子供にとって、親は選べない。
その親が被害者が100人を超す連続殺人犯で、しかも幼少期から殺人のノウハウを子供に教え込んでいた。
そんな家庭で育ち、なんとか平穏に暮らしていたが、それも父親の逮捕により人生が一変したのが表題の作品の主人公だ。
祖母の下で暮らす主人公は、周囲の冷たい目線に負けることなく生きている。でも、内心で自分が殺人鬼としてのエリート教育を受けたことを気に病んでいる。
自分は絶対に、父親の望んだ様な殺人鬼にはならない。そう堅く胸に誓うがゆえに、街で起きた殺人事件に無関心ではいられない。そして、気が付いてしまった。この殺人事件が連続殺人事件であることに。その犯人が父親と同様なシリアルキラーであることに。
かくして、自らの存在の健全さを賭けて主人公は、この連続殺人犯を追い求める。
サイコ・ミステリーの匂いが濃厚な作品である。私は経験的に、サイコ・ミステリーが読者の心を傷つけることを知っている。その毒は甘く魅惑的で、思わず嗅がずにはいられないが、嗅いでしまったら心を侵食して傷つける。
だから、サイコ・ミステリーはたまにしか読まないことにしている。
しかし、この作品に関しては、その心配は無用である。登場する連続殺人犯は確かに異常だし、その犯罪も陰惨なものだ。しかし、主人公の危うい健全さが、むしろ青春ミステリーとでも言いたくなる明るい空気をまとっている。
まだ十代半ばの主人公は、殺人鬼の父に育てられたが故に、心に深い傷を負っている。でも、そんな逆境に負けない前向きさを持っている。父親の逮捕後も変わらずに接してくれた親友と、暖かく見守ってくれるGFの存在が、彼を健全な社会につなぎとめてくれる。
この高校生素人探偵を主人公にした作品は、あの2作ある三部作であるそうだ。私としては久々に快活に楽しめるサイコ・ミステリーでもある。サイコ嫌いな方も是非とも手に取って欲しい作品なのです。
平成のスーパーヒーローが引退した。
既に三年前ぐらいから、試合に出る回数が激減していた。昨年からはコーチ兼任とされたが、事実上現役選手ではなくなっていた。その最後の花道を、私は今年夏だろうと読んでいた。
しかし、まさか日本での開幕戦で引退するとは思わなかった。平成の終わる年に、平成である間に引退してしまった訳だ。
彼の打ち立てた記録のうち、打率と安打数はいずれ塗り替えられる日が来ると思う。でも、20年以上に渡って積み重ねてきた高打率と安打数の積み重ねは、決して破られることはないと思う。
毎試合、出場し、打ち続け、守り続けた20代、30代。故障が少なく、常にベストのプレーを続けてきたプロの鑑と言ってよい選手でもあった。これは本当にすごいことだ。
イチローに負けず劣らずの才能を持った選手は他にもいた。でも、20年以上にわたり第一線で実績を残し続けた選手は極めて少ない。その意味でも、本当に偉大な選手であったと思う。
ただ、その一方でチームプレイヤーとしてのイチローに対しては、些か辛口の評とならざるを得ない。これだけ才能ある選手であるにも関わらず、イチローがチームの中心選手であったことは、ほとんどない。
本人が自分には人望がないと自虐するほどに、イチローはチームの中では浮いた存在であった。個人的に親交のある選手はいても、彼はチームリーダーではなかった。そのせいか、イチローはその素晴らしい個人成績に比して、チームプレイヤーとしての実績に乏しい。私の記憶では、日本でもアメリカでも、チームとしてのリーグ優勝は皆無であった。
唯一の優勝は、あのWBCの日本代表チームのメンバーであった時だけだ。あの時のイチローの優勝時のはしゃぎっぷりは凄かった。本当に嬉しかったのだと思う。ちなみに、あの時の個人成績は不振を極めていた。それだけに、あの優勝を決めた試合でのヒットは素晴らしかった。
私個人としては、あの韓国との決勝戦での9回裏のヒットこそ、彼の頂点とも云えるプレーだったと思っている。
頑固一徹の職人気質の野球選手でしたね。まだ四十代、これからの人生をどうするのか、興味が尽きない人でもありますね。
私、けっこう執拗です。
ナマケモノ気質の強い私は、平和な日本でのらくらと安楽に生きたいと、ぼんやりと切望しております。必死さがないのは、無駄な努力はしない主義だからです。
平和な日本に必要なのは、安定した政治と、しっかりとした経済基盤の上に立つ軍事力です。経済を揺るがすほどの軍事支出は有害ですし、政治家の虚栄心に左右される軍事的冒険も危ういものです。
だからこそ、適切な情報が有権者に届けられ、それを各々の有権者が判断して選挙を通じて意思表明し、それが政治に活かされることが重要だと考えています。
ところが、日本の場合、新聞やTVといったマスコミが、呆れるほどに軍事知識が欠落している。
