ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

比べてみると

2011-10-31 12:09:00 | 社会・政治・一般

上には上がある、とは良く言われるが、下には下があるようだ。

もう十数年前になったが、阪神淡路大震災の時、その惨状をTVで呆けてみていた村山内閣は、長年の反米思想に縛られて、米軍の援助の手をはねつけた。つまり、自らの政治信条により、被災者を見捨てた。

私はこれほど愚かな政治家はいないと思っていた。

ところがだ、これを上回るオオバカがいやがった。それが菅直人・前総理大臣だ。震災直後の対応は可もなく不可もない程度だが、その後がいけない。

阪神淡路の震災の時、時の総理である村山首相は、自らに実務能力が欠けることを自覚していた。だから関係閣僚を呼んで、責任は一切自分がとるから、力を合わせて被災地の救援に全力を傾けるようにと指示した。任された閣僚たちは、その大半が自民党の族議員であり、官僚のトップを呼び寄せて他の官庁と協調して動くように指示。その指示を受けた官僚たちは、集結して情報交換と具体的行動に至っている。

一方、閣僚たちは関係諸団体にも協力を要請した。トラック業界への手配、コンビニ、大手スーパーへの食材の優先配給などを矢継ぎ早に依頼した。その後の被災地復旧工事を睨み、ゼネコン関係各社との連絡も絶やさず、建材メーカー、商社などにも意見調整を図った。

だからこそ、阪神淡路震災の復旧は早かった。もちろん拙速による問題は少なからずあったし、復旧計画も完璧とは程遠いものだった。それでも、今回の東日本大震災の復旧の遅さとは雲泥の差だ。

その差はどこから生じたのか。

元々、民主党のなかでも菅直人は、官僚不信が根強い政治家だ。官主導の政治を否定すること甚だしく、そのことが今回の震災で、悪い方に出てしまった。

首相官邸で、TVで阪神淡路の惨状を見ていた村山と異なり、菅首相は早くから動いていた。その点は良し、としても、問題はその後の対応だ。

ヘリコプターで迅速に福島原発の視察に向かったは良いが、現場では怒鳴り散らすばかり。「役立たずの怒鳴菅」(ドナルカン)との異名を現場の東電職員たちから言われる始末。

とにかく、なんとかしろと言うばかりで、具体的な指示は一切ない。おまけに責任を他人(東電や官僚)に押し付けるばかりで、現場を混乱させるだけ。

一番、現場を分っている人たちに「責任は私がとるから、最善の策をとってくれ」の一言があれば、あれほど現場が混乱することはなかったと思える。

東京に戻ってからも、官僚主導となるのを嫌がり、いわゆる「会議」を乱発させて、政府が意思統一する機会を奪い、各々が勝手に言いたいことだけ言いふらす醜態を引き起こした。

だから、閣僚及び各官庁の事務次官たちは、統一した行動がとれず、混乱に拍車がかかり、救助はもとより復旧活動も目処が立たず。

あまりの醜態に、観るに見かねた前・官房長官やら幹事長らが動き出すと、震災もそこのけに権力闘争に夢中になる菅首相には、もはや誰も近づかない。

具体的な復旧計画に関して、誰も菅首相に相談に行くものはいなかったのが実情らしい。自分の権力の座が危ういと感じたらしく、元々持論である反・原発に口出しはじめたから、党内はもとより政府自体が混迷する有様。

こうなると、周囲を昔からの支持者で固めて外部の意見を聞かず、国民の声はもとより、被災した東北の悲痛な叫びすら聞こえないふり。ただ、ひたすらに自分は正しいと言い聞かせて、最後っ屁(朝鮮学校への無償援助)を置き土産に総理の座を退いた。

私は昨年まで、鳩山・元首相こそ戦後の首相のワースト・ワンだと信じていたが、どうやら鳩ポッポはNo2であるらしい。まったく違うタイプの二人だが、どちらも民主党からの首相であることが、なにより全てを語っている。

嗚呼、次の選挙が待ち遠しい。

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徹夜授業の思い出

2011-10-28 12:14:00 | 日記

夜遊びは楽しい。

私が通った世田谷のS中学は、都内屈指の不良学校と噂された。小学6年生の頃、住所により進学する中学が決められるのだが、可愛いわが子がS中学に通うのを恐れる一部の親が、わざわざ住民票を移して他の中学校に進学するよう工作していたぐらいだ。

実際、通ってみると、たしかに先輩たちには怖い人が多かった。なにせ、中学の隣は朝鮮学校であり、彼等との争いは洒落にならない過酷な喧嘩であった。必然的に武闘派が増える。

しかし、校内は不良学校とは程遠い静かな環境であった。理由は簡単で、先生たちが恐ろしく強くて怖かったからだ。校内暴力とは、先生が生徒をボコる時の用語だと、私なんぞ信じ込んでいたぐらいだ。

