ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

今年を振り返って

2021-12-31 12:33:00 | 日記
新型コロナに振り回された一年でした。

実際、令和2年よりも今年のほうが仕事上での影響は大きかった。顧問先の梼Yや廃業もさることながら、私の事務所も濃厚接触者に該当したため休業を余儀なくされる始末。しかも3回も・・・おかげで業務に大きな支障が出る始末である。

私自身は4度もPCR検査を受けたが、いずれも陰性で済んでいる。しかし、夏に見つかった大腸ャ梶[プ、合計10個の切除手術をしたせいか基礎体力が大きく落ち込んだ。

その影響かどうかは分からないけど、年末の忙しい時期に胃腸炎に罹患する始末である。おかげで一週間近くまともに仕事にならなかった。日ごろから体調管理には気を遣っていたつもりだが、これほど病気に悩まされるとは思わなかった一年である。

さて、この散々な一年ではあるが、私にとっては新たな発見があった年でもある。その契機となったのが「日本史の謎は地形で解ける」酎コ公太郎であった。これは目からうろこが落ちるほどの衝撃であり、読後私は書店で歴史関連の書棚から地理関連の書籍を探し、大判の地図帳を購入したほどだ。


人に地政学を奨めておきながら、私自身日本の地理史に疎いとは情けない話である。関西の地理に疎いことは自覚していたが、まさか関東にもこれほど疎かったとは思わなかった。よもや、よもやである。

ところで再読本だが、これは迷う。というのは、この一年コロナ禍のせいで自宅待機が多かった為、自然と自宅にある本の再読にはまっていた。ちょっと思い出すだけでも「夏草の記憶」トマス・クックであり「千尋の闇」ゴダート、「五輪の薔薇」パリサーと欧米の作家を中心に再読にはまっていた。




いずれも過去に取り上げた名作ではあるが、再読して新たな発見があった訳ではなく、充実した時間を満喫できただけだ。本当は古代日本史関係の本を読み解きたかったのだが、なんとなく気おくれして手を出さなかったのは、病気がちで気力が不足していたからだと思う。

やはり健康って大事だと痛感した一年だ。

さて、では漫画となるとこれはもう「ベルセルク」三浦建太郎の急死に尽きる。改めて一巻から読み直しましたが、やはりダークファンタジー史に残る名作です。もう続きが読めないとなると失望以上に虚脱感が強いです。今年は水木しげるやさいとうたかをといった大物が逝去されていますが、私個人としては三浦の逝去こそがもっとも衝撃的でした。

ダークファンタジー系の傑作というか、私が大のお気に入りなのが「デッドマウント・ディスプレイ」。ようやく真の敵がみえてきて佳境に突入しつつあるので眼が離せない。今年は連載も順調だったので、このまま突っ走って欲しいものです。ただ、世間的にはまだまだマイナー漫画扱いなのが、ちょっと不満。


その一方、新作ではあまり感銘を受けたものがなかったのが残念。多少期待しているのは現在隔週販売のヤングアニマル誌に連載されている「新約カニコウセン」作画・真じろう/原作・原田重光でしょうか。SF版「蟹工船」であり、非常にハードな展開が面白いです。


それと、そろそろ絶望感すら漂ってきたのが「HUNTER×HUNTER」冨樫義博です。休載3年目ですぜ、もう呆れてものが言えません。目の前にいたら、首根っこ掴んで「おい、いい加減にせい」と威嚇したくなりそうで浮「。まァ実際は拝んで頼んでしまいそうですけど。

映画は残念ながら、未だ目の調子が復調していないので映画館での鑑賞は我慢しています。せめて「鬼滅の刃 無限列車編」ぐらいは観たかったのですがね。やはりTV画面で観るのは物足りない。最初から乗り気でないので、あまり見てませんでした。

さて、もう後数時間で令和3年が終わります。来年はもう少し良い年であってほしいものです。私はこれからデパ地下巡りして、正月の食材を漁ってきます。人混みがすごいみたいで、少し気おくれしますが、正月くら贅沢したいですから。

では、皆様良いお年をどうぞ。
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冬の街路樹

2021-12-29 11:26:00 | 日記
澄みきった青空を背景に葉を落とした街路樹のシルエットが尖ってみえる。

冬の風物詩ではあるが、正直私は少し浮「と思っている。冬の時期は草木が眠る時期でもある。葉を落として幹と枝だけになった街路樹には静けさと共に、自らの生きる意志を無言で伝えているかのごとく威圧感を感じる。