これには戦後の教育が大きく影響している。太平洋戦争の悲惨さから、戦争という残酷な人類の所業に目をつぶり、否定さえすれば平和は守られる。呆れた現実逃避だと思いますが、真面目な大人がこのような幼稚な現実逃避を真に受け、戦争や軍といったものを否定さえすれば、平和は叶うと信じ込んだ。
おかげで、先進国中、唯一大学の一般教養に軍事学がないのが我が日本です。官庁はもちろん、民間企業、マスコミ、教育機関でも、軍事に関する限り、驚くほど無知、無関心が横行している。
そのせいで、平和を守るための情報を適切に国民に知らされていないのが、日本の特徴です。基礎的な軍事知識がないので、情報が提供されても、それを理解できない。
だから、国民の知らざるところで、日本の軍事力強化は着々と進められていることにも気が付かない。
改めて書きますけど、日本は政治的には独立国ですが、軍事面からするとアメリカの従属下にあります。局地的な戦闘なら単独で出来ますが、戦争行為はアメリカの了承なしには出来ないのが現実です。
そしてアメリカは近年、日本軍をアメリカ軍の尖兵として活用することに積極的です。20世紀まで、アメリカは日本を兵站拠点としてのみ認め、それを守るための軍事力の保持を推奨していた。
しかし、21世紀のアメリカは違う。予測される次なる戦争に、日本軍を活用することを求めている。そして日本軍は、そのために軍事力を増強し、訓練し、実戦に備えている。
その一例が、現在日本の南方海域で行われているアメリカ軍、日本軍、イギリス軍の三か国共同演習です。北朝鮮への圧力の一環だと報じたマスコミもあります。でも、それは副次的なもの。本命は共産シナに対する軍事的威嚇でしょう。
共産シナの海洋進出が推し進められている現実に対し、アメリカは日本、イギリスだけでなく、フランス、オーストラリアまで駆り立てて対抗する姿勢をみせている。
これは未来のことではなく、既に今日実現している「軍事力による政治的威嚇行為」に他なりません。
憲法改正?
ちゃんちゃら、ヘソが茶を沸かします。この事態を平然と見過ごし、防衛省配付の資料を横流しするだけのマスコミには反吐が出ます。
沖縄の基地移転で空騒ぎしか出来ないのが日本のマスコミ様。もっと重要なことが行われているのに、それを平気で無視する日本のマスコミ様。分かっていて無視しているのか、それとも理解できていないのかは、私は知りません。
知りませんでした、それで済ませて良い問題だとは、到底思えないのですけどね。
故人の悪口は言うべきでない。
私もそうあるべきだと思っているのだけれど、だからといって美化するのも如何なものかと思う。
私がロック音楽に興味を持ったのは、中学生の頃だ。その頃から活躍していた内田裕也氏が先だって亡くなったとの報道があった。
はっきり言うと、私はこの人をミュージシャンとしては認めていない。ロック系の音楽家とされることが多いし、本人も「ロケンロール!」と大声上げてロッカーであることを前面に出していたが、その癖代表曲といえるようなヒット曲は皆無である。
しかしながら存在感は抜群であった。券\情報に疎い私でさえ、この人のことは忘れずにいたのだから、それはそれで大したものだ。ただ、その存在感は、お騒がせ屋の域を出ない。
でも、話題性だけはあった。マスコミが飛び付くようなネタは、相当にあったし、本人も自覚していたように思う。映画とか雑誌とか、とにかく活動範囲は広かった。広いけど、底が浅かった。だから代表作がない。
にもかかわらず、この人の存在感は抜群であったから始末に負えない。故人に対して失礼に言い様なのは認めるけど、それが私の率直な内田裕也観である。
ただ、本人は怒るだろうし、認めないとも思うけど、この人の音楽家、あるいは歌手としての本質はブルース系だと思う。それも日本風ブルース。
一度、内田裕也が歌う「朝日の当たる家」を聴いたことがあるけど、ありゃ完全にブルースだ。ロック歌手だと本人は言い張っていたけど、私にはどこかずれているように思えてならなかった。
後年パンクロックが出てきた時、このほうが内田裕也向きではないかと思ったけど、やっぱりどこかずれていた。私はこの人、晩年になったら演歌が案外と似合うのではないかと思っていた。でも、当人が絶対に拒否するであろうことも分かっていた。
すごく頑固で不器用な人であったと思います。そして、不器用なまま、亡くなってしまった人でしたね。自分の生き方を貫いた人生だと評しても良いのだが、その努力の方向性がずれていたことも、また事実であった残念な人でもありました。
多分、身近に居たら結構迷惑なオジサンだけど、いなくなったら寂しいと感じるでしょうね。きっとあの世でも「ロケンロール!」と騒いでいると思います。
アメリカの往年の名プロレスラーであったデストロイヤー(本名ディック・ベイヤー)が亡くなったとの報があった。
プロレス好きの子供であった私だが、実はあまり仮面レスラーは好きではない。偏見なのは承知しているが、弱いレスラーや、実力が落ちたレスラーが人目を引くために、敢えてマスクを被っているようなケースを散見していたからだ。
