凄く鬱陶しく感じてしまう。
なにがって、最近やたらとニュースに出てくるようになった元東京都知事の舛添要一である。
新型肺炎にかこつけて、やたらと安倍政権批判、小池都知事批判を繰り返している。このような緊急時にこそ、自分のような有能な政治家が必要なのだと言外に匂わせているのが不愉快で仕方ない。
本人はまだ引退するには早過ぎると思っているのだろうが、自己認識が甘すぎる。だいたいが批判すれば自分が賢明に見えると思い込むあたり、まったく勘違いぶりが治っていない。
私が山を登っていた頃、特に注意していたことの一つが批判である。登山と言う行為自体、非日常的なものであり、急転する天候や、滑落事故、突然の体調不良などの危機的な状況が生じることを当然のことと受け止める心構えが必要となる。
そのような危機的な状況下でやるべきでないことが内紛である。危機的な状況では、メンバーが意思統一を図り、力を合わせることがなにより求められる。
内心の不満はあるだろうが、それを飲みこんでリーダーの指示のもと、全員で危機を乗り越えることが最優先される。不平不満、批判、愚痴は強い意志で抑え込まねばならない。
個々の自由は、全体の存続の前には抑制せねばならない。求められるのは命を守るための行動であって、口先だけの言論の自由ではない。これが分かっていない人はけっこう多い。
特にリーダーシップを取りたがるが、その立場にない力量不足の人に、この傾向は強く、実に迷惑な存在である。真にリーダーシップのある人は、求められずとも自然に人が集まる。緊急時に頼りたくなる人こそ、本当のリーダーである。
口先だけのリーダー志望者は、危機的な状況になると、今こそ自分の出番だとでしゃばる。そして既存のリーダーを批判することで、自らを強くアピールする。
はっきり言いますけど、あなた迷惑です。引っ込んでいて欲しい。
またこのような人を、わざわざ取り上げるマスコミも同罪ですね。騒いでなんぼのマスコミ商売なのは分かるけど、危機的な状況下では煽動報道でしかない愚かさを謙虚に自覚して欲しいものです。
誰かホークママの正体を教えて欲しい。
なんの話かといえば、先月に週刊少年マガジンで連載を完結した「七つの大罪」に登場する喋るブタのホークのママさんの正体である。
主人公であるメリオダスが営む居酒屋「豚の帽子」亭は、クジラよりもデカいホークママの背中に建っている。普段は土の中に潜っているが、いざとなれば豚の帽子亭ごと歩いて移動する。
なんとも不思議な生き物なのだが、最後の最後までその正体が分からなかった。いや、残飯処理騎士団の団長でもあるホークの母親であることは分かっている。またホークが本来は魔界の生き物で、メリオダスの監視のために魔神王が付けたことも分かっている。
しかし、ホークママの役割が分からない。ちなみにホークの生き別れの兄であるワイルドは、魔神王に戦いを挑むほどの強い生き物であることも分かっている。その母でもあるホークママの存在はなんなのだ。
ちなみにホークママ、何気にもの凄く強い。強敵である十戒よりもさらに強い魔神の攻撃を受けても、まったく動じないくらいに強い。それなのに物語ではたいした仕事をしていない。
まァ連載自体は無事、ハッピーエンドを迎えており、その内容には納得している。ただ、ただ私はホークママの正体あるいは役割が分からずにいることだけが不満なのだ。けっこう好きな漫画であっただけに、小さな齟齬が気になって仕方ない。
どうも続編があるらしいし、別途製作される映画版で少し正体が分かるらしい・・・
ヘンな引っ張り方、しないで欲しいなァ。
私が日頃読む本の過半は翻訳本だ。
外国語を日本語に翻訳すると、どうしても無理というか不自然な文章になることがたまにある。これを上手く意訳できる翻訳家は優秀とされる。でも意訳が過ぎて原文と異なる雰囲気になることもある。
末ナひどかったと云えば、なんといってもサンリオ文庫なのだが、近年はシドニー・シェルダン以来の意訳ブームである。また村上春樹がやっているような意訳もあるので、一概に否定はしない。
でも本来の直球勝負的な翻訳だって、私はそう嫌いではない。この日本語として若干不自然な直訳系翻訳本のほうが、案外原作に正直な気がする。私が翻訳本を好む理由の一つは、日本とは異なる世界の物語を知りたいといったものがある。
だから多少ぎこちなくても、従来の翻訳のほうが好きだ。でも読み易さからいったら、超訳なんて云われている意訳も悪くないと思っている。
そんな私だからこそ、上手な日本語の小説を読むと、翻訳との違いというか、文章の質の違いに感銘を受けざるを得ない。
最近、感心したのは松本清張だ。社会派の推理小説の大家であり、国鉄の乗り換えを利用した犯罪など、正統派のトリックを用いたミステリーに定評がある。
久々に読んだのだが、一番感銘を受けたのは、その平易な文章の読み易さ、分かり易さであった。最近のラノベ作家の駄文と比べるのが失礼なくらいの練達の日本語である。
