当初の目的は紅葉を愛でつつ、河辺でバーベキューとキャンプファイヤを楽しむ予定であった。もっとも紅葉云々は、女子部員たちを慮ってのもので、本音はバーベキューであった。
ところが、当日は朝から曇り気味で、キャンプ場に着いた時にはシトシト雨となった。どんより曇った雨空での紅葉は、とても楽しめたものではない。でも、川面を埋め尽くす落ち葉の流れ行くさまは、やはり綺麗なものであった。紅葉の絨毯とでも言いたくなるほど大量の落ち葉が、川を流れていた。
次第に雨が激しくなったので、バーベキューは屋根つきの炊事場でやることにした。既に晩秋の時季であるにも関らず、温暖前線が運んできた生暖かな空気が、妙に気持ちを不安にさせる。
とはいえ、食べ盛りの高校生だ。肉はもちろん、野菜も焼きソバもあっという間に胃袋に消える。片付けを済ませて、学年ごとに分かれたテントに戻って、翌朝のハイキングに備える。予報では明日は晴れるはずなのだ。
満腹感も手伝って、皆早々に寝入る。ただ、テントの布地に叩きつけられる雨音が妙に気になり、私は熟睡できずにいた。寝つきのいい私としては珍しいことだった。
私の隣に寝ている部長のKも寝付けないようで、寝袋の中でゴソゴソしているようだ。寝不足で朝を迎えるのは勘弁なので、無理やりにでも寝ようと試みるが、どうも今夜は気持ちが落ち着かない。
それでもいつの間にか寝入ったらしく、足音で目が覚めた時は既に0時をまわっていた。足音?
テントを叩き続ける雨音に混じって、誰かが外を歩き回っているようだ。それも一人ではない。足音の感じからすると、複数であるように思われた。
変に思い、寝袋を這い出して入り口を開けてみるが、不思議なことに人の姿はない。ただ薄暗い河原の風景とテントが並ぶだけだ。はて、あの人の気配はなんだったのだ。
と、いきなり肩に手を鰍ッられた。ビックリして振りかえると部長のKだった。
ビックリさせるなよと愚痴ると、Kは妙に不安そうに「誰かが呼んでなかったか?」と訊いてくる。ん?いや、声は聞こえなかったが、誰かがテントの周りを歩いている気がしたんだよね、と答えた。
互いに顔を見合わせてみるも、不安が募るばかり。私が、この雨だから増水は大丈夫かなと心配すると、Kは「見に行くか?」と言う。うなづいて、取り急ぎ傘を取り出して、テントを出て河辺に行こうとして驚いた。
既に水面が間近に来ている。ウソだろう・・・ここは公営キャンプ場で、増水対策のため安全な高さにテントを設営できるようになっているはずだった。どうみても3メートル以上増水しているようで、しかも雨が止む気配はない。
Kが先生に相談したほうがいいなと言うので、私も肯く。先生たちのテントに行き、起して状況を説明すると、登山のベテランであるA先生が半信半疑でテントから出てきた。
3人で改めて河辺に近づくと、さっきよりも更に増水しているようだ。顔色を変えた先生の指示で、急遽全員をたたき起こしてバンガローに避難した。
幸い全てドーム式のテントだったので、素早く撤収できた。寝ぼけ眼の後輩たちを急かすのに難儀した以外は、無事避難は成功した。
バンガローで一休みしていると、車のヘッドランプの灯りが近づいてきて、キャンプ場の管理人のオジサンがやってきた。やはり心配だったのだろうと思っていたら、それどころではなかった。
上流の堰堤が決壊しそうなので、役場から避難命令が出ているとのこと。管理人のオジサンが言うには、もうすぐ役場のバスが来るから、それに乗って公民館に行って欲しいと。
その直後にマイクロバスが来て、大急ぎで乗車して公民館に避難させてもらった。役場の人が温かい味噌汁を振舞ってくれたので、それを飲みながらくつろいでいると、管理人のオジサンが来て、よく増水に気がついたねと感心していた。
私がテントの周りを歩く気配がしたので、変に思い河辺を見に行ったことを伝えると、管理人さんが妙な顔をした。あのキャンプ場に泊まっていたのは、あんたらだけで、ほかには誰もいないはずだよと首を傾げている。
ヘンには思ったが、その時はバタバタしていて、それどころではなかった。翌日のハイキングは中止となり、その日の午前中には帰京した。その時は、見事な秋晴れで、秋の山の天候の変化の激しさに呆れた覚えがある。
数日後、放課後顧問の先生たちとの反省会の席で、A先生が妙なことを言い出した。なんでもあのキャンプ場は、以前もう少し上流にあったそうだ。しかし、季節はずれの台風による増水に飲み込まれて、数人が亡くなったこと。そのために、水面から高さのある今の場所に移設されたそうだ。
A先生は真面目腐った顔つきで「ヌマンタ、お前本当に足音を聞いたのか?」と訊ねてきた。そう言われても、答えようがない。あの気配が足音だったのか、それとも雨音かなにかの音を聞き違えたのか、私にはさっぱり分らない。
ちなみにKは、誰かの声を聞いた気がして目が覚めたとのこと。足音も気配もなにも感じなかったそうだ。同じテントで寝ていたTは熟睡していて、私とKがテントを出たことさえ記憶にない。
よく背筋が凍るとか、妙な胸騒ぎがしたとか聞かされることがあるが、私自身はまったくそのような覚えはない。実を言えば、テントを叩く雨音は嫌いではなく、むしろ好きな音でさえある。あの晩は、その音が少し強かっただけで、別に予感あったわけではない。
強いて言えば、晩秋に相応しくない、生暖かい雨と風が気持ち悪かっただけだ。私の記憶では、雨のなかでの緊急避難は、ワクワクするような緊迫感があり、むしろ気持ちは高揚していた。
ただ、私の目を覚まさせた足音の気配、これだけが分らない。多分、雨音が一時的に高まっただけだと思うが、A先生やKは、そうは思っていないようだ。
そのせいで、高校のWV部では怪談事件として伝えられている。別にあの足音がなくても、管理人が知らせに来て、役場の方々のバスで助けられたのだから、怪談にしなくてもいいように思う。
でも、あの場にいた後輩たちは、昔、増水で亡くなった人たちの気配を私とKが感じて、それで助かったと信じている。信じるのは自由だけれど、どうも私にはピンとこない。
私は自分に霊感が乏しいことを自覚している。あれは一時的に強まった雨音だと思うぞ。