ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「炎の裁き」 フィリップ・マーゴリン

2007-03-31 14:02:46 | 
マーゴリンが続きます。

実は一番好きな作品がこれ。著名な弁護士である父の下で、甘く華麗な弁護士生活を満喫していたはずが、自らの失態で放逐されたボンボン弁護士である主人公。地方の地味な弁護士事務所に居候という、見事な都落ちで始まる。

この最初の出だしだけで、後のストーリーが想像できてしまうのだが、案に相違して面白かった。爽快でもあった。ストーリーは陳腐だが、中味が良かった。読者がそうあって欲しいなと念じる結果に、見事に応えている。マーゴリンの他の作品が、読者の期待を次々と裏返し、でんぐり返すことに比べると、表題の作品はちょっと異質なのだが、けっして不快ではない。そこが面白い。

正義感に燃えて、逆境を跳ね除け活躍する主人公なんて、あまりにありきたりの設定なのだが、それでも面白さを減じないのは、マーゴリンの筆のさえだと思う。思わず主人公、頑張れ!と応援したくなる。なかでも絶縁したはずの父との和解の場面は、何度も読み返したくなる。こんな科白、親父に言わせてみたいものだ。

・・・うちの親父殿ときたら、子供たちに説教するのが大好き。ただ、その説教の内容が、上司が部下にするタイプの説教だから頭が痛い。まあ、それを聞いてやるのも親孝行のうちだと我慢してますがね。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「氷の男」 フィリップ・マーゴリン

2007-03-30 09:40:31 | 
とくかく展開が読めない。二転三転は当たり前、何が起こるか分らない面白さ、それがマーゴリンの面白さだと思う。

アメリカで大人気の法廷サスペンスは、弁護士が作家であることが多い。それゆえ、法廷の内情などが詳細に語られることが多いが、マーゴリンは違う。腕利きの刑事弁護士であるにも関わらずマーゴリンには、法廷の内情など背景に過ぎず、物語の構成にこそ作家の腕のふるいどころと考えていると思う。

次々と読者の前に提示される新しい局面は、物語がどこに向かうのかさえ予測させない。しかも、最後の最後にどんでん返しを持ち込んでくるから、実に憎たらしい作家である。私が初めて読んだのは、昨年このブログでも取り上げた「暗闇の囚人」だ。その時書いたと思うが、言葉を絶する結末に呆然としたものだ。

それに比べれば、表題の作品はそれほど驚嘆すべき結末を用意しているわけではない。しかし、主人公の苦悩には立場を超えて共感させられた。多分、主人公の苦悩は、作者本人の苦悩でもあるのだろうと思う。

仕事も中味も違うが、私とて仕事上の苦悩はある。クライアントを信じたいが、視点を変えて冷静にみれば、やはり脱税との疑いは拭いきれない。そんな場面に何度となく出くわしている。一応割り切って仕事をしているが、割り切れない場合も少なくない。

脱税幇助はしたくない、絶対に。でも結果的に手を貸しているかもしれない・・・そんな疑念にさい悩まされることも、たまにはある。たまだから、まだ悩むだけで済む。それが常態にになったら、私の倫理観は磨耗し、麻痺し、ついには脱税請負人に成り下がるかもしれない。本当に浮「と思う。

姉歯建築士にせよ、ライブドアの宮内・税理士にせよ、きっとどこかで職業的倫理観を投げ打ってしまったのだと思う。妙な言い様だが、金だけでは転ばないと思う。だからこそ怖い。マーゴリンの法廷サスペンスが魅力的なのは、犯罪にまつわる内面的葛藤を抉り出すからこそだと思う。

どうもマーゴリンとは、微妙に波長が合う気がする。読むと何時だって悩まされる。そのくせ読むのを止められない。困ったものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「幻想水滸伝Ⅲ」 志水 アキ

2007-03-29 09:29:56 | 
これはPSのRPGゲームを漫画化したものです。

私がRPGゲームを知ったのは、大学の研究室になぜかあったNEC98のロマンシアだった気がします。一応BASICやCOBOLの研修も受けたのだが、どうも当時はコンピューター自体が好きになれなかった。まだDOSⅡの頃だから、コマンド入力が普通で、それを面倒に感じていたことが原因だった。ゲームの操作は簡単だけど、コンピューター自体に苦手意識があった。だから見ていただけで、自分ではやっていない。

