受けた訳でもなく、いささか過剰な反応であることは自覚がある。では、何で嫌なのかというと映画「ディスペラート」の影響が大きい。あの映画の中で描かれているメキシカン・マフィアの残酷さにおぞましいものを感じたのが契機だった。

ピアノ講師の腕を切り落とすのもひどいが、あの目玉を抜き取る遣り口の残虐さは理解を絶する。なにを映画で嫌っているのかと思われるだろうが、あれが概ね事実に基づくことぐらいは知っている。ウィンズロウの「犬の力」における麻薬マフィアの凄まじさも同様だ。

もちろん似たような残虐さは、世界各地の非合法組織で見られるし、苛烈な拷問で知られる歴代のトルコ王朝や中華王朝も目を覆うほどの残虐な刑罰で悪名高い。だがメキシコの犯罪組織の残酷さは一味違う印象が強い。

なんとなくだが、湿った残虐さを感じる。鬱屈したものが突如湧き出して、埃のように舞い散って残酷さを見せつける。そこには人間が野生の獣の延長であることを想起させずにはいられない。無秩序に、無造作に、そして無情に残酷なのだ。

実は私、とんでもない妄想を信じています。それはスペイン人に虐殺されたアステカ文明の呪いです。実際にはスペイン人により持ち込まれたインフルエンザや梅毒に対して絶望的に免疫を持たなかった中南米の原住民は大量の病死により衰退しています。しかし、それを加速させたのがスペイン人の奴隷制度であったことは事実でしょう。

現在、メキシコに住む人々で純粋な原住民はほぼ皆無であり、大半はアフリカから連れてきた黒人奴隷との混血です。そしてスペイン人との混血が支配階級としてメキシコの政治を牛耳り、大土地所有者として多くのメキシコ人を貧困に追いやっている。

もちろんメキシコ人もこの状況を変えようと改革を志したことは何度もあります。しかし、いずれも既得権者の妨害に遭いとん挫しています。私はこれをアステカの呪いだと勝手に呼んでいます。

このような格差社会において麻薬業は、貧乏人が成りあがる数少ないチャンスでもあります。麻薬が体に悪いことは知っていても、その麻薬を使うのはアメリカ人。アメリカがメキシコ人の人件費が安いことを知っていて、暴利を貪っていることは周知の事実。なれば、麻薬を輸出して、富を取り返して何が悪い。

だからこそメキシコにおいて麻薬組織は必ずしも犯罪組織として憎まれる訳ではない。むしろメキシカン・マフィアとまで呼ばれる麻薬組織同士の争いのほうが疎まれる。でも報復が残虐で恐ろしいので誰も口に出せない。

そんな状況下でアメリカの西海岸で良質なマリファナを製造販売する二人のアメリカ人が、メキシカン・マフィアに狙われた。二人の友人である女性を誘拐して下請けとして協力するように強請られる。

果たして二人は女性を救出できるのか。

凄まじいクライム・ミステリーである「犬の力」に比べるとかなり軽い読み口ですが、アメリカとメキシコ、アメリカの官憲とメキシカン・マフィアの関りを知るのには入門編として良いかもしれません。

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