本屋巡りも出来ず、図書館もお休みなので、押し入れの段ボール箱から探し出した一冊なのだが、再読したのは中学生の頃以来。当時は夫の失踪に悩む妻の気持ちなんて、ほとんど理解していなかった。
だから今回の再読で、改めてこの作品の仕込みの確かさに感心した次第。ミステリーとしては「点と線」の方が上だと思うけど、小説としてはこちらのほうが好きですね。
戦争と疫病は、ほぼ同時期に起こることが多い。
私は素人ながら歴史に対する関心は強い。だからこそ今の状況に、内心嫌なものを感じる。
ヨーロッパでは近代以降だが、さまざまな記録が資料として残されるようになった。これは紙の普及と、印刷技術の普及が大きく貢献している。他の文化圏、たとえばインドやシナでも記録はあるが、科学的精神に欠けているので、資料としては客観性に欠けるものが多い。
これは日本でも同じで、和紙という長く残る優秀な記録媒体があり、また日記好き、記録好きな国民性もあり、資料はかなり多いが、やはり科学的な精神に欠けている。
それでも分ることはある。それは古来、疫病は天災とされ、不思議と戦争と関連することが多いことだ。そして必ず人口の減少が起こる。
私は以前、疫病による大量死や、戦争による戦死者の増加が人口の減少を引き起こすと考えていたが、実は必ずしもその関連性は明白ではないらしい。
近世にあったパウンダー小氷河期の時代、食料は大幅減産し、戦乱、疫病と天災、人災が続いたにも関わらずヨーロッパは結果として人口を大幅に増やしている。
妙に思い調べてみると、人口の減少により社会階層が崩れ、混乱した欧州では商業革命や流通経路の変更などの大きな変化が起きて、それが却って新しい社会の建設につながり、結果として人口が爆発的に増えている。
また第一次、第二次世界大戦により大量の戦死者が出て人口は減っているが、戦後に起きたベビーブームにより結果的に人口は大幅に増加している。
どうやら人間という哺乳類は、疫病や戦争により死者が増えると不安になって、子作りに励むようなのだ。大量の死者と崩壊した社会が、むしろ新しい社会の建設を促進している観さえある。
ところで今回の新型コロナ肺炎の世界的な流行はどうなるだろうか。
今のところ報じられているのはシナ、アメリカ、日本、欧州である。しかし大人口を抱える東南アジア、アフリカ、中南米に関しては詳しく報じられていないので、情報は乏しいのが実情だ。
それでも確実に新型コロナ肺炎が広まっていることは予測できる。医療体制が不十分な国だと、かなりの死者が出る可能性は高い。その結果、人口の減少が起こり、社会不安が広まることは確実だ。
そしてその後に起こるのが、大量のベビーブームではないか。先進国ではあまり起きそうもないが、途上国では急激な人口増加が起こるのではないかと私は考えてしまう。
以前から書いてきたとおり、21世紀は食料、水、化石燃料を相争う戦乱の世紀となる可能性が高い。今回の新型コロナ肺炎がその口火となるのではないかと、私は嫌な予想をしてしまうのです。
この予想、外れて欲しいと切に願います。
最近、苛立ちが止まらない。
私の日々の習慣の一つに、一日一回本屋さん、といったものがある。十代初めから続いている習慣である。入院などして外出できない時や、長期の登山に入っている時を除けば、一日のうちどこかで本屋さんを散策するのが私の長年の習慣である。
以前は昼休みに、銀座界隈の大型書店に足を運んでいた。ところがその書店が無くなってしまった。今、近くにある本屋といえば、GINZA6にある蔦屋だけである。ちなみに、この蔦屋さんはかなり凝った造りの店舗で、本好きなら一度は足を運んでみても良いと思う。
だけど、私の好みの本屋ではない。あんなお洒落な造りだと、私はかえって居ずらい。だから私が通っていたのは、渋谷の本屋さんである。渋谷の街は十代の頃から通っており、そのなかでも本屋さんは最も足繁く通ったものである。
もっとも当時とは店舗も変ってしまい、行かなくなった店もある。だけど割と遅くまで営業しているので、帰宅の遅い私にはありがたかった。
ところが今回の新型肺炎に伴う緊急事態宣言で、私が通っていた本屋さんが一斉休業してしまった。昼間営業している本屋さんはあるにはあるが、忙しい私には行く時間がない。
しかたなく週末にだけ本屋さんに行くようにしているが、実は仕事が忙しくて昼間は事務所にこもっている。おかげで本屋散策が出来ずにいる。
ただでさえ公共図書館は閉館なので、私は活字中毒に陥り、苛立ちが止まらない。仕方ないので、家の中の段ボールを開けて、仕舞い込んでいる本を取り出して、再読に励むようにしている。
不思議なのだが、再読に選ぶ本はたいがい数回読んでいるはずのものばかり。本当は忘れているような本を選びたいと考えているのだが、何故か数回読んだ本ばかり選んでしまいます。
ヘンなの・・・いずれにせよ、本屋の通常営業を望んでやみません。