アメリカでも覆面レスラーに対する玄人筋の評価は芳しくなかったと聞いている。だが、デストロイヤーは違う。レスリングの基礎がしっかりしており、ラフファイトにも強い実力派であった。
アメリカのプロレス界において、覆面レスラーでありながら初の世界チャンピオンとなったのが、デストロイヤーであった。そして、デストロイヤーといえば、なといっても「四の字固め」である。
これほどプロレスらしい技はない。誰にでも真似が出来て、それでいて劇的に痛い。子供の頃、公園の砂場でプロレスごっこの最中、はじめてこの四の字固めを喰らった時の痛みは生涯忘れないと思う。
目から火花が飛び散る様な痛みに、のた打ち回ったものである。しかも、これほどの痛みなのに、大怪我することはまずない。だから子供はもちろん、イイ年の大人まで、この四の字固めに夢中になった。(まっ、男限定ですけどね)
実は四の字固めには秘密がある。それは、足の短い人がかけるほうが痛みが強いってこと。つまり短足の人向けの技なのだ。デストロイヤーは上半身のがっちりした白人男性だが、足は短かった。だからこそ、彼のかける四の字固めは必殺技であった。
ところで、覆面レスラーといえばメキシコのミル・マスカラスを忘れることは出来ない。見事にビルドアップされた身体で、空中を飛びまわる人気レスラーであった。技も切れ、意外とラフ・ファイトにも強いのだが、デストロイヤーとは犬猿の仲であった。
デストロイヤーは人間的にもナイスガイであり、リングを降りても人として付き合いの良い男で、レスラー仲間からも人望が高かった。一方、マスカラスは良くも悪くも恰好つけ屋であった。
とにかく見栄えが第一。特にTV中継がある試合だと、自分の得意技が綺麗に映ることを強く意識して、試合前にTVカメラクルーに注文を付けるほど、こだわりの強いレスラーであった。反面、相手の技を綺麗に受けることには、あまり積極的ではない。つまり自分本位の男であり、それはリングを降りても同様で、レスラー仲間からは評判は芳しくなかった。
一言、断わっておくと、当時は有色人種であるメキシカンに対する白人レスラーたちの蔑視は常識であり、それだけに人気者のマスカラスに対する反感は強かったのも事実である。ただ、マスカラスはそのような反感を撥ね退けられだけの強さがあり、その上人気が高かったので、プロモーター(興業主)もマスカラスを贔屓せざるを得なかった。
そんな時、事件が起きた。ジャイアント馬場が主催する全日本プロレスにおいて、覆面レスラー世界一を決める大会が開かれた。馬場にとって大事な手ごまであるデストロイヤーと、稼ぎ頭と言ってよい人気レスラーのマスカラスとの一戦は、凄まじい試合となってしまった。
馬場としては、両者引き分けが理想であり、そのつもりでいたらしい。しかし、デストロイヤーはこの試合で、マスカラスを叩きのめし、恥をかかせるつもりであった。それに気が付いた馬場が、わざわざリングサイドの解説席に座って、目を光らせねばならぬ始末である。
親友である馬場の気持ちも分るデストロイヤーは一応、試合ではマスカラスに花を持たせるような流れに持って行ったが、最後の最後で牙を剥いた。得意の四の字固めをいつもよりもきつくかけたのだ。
どうも、時間切れ引き分けという形にして、足の痛みで起きれないマスカラスを見下ろす構図を描いていたらしい。ところが、マスカラスがここで意地を見せた。四の字固めを体を返して逆にデストロイヤーの足が痛むような態勢に持ち込んだ。
この逆襲に慌てたデストロイヤーだが、さすがに実力派だけに、更に体を返してやり返す。すると、マスカラスもやり返す。マット上を二人が絡み、転がりながら激痛からうめき声を上げる壮絶な試合となってしまった。
このままでは、両者の足にダメージが残ると危惧した馬場が、レフリーの沖識名に命じて試合を無理やり終わらせてしまった。単なるいい恰好しいだと思っていたマスカラスが、思いの外意地っ張りだと分かった試合である。
マスカラスはさすがに翌日休んだが、デストロイヤーは平気な顔で翌日もリングに上がっていた。実力差を見せつけたようだが、二人の意地の張り合いに閉口した馬場は、二人を同じシリーズに呼ぶことはしなくなった。
冒頭にも書いたが、覆面を被ったレスラーで、本当に強かったのは、この二人以外では、ミスターX(ビル・ミラー)とブラックタイガー(マーク・ロッコ)と後マスクド・スーパースターなど数人だけです。
その中で一番を選べと言われたら、私としてはデストロイヤーだと答えるでしょうね。日本ではバラエティ番組に出たりしていたので誤解されがちですが、この人は本当に強かったと思います。
ちなみに外人レスラーでも指折りの親日家でもありました。謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。