だいたいがインベイダーゲームすら、それほど好きではなく、ゲームセンターに行っても、もっぱらモグラ叩きに熱中していた程度なので、任天堂からファミリーコンピューターなるものが発売された時も関心はなかった。

ところが長引く病気療養で、暇を持て余し、ついにファミコンを買ってしまった。一緒に買ったのがスーパーマリオとDQⅡだった。マリオはすぐに飽きたが、DQにはハマッタ。シリーズ中最もゲームバランスが悪いとされるDQⅡだが、苦労してクリアし凱旋する時は本当に感動したものだ。

以来、RPGゲームはかなりやりこんだ。PS及びPS2で気に入っているのが、表題の幻想水滸伝シリーズだ。このゲーム、108人全員揃えないと、ベストエンディングにたどり着けないのが難点だが、けっこうよく出来ていると思う。

現在まで5作発表されていると思うが、一番気に入っているのがPSⅡ最初の作品である幻想水滸伝Ⅲだ。敵味方含めれば200人近い登場人物を、4っの視点から捉え、物語に深みを増している造りが気に入っている。

小説でも漫画でもそうだが、あまりに登場人物が多すぎると、かえって散漫に陥る可能性が高いものだ。しかし、コンピューターゲームの特性を活かして主人公を切り替えることにより、それぞれの置かれた立場(社会や歴史)による視点の違いを表現することで、大河ドラマ的広がりを持たせることに成功した稀有なゲームだったと思う。

このようなゲームを漫画というメディアに舞台を代えて、表現しているのが表題の作品だ。元々好きなゲームなので、興味深く読ませてもらった。正直言えば、ゲームを超えるものではないが、ファンとしてはこのような多様な試みも面白いと思う。特にゲームでは語られなかった、敵方のキャラの背景が描かれていることが好感持てる。まあ、ファン限定の面白さだとは思いますが。

ちなみに一番好きなキャラは、アヒルの軍曹。渋いっす。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「限りなく透明に近いブルー」 村上 龍

2007-03-28 13:29:50 | 
私は幼少時、米軍基地の隣町に住んでいた。近所には基地勤務のアメリカ兵の家が何軒もあり、どの家庭にも白人の子供達がいた。

私ら日本人の子供たちは、この米兵の子供たちとは大変仲が悪かった。小さな遊び場をめぐって、何度となく喧嘩を繰り返した。しょせん子供の喧嘩と侮るなかれ、素手の取っ組み合いばかりじゃなかった。

斜め向の家のアメリカ人の子供とは、家が近いだけに殊更喧嘩が絶えなかった。年は近かったと思うが、身体の大きさがふた周りは大きかった。今にして思うと、アメフトの真似だったのだろう。低い姿勢からのタックルをぶちかまされて、押し倒されてボコられた。小柄だがすばしっこかった私は、隙を観て背後に回りこみ首を絞めてやり返すのが常だった。

ある日、やりすぎて相手が泡を拭いて半失神状態に陥った。興奮した私が、クビを締め過ぎたらしい。私も慌てたが、近所の大人が駆けつけて、活を入れて助けてくれた。嫌な相手ではあったが、後味の悪い喧嘩だった。

ただ、やられた当人はえらく屈辱に思ったようで、次の日原っぱでタイマンの喧嘩になった。最初は素手での取っ組み合いだったが、じれた相手がいきなりナイフを取り出して、振り回してきた。

無鉄砲だった私は、臆することなく上着を脱いで手にまきつけ、ナイフを叩き落そうと突っ込んだ。気が付いたら、相手の手のナイフは血に染まっていた。私の左足の付け根付近から、勢いよく血が吹き出していた。

喧嘩で血を流すのは初めてではないが、これほどの出血は初めての経験だった。プロレスラーのブッチャーは、血を流すと興奮して強くなるが、私は逆に頭が醒めて、冷静になる性癖がある。

落ち着いてベルトをはずして、足の根元に強く巻きつけ止血した。相手をみると、へたり込んでいる。顔面が蒼白になっていて、なにやら喚いていた。見守っていた他の少年達も動揺しているようだった。私は白けてしまい、病院に行くと言い残して、自転車で立ち去った。