私が植物に関して、少し捻くれた印象を持つのは、学生の頃の藪山登山の経験からだ。大学のWV部では冬季の雪山登山は原則禁止であったので、冬の時期は低山の藪山を登ることが多かった。

これは案外と気持ちの良い登山で、夏場ならば生い茂る草木の藪が強固すぎて、とても登れない藪道でも冬場ならば登れる。山稜にたどり着けば、冬の綺麗な空と黄褐色の山稜の対比が美しい。

もちろん気温は低く、風も冷たいが、枯草の藪に入ればほのかに暖かく感じる。ただ、その時の私は一種の征服感を感じつつ、周囲の草木から敵視されているかのような錯覚を覚えることがままあった。

今は大人しくしてやるが、いずれは許してやらないぞ。そんな囁きを草木が呟いているような気がしたことがある。実際、藪山の道を登る時は、刃渡り20センチほどの鉈を振り回し、邪魔な枝葉を刈り払いながら登る。

自分で道を切り開く感覚はけっこう好きで、私は好んで藪山でのトップを張りたがった。そんな登山の後、夜眠るとなんとなく草木の恨み節が聴こえてくるような気がしたことがある。

もちろん錯覚というか妄想であり、実際に草木の声など聴いたことはない。ただ、寝苦しさというか、目が覚めても爽快な朝にはならない違和感はあったように思う。

そんな経験があるので、私は草木にも「生きる意志」はあると信じている。

だからこそ内心、密かに疑わしく思っているのがヴェジタリストとかヴィーガンとか呼ばれている人たちだ。別に何を食べようと、それは個人の自由だと思うから、彼らの食生活を邪魔する気はない。

でも、彼らの主張を肯定的に捉えることは無理だ。動物が可哀そうと思うのは勝手だが、では植物は可哀そうではないのか。草木にも「生きる意志」はあると信じている私からすると、植物の生きる意志を根絶やしにしてそれを食べることも十分残酷だと思う。

地球上の生きとし生きるものは、すべて他者の命を貪って生きている。それが太古よりの宿命であり、それこそが自然の意志だとも思っている。

別に肉を好もうが、野菜が好きだろうが、それは個人の自由だ。ただ人間の口の歯の構造を分析してみれば、概ね肉食3割、植物食7割が妥当なのだろうと考えている。人間はそのような食生活をして生きてきたなによりの証拠だと思う。

とはいえ、この考えを他者に強要する気はない。多分、年齢や環境によっても多少差異はあるだろうし、好きなものを美味しく食べることは、なによりも幸せなことだと思う。

それゆえに、私は菜食主義やらヴィーガンやらを強要されるのは大嫌い。ついでに云えば、無農薬信仰やら無添加信仰にも距離を置きたい。だって現実的ではないし、今さらやっても大して意味はないと思うから。
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外国人の住民投票

2021-12-28 11:08:00 | 社会・政治・一般
納税するから、政治に参加させろ。

民主主義の基本である。実際、フランス革命は多額の納税を強いられながら政治的な発言権がなかった商店主らが大きな原動力となっていた。

もっとも、この動きはナャ激Iンに活用されて、かつては貴族の独占であった軍隊に市民兵を大量に採用し、新たな情熱(民主主義普及)に燃えた兵隊をもって欧州を席巻している。以来、市民の納税と軍隊への参加は欠かせぬ両輪となっている。

ところが時代が流れて、いつのまにやら人権は人が生まれ持っているものだからと、権利ばかりが優先的に主張されるようになった。義務を伴ってこその権利であることは忘れ去られている。

率直に言って、浅ましいと思う。

人権は大切だと思うし、政治に参加する権利すなわち参政権も大切なことだ。しかし、それほど大切な権利を認めて欲しければ万人が納得する対価を払え。無償で権利だけが認められると思うな。

なんの話かといえば、私の地元の隣の自治体である武蔵野市の市長である。わりと若い女性の市長なのだが、当選するや公約にはない「外国人の住民投票」をぶち上げて実施をしようと議会に諮った。

結論からいえば、議会はまったく聴いていなかったこの外国人の住民投票への参加法案を否決した。どうも裏で社民の福島が糸を引いていたらしく、当然のように隣国から抗議の声が上がった。あの国に内政干渉という単語はないらしい。

