少し後悔している。なにがって、大学受検勉強のことだ。
私の大学受験の選択科目は、国語と英語と世界史だった。国語は本を読むのと、漢字の書き取りだけ勉強していた。英語は単語・イディオム暗記と英文記事の翻訳だけやっていた。ちなみに古典は省略した。古典の授業は大好きだった。でも受験の古典は、大嫌いだった。古典文法なんざ、大学の専門課程でやるべきだ。高校レベルなら、古典に親しむことに集中すべきだと思う。漢文は好きだった。なかでも漢詩が好きだったのと、世ゼミの多久先生の講義が面白くて勉強していた。
で、世界史だが、これに偏った勉強をしていた。代ゼミの武井先生と山村先生の講義を掛け持ちして勉強していた。とても面白かった。ちなみに大学受検は経済学部オンリーである。まったくもって意味がないというか、自己満足だけの受検勉強だった。
実際のところ、浪人時代は代ゼミに通って勉強しているよりも、パチンコをやっている時間のほうが多かった気がする。後はジョナサンで友達とだべっていた。今更ながら、ふざけた受験生だと思う。
ところで何に後悔しているかと言うと、日本史だ。あれだけ遊んでいる時間があったのだから、あの時間で日本史の勉強をしておけばと、かなり後悔している。
日本史に関心が深い方なら分かると思うが、日本史の分野では、常に新しい解釈や発見が珍しくない。とりわけ古代史では、それが著しい。また世界史と同じく唯物史観の影響がかなりあり、見直すべき点も少なくない。
ところが私は基礎的な日本史の知識が十分でないため、それらの話題にはなかなか付いていけない。それが哀しい。大学受検時に、しっかり勉強しておけば、このようなことにはならなかったと思う。実に悔しい。
仕方がないので、独学で時折日本史の参考書などを読む。これが案外難儀だ。理由は簡単、面白くないからだ。教科書的な本は、受検というプレッシャーがないと読むのが辛い。あ~、あの時勉強しておけばと、後悔ばかりが募る。
そんな中で比較的楽しめたのが、表題の本だった。視点が実に新鮮だった。「今の日本がこうあるのは、過去に原因があるからだ」と考え、現代史から近代、近世、中世、古代へと遡って日本史を解説している。これは面白かった。
それにしても、中学・高校の日本史の教え方は、そろそろ本格的に見直した方がいいと思う。いい加減、マルクス史観から脱却しないと、今の自虐的歴史観から自立するのは難しくなるばかりだと心配になる。
私の大学受験の選択科目は、国語と英語と世界史だった。国語は本を読むのと、漢字の書き取りだけ勉強していた。英語は単語・イディオム暗記と英文記事の翻訳だけやっていた。ちなみに古典は省略した。古典の授業は大好きだった。でも受験の古典は、大嫌いだった。古典文法なんざ、大学の専門課程でやるべきだ。高校レベルなら、古典に親しむことに集中すべきだと思う。漢文は好きだった。なかでも漢詩が好きだったのと、世ゼミの多久先生の講義が面白くて勉強していた。
で、世界史だが、これに偏った勉強をしていた。代ゼミの武井先生と山村先生の講義を掛け持ちして勉強していた。とても面白かった。ちなみに大学受検は経済学部オンリーである。まったくもって意味がないというか、自己満足だけの受検勉強だった。
実際のところ、浪人時代は代ゼミに通って勉強しているよりも、パチンコをやっている時間のほうが多かった気がする。後はジョナサンで友達とだべっていた。今更ながら、ふざけた受験生だと思う。
ところで何に後悔しているかと言うと、日本史だ。あれだけ遊んでいる時間があったのだから、あの時間で日本史の勉強をしておけばと、かなり後悔している。
日本史に関心が深い方なら分かると思うが、日本史の分野では、常に新しい解釈や発見が珍しくない。とりわけ古代史では、それが著しい。また世界史と同じく唯物史観の影響がかなりあり、見直すべき点も少なくない。
ところが私は基礎的な日本史の知識が十分でないため、それらの話題にはなかなか付いていけない。それが哀しい。大学受検時に、しっかり勉強しておけば、このようなことにはならなかったと思う。実に悔しい。
仕方がないので、独学で時折日本史の参考書などを読む。これが案外難儀だ。理由は簡単、面白くないからだ。教科書的な本は、受検というプレッシャーがないと読むのが辛い。あ~、あの時勉強しておけばと、後悔ばかりが募る。
そんな中で比較的楽しめたのが、表題の本だった。視点が実に新鮮だった。「今の日本がこうあるのは、過去に原因があるからだ」と考え、現代史から近代、近世、中世、古代へと遡って日本史を解説している。これは面白かった。
それにしても、中学・高校の日本史の教え方は、そろそろ本格的に見直した方がいいと思う。いい加減、マルクス史観から脱却しないと、今の自虐的歴史観から自立するのは難しくなるばかりだと心配になる。