「ヌマンタさん、逆走ですよ」
言われてビックリした。先週のことだが、友人のブルのお通夜で、久々に再会した乾電池(もちろんハンドルネーム)から注意された。会場を出て、右折するのだが、私は左右から車が来ないことを確認してからアクセルを踏み、ハンドルを切った。
葬祭場に来た時は、片側一車線の道を延々と走ってきたので、そのつもりでいた。館山市内に入ってから、道が綺麗になっていたのは気付いていたが、葬祭場のあたりでは、片側二車線になっていたのに気が付かなかった。
気が付かなかったのは、街灯が少なく暗かったことと、左側ばかり見て、葬祭場を探していたからだ。思い込みとは怖いもんで、まさか片側二車線だとは思わなかったからだ。
更にいえば、両側の車線を仕切るセンターラインが、コンクリブロックでがっちり仕切られていたので、私が歩道と仕切っているのかと思い違いをしたからである。
だから、助手席に座った乾電池に注意された時は、まったく予想外で驚いた。昨今、高速道路の出口から進入してしまい、高速を逆走する高齢者のニュースを散見するが、まさか一般道で私がやらかすとは思わなかった。
免許をとってから30年以上になるが、公道を逆走したのは初めてだ。わずか数メートルではあったが、正直動揺した。俺、ボケたのか?
すぐにUターンして、事なきを得たから良かったが、もし同乗していた乾電池からの注意がなかったら、そのまま走ろうとしていただろう。実際には、車が来たので、すぐに気が付いたとは思うが、きっと激しく動揺したと思う。
白状すると、ブルの最後の姿に、かなり気持ちが揺れていたこともあったと思う。私の記憶にある彼の姿と、亡くなる前の彼の映像とのギャップに衝撃を受けていた。かなりキツイ仕事がストレスとして、彼の最後に影響を与えていたと想像出来てしまうので、気持ちが運転に集中できなかった。
私はわりと冷淡というか、冷静に過ぎるところがあり、葬儀などで動揺したことは滅多にない。子供の頃、あるいは十代の頃でも、葬儀で泣いたことは全くない。強いて言えば、飼い犬のルルとの別れの時ぐらいだ。
それは大人になってからも変わらず、葬式などで泣いたことはない。これは、「男は人前で泣くもんじゃない」と私を躾けた、おばあちゃんの影響である。この教えは強固に私を縛り、母の死に際しても涙を流したのは、深夜の霊安室で一人母に相対した時だけで、人前では泣けなかった。
だが、泣かないからといって、心が悲しんでいない訳ではない。だから、母の死に際して、病院に車で高速を走らせていた時も、いつもより安全運転を心がけていたぐらいだ。心が動揺していると、それが運転に悪影響を与えることぐらいは分かっていたからだ。
しかし、今回の動揺は予想外のものであったため、覚悟というか心の準備が出来ていなかった。それが安易な運転につながったのだと思う。まったく、人生は予想外の出来事の繰り返しですね。
経済学って、何なのだろう。
そんな疑問が脳裏から離れない。私が経済学に触れたのは、高校の倫理社会の授業であったと思う。一応、世界史で、その名前を知ってはいたが、アダム・スミスやカール・マルクスについて、その生い立ちから、その学説の成り立ちまで実に興味深かった。
私は毛語録こそ読んでいたし、共産党宣言も読んでいたが、マルクスの生い立ちと、その学業のアウトラインを教わったのは、この倫理の授業においてであった。ただ、私の興味心は、ここまでで、その後登場するマルサスやケインズについては、あまり記憶に残っていない。
そんな私だが、大学進学の折り、希望したのは全て経済学部であった。平和ボケした日本人の例にもれず、私も経済こそが日本の中心であり、それを学ぶことに意義を見出していた。
ところで、80年代の大学経済学部は、マル経(マルクス主義中心の経済学)から近経(近代経済学主にケインズ)への過渡期であり、私の進学した大学では、近経寄りの経済学が主流であった。
私はここで、ケインズのみならず、リカードやマルサスを学び、更に当時のレーガン大統領に近かったフリードマンらの最新の経済学に触れることが出来た。もっとも、私自身は大学は、社会に出る前の長期休暇と捉えており、もっぱらWV部での登山活動に傾倒していた。
でも留年する気はなかったので、ギリギリの成績でいいから4年で卒業するつもりで、最低限の努力で進級と卒業を果たした。そんな私の脳裏に刻まれたのが、いわゆる自由貿易至上主義であり、市場価格至上主義であり、統制経済から規制緩和による経済拡大主義であった。
要するに、政府は経済に可能な限り干渉せず、貿易は自由として、公正な市場価格こそ適正であり、税率を下げれば下げるほど経済は活況を催す。すなわちレーガノミックスである。
卒業後、その流れは既成勢力の抵抗にあいつつも、着々と進んでいた。レーガンの明るい笑顔に引っ張られるようにアメリカ経済は好調であり、円高不況は結果的にバブル経済を生み出しはしたが、景気が良かったことは間違いない。
しかし、日本経済のバブルは弾け、アメリカはS&Lの破綻と、市場経済の変動に打ちのめされた。景気低迷を受けて日米両政府がとった緊縮財政政策は、正しい処方箋であるはずであった。財政赤字の縮小こそ、経済復活のための避けられぬ痛みであり、その後には好景気が待っているはずであった。
で、景気は良くなりましたか?