武蔵野市はわりと革新や左翼に甘い土壌ではあるが、さすがに在日歴3カ月の外国人の住民投票には違和感が強かったようだ。

私は地方自治に関する限り(国政は論外)、永住権取得など一定の要件を満たせば、ある程度彼らの声を地方自治に加味することには反対ではない。むしろ高齢化が進み、少子化により社会システムが荒廃する将来、彼ら外国人をどう活かすかが重要だとも思っている。

外国人といえでも日本で生活し、法令を順守し、納税の義務を全うしている人たちの声を政治に反映させるのは、民主主義の理に適っているとさえ思う。むしろ排外主義に凝り固まるほうが、日本の未来を委縮させるとさえ思っている。

だが、あくまで権利と義務は表裏一体であり、義務なくして権利なし、である。この原則を歪めてはダメだ。権利ばかり主張する輩に浸食された国家は必ず滅びる。

パンとサーカスでローマ帝国市民を甘やかしたかつての大帝国の末路をもう一度学んでほしいものです。
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今日もお休み

2021-12-27 19:54:00 | 日記
病院から検査で帰ってきてひと眠りしたら夜でした。なので、今日はお休み。でも、ありがたいことに、正月入院は避けられた。あれはツマラナイからねぇ。
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犬の流儀

2021-12-24 12:01:00 | 日記
犬にだって流儀がある。

知人のお子さんは大の犬好き。家でも飼っているし、犬の散歩で知り合った犬友達も沢山いるそうだ。だから、犬はみんな友達だと信じている。

先日のことだが、その知人と一緒に出鰍ッた。その中途で大きなショッピングモールに立ち寄り、買い物と食事を済ませた。食事の後、広場で時間を潰していたところ、犬を連れたご老人が通りかかった。

知人の子供は「ワンちゃ~ん」と笑顔でその犬に近づいたが、その犬はビックリしたのか警戒心を露わにして唸った。犬好きのその子は、初めての経験にビックリしたのか泣き出してしまった。

その犬の飼い主である老人もビックリして、どうしたものかと立ち往生。仕方なく私がまだ警戒姿勢を解かないその犬の脇に立ち、その老人と少し話をした。その間、その犬は私の匂いを嗅いだり、さり気なく垂らしておいた手に軽く噛んだりと様子見である。

私がなにもしないと分かったのか安心して、警戒姿勢を解いた。その後は私の為すがままである。耳の後ろを掻いてあげると、尻尾ふりふり大喜びである。

その様子をみた知人のお子さんは、目を見開いて「なんで~、私じゃダメなの~」と駄々をこねだした。

そこで私はその子に解説してあげた。

あなたは犬が大好きでしょう?と言うと犬の尻尾なみに首を縦にふる。あなたが普段接している犬は、あなたのことを良く知っている犬たちだよね。でも、このワンちゃんは、あなたとははじめてだよね。

見知らぬ人が、いきなり近づいてきたら、犬だって警戒するよ。初めての犬と仲良くしようと思ったら、まず犬を安心させることが第一だよ。正面から立つのではなく、脇に立って、犬の警戒心を解くことが大事なんだよ。

その子は肯きながら、「じゃあ、どうしたらいいの?」と訊いてくるので、まずその犬の自由にさせてあげなさいと助言した。ご老人がうんうんと頷いているのはともかく、その犬までもがお座りして「もっともだ」と云わんばかりの姿勢を見せているのがおかしい。

その子は、恐る恐る近づいてきて、犬の傍に坐った。すると犬は、その子のお尻や足の匂いを嗅いだ後、その子の手を甘噛みしてきた。その子が抵抗せずにじっとしていると、次第に犬も安心してきた。

そこで私がゆっくりと手を出して、撫でて上げてごらんと云うと、恐る恐る犬を撫でている。もう、ここまでくれば大丈夫。元々、犬に馴れている子供なので、知人が戻ってくるまでその犬とじゃれ放題であった。

その後老人と少し話したのだが、最近の子供は生きた動物に接する機会が少ないのか、犬と上手に遊べる子が減っているそうだ。ペットとして育てられた犬だって、警戒心はある。

自分よりも数倍大きい生き物(この場合、人間ね)がいきなり近づいてきたら、そりゃ犬だって警戒するもんだ。私は長い間、犬を飼っていないので、見知らぬ犬との対応にわりと馴れているから分る。

犬だって人間だって、それなりの礼儀作法は必要なんですよ。

コメント (3)
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