噂では、教育委員会のお偉方が、S中学の不良対策に腕っ節が強くて、強面の先生方を送り込んだらしい。事実、ほとんどの先生方が国体やインターハイに出た経験がある体育会系か、柔道や剣道の有段者ばかり。

世田谷区の教職員対抗運動会では、毎年ぶっちぎりで優勝であった。例外は音楽の先生ぐらいだが、女性教師だって相当な猛者ばかり。

逆ギレして木刀もって女性教師に襲い掛かった女生徒を、傍にあった鉄製のゴミ箱で迎え撃って、めったくそに叩き潰した事件は、今もって忘れ難い。ちなみに、その女性教師は、なぎなたの有段者だったそうだ。強いはずである。

私自身、日大相撲部の出身である担任の先生に、張り手で吹っ飛ばされて保健室に運び込まれたことがある。あの中学の保健室は、いつも先生にぶっとばされた生徒たちが連れ込まれていた気がする。おかげで、保健の先生には頭が上がらない。

とはいえ、昨今の暴力教師たちとは一味も二味も違って、大怪我をした生徒は皆無であった。自身がしごきを受けて育った先生たちは、しっかりと怪我しないように手加減して体罰を加えていたからだ。

何度か、ぶっとばされているうちにバカな生徒たちも気がつく。先生が手加減していることを。そして痛い目に遇うのは、自分が悪いことをしていたからだと。

だから、卒業の時には本気で先生との別れを嘆き、涙する生徒は珍しくなかった。その多くが、先生たちに殴られ続けた問題児ばかり。

大人、とりわけ先生に対する不信感を強くもっていた私ではあったが、あの中学の3年間は先生に恵まれたと思っている。とりわけ忘れ難いのは徹夜授業だ。

だいたい金曜日の夜に学校に集まる。夜食は持参であり、担任の先生の監督下で、夜の授業が始まる。一応は・・・

そう、楽しいのはそれからだ。まず体育館でのバレーボール。屋上に上がっての星空観測。あとは教室で皆、適当に座っての徹夜のお喋り。

先生の学生時代の話や、嬉し恥ずかしのみんなの自白タイム。深夜ラジオに耳を傾けて、時には笑い、考え込む。いつも一人で聴いていた深夜放送が、みんなで聴くとまるで印象が変わる。やがて東の空が明るくなるまで一晩中、先生公認の夜遊びを満喫した。ほぼ、全員が参加した。

もう、なにを話したかも覚えていないが、昼間とは違う夜の学校にドキドキしながら、一晩を楽しく過ごしたことだけは、今も忘れずにいる。

たぶん、今ではもう管理責任とか親の介入で無理だと思うが、当時の先生たちは厳しいだけでなく、生徒たちを遊ばせる余裕をもっていた。

私はあの悪名高きS中学に通ったことを、けっこう誇りに思っている。ほとんどの級友とは疎遠になってしまった今も、あの時代を懐かしく思えることは幸せだと思うな。

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ブギーポップは笑わない 上遠野浩平

2011-10-27 12:01:00 | 

大人の良識なんてクソくらえ。

私は十代の頃、本気でそう思っていた。欧米文学からプロレタリア文学まで濫読していたが、日本の純文学には結構失望していた。

男女の別れをめそめそ描いたり、戦争の悲劇をなよなよと嘆くだけで、未来に向けての力強いメッセージとは無縁であった。

だからこそ、私は良識ある大人たちが眉をひそめるSFやファンタジーものを熱心に読んでいた。そこには、若い感性が惹き付けられるなにかがあったと思う。

現在、かつてのSFやファンタジーものと同じ位置にあるのが、ライトノベルと称される特異な分野だと思う。漫画チックなイラストが目を引くので、書店で目にした方も多いと思う。

ただ、手にとってみた人、とりわけ大人は少ないと思う。漫画の単行本かと思えるようなカラフルな表紙画は、いい年の大人が手にするのは、いささか後ろめたい。

大きな黒目のどんぐり眼でにっこりと笑う小娘のイラスト画を見てしまうと、おたく向けの専門書物なのかと勘ぐりたくなる。

ライトノベルにとって、イラストは大切なものだ。このイラストあってのライトノベルだと断じても良いほどの価値がある。そして、このイラストゆえに良識ある(と自負している)大人たちから敬遠されてしまう。

子供の頃の朝日ソノラマ文庫から始まり、大人になった今でも読んでいる私からすると、少々残念な気がしてならない。率直に言って、小説として駄作も少なくない。イラストの力にたよったと評されても仕方の無い力量不足のものも、けっこうあると思う。

それでも時々、ドキッとするほどの快作に出会えることもある。表題の作品は、その代表ともいえる。

一応、SFの部類に入れていいと思うが、ホラーの匂いも漂う。どこにでもいそうな学生たちの噂に上る、謎のブギーポップ(不気味な泡)を巡る物語は、ライトノベルの世界で金字塔を建てたといっていい。