私の実感で云わせてもらうと、バブル崩壊後の景気低迷時のほうが、アベノミクスによる好景気よりも、ずっと金回りは良かった。民主党政権下の時よりもマシではあるが、売上も手取りの所得も、10年以上前のほうが良かった。
いったい、経済学ってなにさ。優秀な学者さんたちの言うとおりに行われたマクロ経済政策って、本当は間違っているのではないかい?
そんな疑問に答えてくれるかもしれないのが表題の書である。知る人ぞ知るノーベル経済学賞の受賞者であり、過激な言論でも知られている。その彼が、まるでうっぷん晴らしのような口調で書きつづったのが表題の書です。
もっとも著者はアメリカ人であり、アメリカ経済が中心であり、それに欧州が少し加わる程度で、日本についてはほとんど触れていない。しかし、それでも参考になる。
基本的に経済学というものは、後追いの学問である。現実の経済現象が先行し、それを研究し、今後に活かす社会的役割を担っているはずだ。しかし、現実の経済学は、本当に経済現象を研究し、それを今後に活かしていると云えるのか。
事実上の0金利状態が続く経済において、政府の支出を減らし財政赤字の解消を目指す緊縮財政政策が、現実になにを引き起こしてきたのか。それなのに、その現実を無視して、ひたすらに緊縮財政=善であり、政府の財政主出拡大=悪とする認識から離れられない。
それは学問ではなく、倫理観ではないのか。論理ではなく、信念に過ぎないのではないのか。
私は今、経済学を真剣に学ぶべき学問だと見做すことに、多いな疑問を感じています。興味がありましたら、是非ご一読を。
だいぶ前だが、北海道に旅行に行った知人から頂いたのが「鮭とば」であった。
どうやら天日干しの鮭の切り身であるようだが、適度な堅さと塩味、その風味はけっこう気に入った。先日、久々にその鮭とばを頂いた。これがまた美味しい。特に皮の回りが美味しくて、止められない。
けっこう塩分も多いし、カロリーも高いので、一日に食べる量を制限して食べている。私は日頃、酒を嗜まないので、なんとか我慢できるが、酒飲みであったのならば絶対我慢できない美味しさだと思う。
以前はそれほど意識していなかったのだが、鮭とばは皮回りが美味い。これは意外な発見であった。普段鮭を食べる時は、塩焼にするのだが、皮の部分は残してしまうことが多い。食べられないことはないのだが、十分火を通したものでないと、なんとなく食べる気にならなかった。
考えてみれば、皮回りの肉が美味しいのは動物も同じ。だって、脂肪分が多いのだから・・・カロリー高いはずだね。
そんな訳で、鮭とばを食べるのは量を制限して楽しんでいる。私の机の引き出しのオヤツ箱に、また一つ新しい楽しみが加わった。
しかし、まァ、これで後十三キロのダイエットなんて、出来るのかしらね。でも、つまらない人生は嫌だし、その分走る距離を延ばせばいいさ。私、基本的に楽天家ですから。
報道のTBSは死んだと思う。
先だって北朝鮮において、朝鮮労働党70周年を祝う記念行事が行われた。その取材で首都ビョンヤンを訪れたTBSの報道部だが、その取材に呆れてしまっ
た。
ピョンヤン市内を撮影し、地下鉄内でスマートフォンを見ている一般市民を取材してみたり、新しいピカピカのタクシーが走っているのを報道して、今の北朝鮮の明るい実情をアピールしていた。
バカじゃなかろうか。そもそもピョンヤンに住むことが出来るのは、北朝鮮でも一部の特権階級と、それに仕える政府の職員だけだ。インターネットを厳しく規制している北朝鮮においては、スマートフォンで出来るのは国内電話とゲームくらいなもの。
外国の要人やマスコミが平壌を訪れると、必ずピイピカの車を市内に走らせて、経済が好調なのをアピールする。それは半世紀前から変わらぬ北朝鮮の国外メディアへの対処法である。