左足は使わず、右足だけで自転車を漕いだのだが、やはり出血はひどく左足は真っ赤に染まった。振り返ると舗装された道路に私の血の跡が点々と残っている。近所のおばさんが私の姿を見て、大声を上げたのは覚えている。嫌な予感がした。

痛みは感じなかったが、出血のせいかふらついた。怪我をしたときに行く医院に飛び込み、看護婦さんに呆れられ、医務室に連れ込まれた。嫌な予感は的中した。近所のおばさんが母を連れて、あたふたとやってきた。怒鳴られるかと思いきや、泣かれたのには参った。

結局、家に戻ると3日ほど監禁された。妹達が目を光らせていて、抜け出せなかったのが何より苦痛だった。警察も来たが、私は転んで怪我をしたと言い張り、喧嘩を認めなかった。子供の喧嘩に、大人を巻き込むのは卑怯だし、警察は苦手だったし、面棟Lかったからだ。

外出を許されるようになると、近所の子供達の私を見る目が変わっていた。いつも突っかかってくる白人の子供たちも、私に一目置くようになった。別に友達になったわけではないが、ツマラナイことで喧嘩をすることはなくなった。私はさして喧嘩が強いわけではないから、多分警察に黙っていたことを評価されてだと思う。

その後、その町を引っ越してしまったので、縁遠くなったが、表題の本を読んだ時真っ先に思い出したのが、当時のアメリカ人の子供たちだった。幼馴染たちが、アメリカ人の若者とつるんで悪さをしていると、噂を聞かされていた。多分、私も引っ越さなかったら、一緒につるんでいたと思う。

私は国際親善だとか、「世界の皆が仲良く」なんてフレーズは全く信じていない。信じてはいないが、どこかしらに妥協点はあると思うし、肌触れ合ってぶつかり合えば、分かり合えることもあるかもしれないと思っている。その程度で十分だとも思っている。ほんの少しでいいから、分かり合えたら幸運なことだと思う。
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

確定申告雑感

2007-03-27 09:26:09 | 日記
随分とまだら模様の濃い確定申告だったと思う。

毎年、3月15日は所得税の確定申告の期限。個人事業者や不動産の売却所得の申告などが集中するせいで、休み無しの仕事漬けの毎日だった。

税務署から戻ってきた申告書の控えなどをチェックしながら、昨年の動向などを省みると、やはり小規模事業者には厳しい一年であったと思う。全般的に所得が減少して、それに伴い納税額も減少している。廃業や休業の届けもあり、寂しさを禁じえない。

その一方、不動産の売買は盛んであったようで、非常に申告数は多かった。納税額が八桁に届く申告もあり、ずいぶんと緊張させられたものだ。中味を吟味すると、再開発型の不動産売買が窺われるものが多い。それと相続に伴い、相続人の間で不動産を売却して分割する申告も目立っていた。土地を貰うより、金銭が欲しいということなのだと思う。

私は「勝ち組」「負け組」といった単純な二分法が好きではないが、やはりある程度の二極化は実感せざる得ない。従来の土地持ちの資産家ですら、その資産の運用の良し悪しに差が出てきた。また金融資産の貯蓄から投資への動きも、非常に実感できた。ただし、こちらは失敗例が多かった。もちろん成功例もあるのだが、率直に言って素人が相場に手を出して失敗するのは今も昔も変わらないと思う。

個人的には投資信託への急激なシフトが気になった。現在の株式市場は、数年前の7千円台の頃の倍になっており、必然的に投資信託も収益率を向上させている。ただ、実際の景気は、とても倍の実感はないわけで、景気の実態との乖離がいずれは相場を下げさせるのではないかとの懸念を捨てきれない。

まあ、今の円安が続くかぎり、或る程度景気は維持されると思うが、個人の所得が減少をし続ける今の状況を考えると楽観は禁物だと思う。

さて、そろそろ頭を法人税ベースに戻して、3月決算に備えますかね。いずれまとめたら書くつもりですが、今年の5月以降の会社決算は要注意だと考えています。新・会社法や平成18年度法人税改正の影響が出てくる最初の申告です。法や制度が変わっても、経営者の考え方はなかなかに変わりません。税務当局の対応も気になります。

嗚呼、いつまでたっても休まる暇がないなあ~
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする