あと数時間で、今年も終わります。
改めて、今年の読書を振り返ってみると、この十年で一番読んだ本の数が少なかったことに、気が付かざるを得ません。私の読書は、電車での通勤時間が中心となるが、これがいけない。
まず、行きの電車内は、まだまだウトウトしたい気持ち抑えきれずに、目を閉じてしまう。帰りは帰りで、疲労から手にした本を床に落とすことも珍しくない。
認めたくはないが、どうやら本を読む体力、気力ともに衰えているようである。云いたくないが、年はとりたくないものである。反面、読書そのものは、けっこう充実していたと思っている。
まず、長年謎の人物であった北一輝について松本清張の「北一輝論」で、ようやくその為人を理解することが出来ました。要は政治ゴロなのだが、複雑な人物であり、その著作の少なさから、返って正体がぼやけてしまっただけ。ぼやけたが故に、右からも左からも、恣意的に評価されて実態が不鮮明になっていただけだと分かったのは、今年の大きな収穫でした。
また、私にとっては政治への最初の入り口が日本共産党であったが故に、実に興味深かったのが筆坂秀世の「日本共産党」です。ここ数年、社会党は解体され、その後継たる民主党は与党になれたが故に、その統治能力の低さが露呈してしまった。それゆえに、長年万年野党の日本共産党に期待を寄せる方には、必読の書だと断じたい。
堅い本ばかりでは何なので、エンターテイメントの分野からは、東野圭吾の「容疑者Xの献身」と、池井戸潤の「俺たちバブル入行組」を挙げたいと思います。前者には一度失望していたのですが、この作品は納得のいくものでした。また後者は、先にTVドラマ「半沢直樹」を見ていたので、感動は薄れましたが、その内容には納得でした。
なお、このブログのテーマでもある再読本ですが、これは夏目漱石の「坊ちゃん」で決まり。TVドラマや映画とは大きく異なり、これほど嫌な奴が主人公だとは思っていませんでした。中学生の課題図書であったと思うのですが、あの当時は何を読んでいたのだろうと、自分を訝ったほどです。でも、よくよく考えると、自意識過剰は若さの特権。それを見事に描き出した作品だと思えば納得です。
漫画ですが、特段印象に残ったものはないのですが、「ピアノの森」「ドクター早乙女」の終了が嬉しいような、寂しい様な複雑な気持ちです。また、長年高く評価していた三部けい「僕だけがいない街」の評価が上がってきてるのは、とても嬉しいです。反面、苦々しく思っているのが冨樫義博「HUNTER×HUNTER」の休載です。
これまで、一年間に最低でも4週程度は連載(週刊誌にね)していたのですが、平成27年はついに一度も連載なし!これは、プロとして如何なものかと思います。ここまで読者を苛立せ、かつ期待させる漫画って、稀有なものだとは思いますがね。
さて、今年観た映画ですが、これはもう夏に公開された「ジェラシック・ワールド」で決まりです。一か月で二度も観に行った映画は久しぶりでした。これは絶対、DVDも入手するつもりです。この冬に公開されたスターウォーズの新作と比べても、圧倒的に恐竜様の勝利です。もっとも興業成績は、SWの勝ちかもしれませんが、これは映画館でSWを観たことがない人たちを惹きつけたからだと思いますよ。
とりあえず、元旦はブログはお休みします。これから年賀状書きに追われる予定なので、余裕がないのです。それでは、良いお年をどうぞ。
元々ゲームは嫌いではない。
カルタ、トランプなどは好きであったが、元来じっとしているのが嫌いというか、落ち着きがない性分なので、ゲームにも長時間費やすことはなかった。
それが一変したのは、やはりファミコンで遊んだドラクエなどのRPGであろう。始めた頃は、丁度長期間の病気療養中であったので、文字通りはまり込んだ。ファミコン用のTVまで買いこむ始末であった。
やがて働き出すと、必然的にゲームをやる時間は大きく減った。が、それを一転させたのが、オンラインゲームであった。ダウンロード不要で、パソコンとネット環境さえあれば、どこでも出来る。
私の場合、自宅と事務所の両方にパソコンとネット環境があるので、手が空いた時にちょこちょこ遊んでいた。もっぱらパズルゲームが多いのは、短時間で出来るからだ。
ところが丁度二年前にモバゲーで見つけた戦争ゲームにはまってしまった。きわめて自由度の高いゲームで、シュミレーションともRPGとも違うが、アクションゲーム的な要素もある。プラウザゲームとしては、異様なほどグラフィックへのこだわりが強いゲームでもある。
やってみて、日本的な発想のゲームではないように思えたが、その予想は当たっていた。元々は、BATTLE PIRATESという英語版のオンラインゲームであり、その簡易版が中国でリリースされ、更にその中華版を日本語版に転用したゲームである。
当初は何をしていいかも分からなかったが、逆に何をしてもいいゲームであると気付いてからは、好き勝手にやっていた。ほんの5分あれば、遊べてしまえるので、気軽に遊べた。しかも、無料なので、お気楽に楽しんでいた。
私は知らなかったが、当初からサークルが幾つも作られて、そこで仲間たちが腕を競ったり、特定の攻略法や、秘密のノウハウなどを研鑽していたようだ。やがて、同盟機能が実装されると、たちまち多数の同盟が設立されてた。
それを横目で見つつも、私はマイペースでゲームを一人遊んでいた。やがて敵基地の攻略に熱中しだすと、ランキングも急上昇して注目を集めると、幾つもの同盟から勧誘されるようになった。
私は自分のペースで遊びたかったので、束縛されたくない思いが強く、頑固に一人で遊んでいた。やがてゲームに帝国基地攻略という新しいイベントが追加された。これは一人でやるのは難しく、最大4人で協力して攻略するのが賢いようだ。
とはいえ、ずっと一人で遊んでいたので、つてがある訳ではない。だが、その海域のトッププレイヤーの一人から、チャットで「一緒にやりませんか」と誘われて、今まで苦杯を舐めていた帝国基地の攻略に成功した。
これは楽しかった。一人ではなく、即席のチームを組んでのプレーは新鮮であり、チャットでの会話も相伴って、実に楽しいものとなった。仕事を終えてから、夕刻から夜半にチャットで仲間を集めて、帝国を攻略する遊びに熱中していた。
一緒に見知らぬネット上のプレイヤーたちと遊んでいるうちに気が付いた。この人たち、案外と年が近いのではないかしら?
私はオンラインゲームは、若い人たちが中心だと思い込んでいたが、実のところ若い人はスマホのゲームに夢中で、むしろパソコンはあまりやっていないらしい。
そして、私がはまったゲームは、気が付いたら不思議なほど中高年が多かった。なにせ、チャットの会話が「どうしよう、娘がクリスマスにBFを家に連れてくるって・・・」とか、「これから子供を塾に迎えに行きます」とか、「血糖値がやばいよぅ」などという、どうみても若い人の会話ではないチャットが盛んなのである。
ほどなく、私はある同盟に参加した。一人では分からなかった、このゲームの仕組みや、様々な攻略法、艦船の改造などが分かり、正直ビックリした。やはり一人で遊ぶには限界があったと痛感せざるを得なかった。
そんな訳で、このオンラインゲームには未だにはまっています。ゲームというか運営会社には、いろいろと文句はあるのですが、それを上回る面白さがある。また、ここで知り合った人たちとの、ゲーム以外での掲示板等を通じてのお付き合いも楽しいので、当分は楽しむつもりです。
ちなみに、当初は無料で遊んでましたが、時折開始されるイベントでは課金しています。この二年間で合計1万数千円ですから、月換算では千円未満。いたって健全な遊びです。でも、なかには年金をつぎ込んでしまったプレイヤーもいるようなので、くれぐれも熱くなり過ぎないようにと自戒しております。
困った一年であった。
思い返してみても、困った、困ったと悩むことばかりが脳裏に浮かぶ。とにかく景気は悪かった。アベノミクスとは、投資家と大企業、お役所のみに効果があり、庶民の生活には無縁の経済政策であったことが確信できた。
大企業と株式投資家にとっては、アベノミクスの恩恵は確実にあり、それが賃金などに波及することが期待されたが、実際は公務員と大企業勤めの方以外では、昇給もボーナスも前年並みなら良い方で、社会保険の増税分を考えると、実質所得は減少しているケースが珍しくない。
うちの事務所の顧客は、大半が零細業者であり、中小企業である以上、アベノミクスの恩恵はまるでなく、むしろ不況感のほうが強い。いくら新聞、TVなどが政府広報の受け売りで、好景気を報道しようと、そんな実感はまるでない。
仕事ばかりでなく、私生活でも「困った、困った」と嘆くことが多かった。困った原因の第一は、体重増加である。医者から、かなり厳しく指摘されてしまい、現在3か年計画で、体重を大幅に減らす予定である。ちなみに目標値は、現在の体重マイナス13キロである。
これを一年4キロ弱で達成しようと考えている。この数値ならば、定期的な運動を持続することで、十分達成可能だと、過去の経験からも分かっている。もっとも、その過去の経験も15年以上前ではあるが、不可能ではないはずだ。
ところが、これが思ったよりも難しい。週二回、30分ほど軽い運動をすることで体重は確実に減ることは分かっている。仕事を終えてから、夜の合間に運動しているが、雨の時は休む。また体調がすぐれない時は、決して無理はしない。
そうなると、なかなか続けるのが難しい。事実、風邪が長引いた9月はほとんど走れなかった。また現在も、週一回が限度である。それでも体重は春先よりも3キロ落ちているので、効果はあるようだ。
ただ、これから仕事が繁忙期に突入するので、果たして週一回でさえ運動出来るのか、少し危うんでいる。とはいえ、医者の警告は、十分に私を恐れさせるものであったし、減量が必要なことは自覚している。
そうなると、後は食事制限となる。運動できなかった9月に試しているが、やはり炭水化物を減らすのが一番効果があった。具体的にはご飯を減らすことだ。その代わりに野菜やこんにゃく、キノコ類を多めに食べるようにしている。
おかげで、体重の増加だけは避けられたが、やはり運動をしないと体重は上手く減らないことも、よく分かった。運動は嫌いではないが、正直加齢による体力、気力の低減は否定できない。
でも、なんとか体重減量を続けようと思う。長生きできる体でないのは分かっているけど、なるべく元気に老齢を迎えたいですからね。
改めて見直す必要があると思う。
小泉純一郎が森政権の退陣を受けて、新政権として発足したのが2001年の6月であり、その後郵政解散を経て絶頂期を迎え、2006年9月に退陣している。
歴史の評価には、ある程度の年数が必要なのであるが、そろそろ10年が経ったので、改めて小泉政権を見直す必要があると考える。
政治家として何をなしたのか。はっきり言えば、田中角栄以来、自民党の中心派閥であった竹下、金丸の経世会を潰した男、それが小泉である。それだけに政治生命を賭けた半生であったと思う。
YKKなどと呼ばれても、所詮泡沫政治家でしかなかった不遇の時代にため込んだ鬱憤を晴らすかのように、全力で旧・田中派の政治家を潰した。そのために構造改革を導入して談合中心の利権構造を破壊した。第二の予算と呼ばれた財政投融資を、郵貯の民営化により制約を加えた。
これにより、旧・田中派の利権を潰し、その資金力を奪い、橋本、小沢、羽田らの田中派の後継者たちを潰した。
だが、今になり冷静に振り返ると、その結果の破壊の惨状は、日本を破壊してしまったと評していいと思う。
まず、建設における談合を潰したことで、丸投げが横行した。競争入札といえば聞こえはいいが、結果は入札価格を事前に入手できる官僚OBを有利にさせ、現場を知らぬ官僚OBが係る会社は、入札しても利益を削るだけで、すぐに下に丸投げした。その結果、建設工事に責任感が薄れ、手抜き工事が横行した。
談合に不公正さがあるのは確かだが、談合を仕切る会社には、建設工事に対する責任感があった。利益が確保される談合だからこそ、丸投げよりも工事の手抜きは少なかった。
隠れ大蔵省派といわれた小泉だが、その構造改革においてやったのは、不良債権を生み出した温床である現場知らずの退職金渡り鳥である官僚OBの安全(起訴されない)を確保した上で、外資の手先である竹中を送り込んで、後は知らん顔をしたことだ。
護送船団を解体させて、外資の金融機関に旨味を吸わせるべく竹中は暗躍し、金融庁に現実離れしたマニュアルを作らせて、日本の強みである製造業を支えた中小企業を潰させた。跡地にはマンションを建てさせてミニ・バブルを生み出した。
旧・田中派潰ししか念頭にない小泉は、挙句の果てに財務省まで竹中に任せて、「潰せない銀行はない」と恫喝して、銀行を委縮させた。その合間を縫って外資が日本の金融市場に入り込み、学校や組合など金融音痴どもに後に不良債権化する証券を売りつけさせて大儲した。
最悪だったのは、権限を持っていた企業や官僚のトップに責任をとらせず、業績悪化等の責任は、従業員や下請け企業などの弱いものに押し付ける風潮を推し進めたことだ。これにより、日本のモラルは官民ともに地に落ちた。
本来、責任をとるべき人が、責任をとらずに、弱いものに押し付ける。小泉・竹中よる構造改革とは、強いものの責任逃れを正当化させ、弱いものを押しつぶすことを正しいとしたことに他ならない。
これが今日に至るまで、日本を病み衰えさせた構造改革の実態である。この不公正を推し進めたのは竹中とそれに便乗した官僚、大企業であり、それを権限譲渡の名の下に追認した丸投げ首相の小泉の最大の悪行である。
そして、忘れてならないのは、その小泉が旧・田中派を押し潰したことに拍手喝さいを送ったマスコミの功罪である。マスコミは小泉のワンフレーズに飛びつき、これまでいくら偏向報道を繰り返しても倒せなかった旧・田中派を潰した小泉を絶賛した。その結果、最高責任者が責任をとらず、下に押し付けることをマスコミが追認した。この罪は恐ろしく深く、悪質である。
この小泉、竹中タッグによる日本ぶち壊しがあったからこそ、日本は長期低迷に陥った。これがあったからこそ、民主党政権の3年余りの悪夢が生まれた。小泉の退陣から十年がたち、改めて振り返った私の評価がこれである。
小泉純一郎に靖国参拝や、北による拉致被害者奪還などの功もあったことは否定しない。しかし、罪のほうがはるかに大きい政治家であると私は考えています。
優しい気持ちにされられるエンディングだった。
ヤングマガジン・アッパーズというマイナーな漫画雑誌に連載が始まったのが、1,998年であったから、約18年目での完結であった。もっとも、アッパーズは廃刊となり、コミック・モーニングに移っての連載であったが、休載されることが多く、完結が危ぶまれたほどである。
父さえ知らぬ娼婦の子である主人公が、森に捨てられたピアノに出会い、やがてそのピアノを捨てた師との出会い。ライバルとの出会いと別れ、不法地帯での差別と困難などを乗り越えて、目指すはショパン・コンクール。
私が長年愛読していた漫画であり、紙面から音楽が流れてきそうな見事な描写は見事としか言いようがありません。日本という国は、不思議なほどクラッシック音楽が普及しており、特にピアノに関しては、世界屈指の大国です。
なにせ、武骨な私でさえ、幼少期にピアノを習わされた覚えがあるほどです。もっとも、当時の私には他にやりたいことがあり過ぎて、とてもとても地味(バイエルね)な練習を続けることは出来なかった。
それでもピアノの音自体はかなり好きで、今でも車にはピアノ・ソロのCDを数枚常置しているくらいです。雑学趣味の私ですが、ピアノはもとよりクラシックそのものの知識は、たいしてありませんが、うん蓄抜きにしてもピアノ曲は好きなのです。
私がこれまでに聴いた最高のピアノ曲は、北アルプスの3000メートル近い稜線上のテントの傍で、手に届きそうなくらい近くに見える満点の星の下で聞いた、ショパンの「ポロネーズ」でした。
スピーカーの性能なんて、訊くだけ野暮な携帯用の小型ラジカセから流れてきた曲でしたが、星空の美しさとあいまって素晴らしい夏の夜の思い出になりました。
今週、最終巻である26巻が発売されたので購入。かなりの長編ですが、是非とも手に取って頂きたい名作です。特に幼少期のクライマックスである4巻から6巻あたりだけでもいいので、未読でしたら読んでみて後悔することはないと思います。