それなのに、TBSはそれを知りつつも、抜けぬけと北朝鮮のメディアコントロールに従った。碌に論評も加えずに、日本国内でそれを堂々と報道する醜態ぶりである。ちなみに、その映像等は、非難轟々であったのを気にしてか、現在は見れないようになっている。実に姑息である。
一年前だが、TBSは北朝鮮での取材で痛い目にあっている。あまりに素直に、無邪気に北の実情を報じようとして、北当局に拘束されて、一悶着を起こしている。だからこその、今回の提灯報道なのだろう。
あれは、北朝鮮を報じたのではなく、北朝鮮の宣伝工作に協力しただけだ。あげくに、それを批難されると、さっさと隠す(削除する)醜態である。
実際の北朝鮮は、TBSの宣伝工作とはまったく逆で、ここ数年状況は悪化するばかりだ。今回の党の70周年記念大会で、北の最大の友好国であるシナから来たのは、党序列5位の見知らぬ幹部だけ。
当然である。現在、北朝鮮と北京政府との間は冷え込んでおり、まともな経済支援さえ受けられぬ窮状である。ロシアも同様であり、南朝鮮とはまともな会談すら出来ていない。
そして我が日本とは、経済交流を大幅に制限されているため、金も物資も以前ほど北には流れていない。もともと、貧困には慣れているとはいえ、この窮状は打開の術さえ見つからない。
お得意の核搭載可能なロケット発射実験は、シナの恫喝にあい断念せざるえなかった。何故だか日本のマスコミはあまり報じていませんけど、ほぼ間違いのない事実なようです。
かつて、北朝鮮に関する情報は、日本が得意とするところでしたが、現在のマスコミ様は腰砕け状態なので、まともに報じないことが多いです。私が問題だと思うのは、彼らマスコミは知っていて、それでも報じないことでしょう。
報じるのは、お涙頂戴の、拉致被害者家族に関する報道だけ。きわめて危なっかしい隣国の実情を知ることは、日本の平和を守る上で大切だと思いますがね。どうも、マスコミ様におかれましては、そうでもないようです。
病気が人を変えたのだろう。
表題の作品の著者は、大人向けの娯楽雑誌などに、ちょっとHで下品なゴメディ漫画を描いていた。当時のヒット作である「ころがし良太」などがその典型で、ヤンキー上がりのバス運転手の、はちゃめちゃな生き方が笑えた。
その後、ヤングマガジン誌に「工業哀歌バレーボーイズ」を連載して人気があった。その続編を同誌に連載中、癌に罹患していたことが分かり、連載は一時期中断されていた。その後、作者自身の闘病記などを描いたりしていた。
その村田ひろゆきが自らの癌との闘病生活から得た経験を元に描き始めたのが、表題の作品であった。正直言うと、作風がまるで変ってしまった。それも良い方向に。
私はこの作者は、きっとヤンキー育ちだろうと思っていた。そうでなければ描けない漫画ばかりであったからだ。そして私は知っている。ヤンキーなどと揶揄されることもある、この不良青年たちは案外情に厚い好漢が少なくないことを。
もちろん碌でもない輩は相当にいる。なにしろ根っこは不良であるから、法律を破ることへの障壁は低く、警察はもとより既存の社会制度への反感も相当に根強い。
だが、仲間内に限れば、友誼を大切にし、信義を重んじ、正しいと信じたことのためなら吾が身が傷つくのを恐れぬ人たちであることも知っている。髪を染めた、如何にも悪ガキ風の青年たちが、堂々と高齢者を助け、見て見ぬふりをする良識ある社会人たちがやらない善行をすることがあるのも珍しくない。
漫画家である村田氏が、その入院中に見聞したとみらえる高齢の入院患者、苦しむ癌患者とその家族を、優しくも厳しい目線で描いたのが表題の漫画だ。その絵柄だけで敬遠することなく、素直な気持ちで読んでみれば、凡百の医療漫画とは一味違うその魅力に気が付くはずだ。
私はこれほど病魔に苦しむ患者の表情を、見事に描き出す漫画は久々に読んだ。機会があったら、是非とも手に取って欲しい作品です。