今の若者が何に憧れているのか、今の社会をどう思っているのか、それがライトノベルを読むと分る。本を読まなくなったとされる若者たちだが、ライトノベルの売上は良識在る大人たちが眉をひそめるほどの数字となっている。

私は必ずしも共感している訳ではないのだが、若者たちの心に潜む不安を見事に書き表していることは認めざるえませんね。だからこそ、本作は若者たちに爆発的に売れたのだと思います。

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怪物くん 藤子不二雄

2011-10-26 12:10:00 | 

日本の子供たちならば、藤子不二雄の漫画を読んだことがないなんてありえない。

ただ、好きかどうかは別問題。ただ働きの便利屋(ドラエモン)とか、目立ちすぎの忍者(ハットリ君)なんかは、読んではいたが、それほど好きではなかった。

いや、決して嫌いだったわけではない。小学一年生とかの雑誌に連載されていた漫画は、そりゃ丹念に読み込んだものだ。ただ、単行本を買ったことはないと思う。

なんというか、無難すぎて危うさに欠けるところが、のめり込めない理由だった。そのせいだろうが、PTAなどが悪質漫画の排除に金切り声を上げていたときも、一連の藤子不二雄漫画が槍玉に上がることはなかったと思う。

そう、私は良識ある大人たちが読ませたくないと思うような漫画のほうが好きな子供だったのだ。

そんな私だが、表題の作品だけは忘れずにいる。主人公の怪物君が、親友のヒロシを連れて禁じられた怪物王国へ行った時だ。怪物君の父親である怪物大王に、ヒロシの顔を見られてしまったのだ。

その瞬間、親友のヒロシは石と化してしまった。生きた人間を連れてきてはいけないという掟を破った怪物君が悪い。だが、好きな友達に自分の郷里をみせたい気持ちを抑え切れなかった。その結果、親友を石にされてしまった。

怪物魔王である父親の足元に喰らいつき、泣きながら怒る怪物君。怪物王国の王として、なすべきことをしただけだが、子供の泣き叫ぶ姿に苦しむのは、人間と変わらない。

父親として、子供の気持ちが離れていくのを感じ取った怪物魔王が、思わず流した一滴の涙が奇跡を起す。その涙をかぶったヒロシの石像が、みるみる元の人間の姿に戻っていく。

数多ある怪物君の漫画のなかで、唯一私の記憶に残ったストーリーだった。

私が小学2年の時に、父母は離婚している。その後、日本を離れた父とは、まったくの音信不通であった。再会したのは、私が学業からおちこぼれ、夢も目的もなく、ただその日一日を怠惰に過ごしていた中学2年の冬だった。

どうも、数年ぶりに帰国してみたら自分の父母は既に他界していたそうで、さすがにあの仕事男も愕然としたらしい。そこで気になったのは別れた子供たちのこと。

興信所を使って調べた結果に驚いたらしい。どんな報告がいったのか知らないが、あの当時の私の素行を思えば、ろくなものではあるまい。

かなりの疑心にかられた私と渋谷で再会したが、さすがに泣くことはしなかった。でも、必死の思いで、父親として出来ることをしようと語り掛けて来る気持ちだけは、依怙地な私にも感じられた。

その時、父から進学費用にあてるようにと、かなりの額の通帳を渡された。すべて母に渡してしまったが、あのお金があったからこそ、私は高校にも、大学にも通えた。

遠い異国の地で働きながら、必死で貯めたお金なんだと思う。その思いが感じ取れたからこそ、私は夜遊び仲間と縁を切り、堅気の世界に移ることが出来たと思う。

お金は大事だ。でも、そのお金に込められた気持ちのほうが大切だった。幼い時に離別した父の気持ちに、はじめて触れたのが、あの渋谷での再会だった。

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日銀はタブーなのか

2011-10-25 13:13:00 | 社会・政治・一般
日経新聞をはじめとして、日本のマスメディアはあまりに日銀に甘いと思う。

現在の日本が不況の真っ只中であることを否定するのは、財務省と日銀と政府閣僚ぐらいだ。不況の要因はいろいろあるが、その一つに円高がある。

普通、その国の景気が悪ければ通貨は安くなる。いくら大国を気取ったって市場は冷徹に評価する。ドル買い介入のような為替操作なんか、この巨大な通貨市場に通じるはずもない。

一般には、現在の円高はアメリカ・ドル安と欧州のユーロ安が引き起こしたとされる。相対的に円が高く評価されているのだと。

嘘ではないが、正確でもない。

欧米の不況の大きな原因は、やはり3年前のリーマン・ショックによる金融破綻に根ざす。その対策として、欧米各国の中央銀行は大量の通貨を発行して景気回復に努めた。

大雑把な数値だが、3年前の通貨供給量を100とすると、現在は170近いとされている。つまり欧米ではインフレ政策が実施されていたことになる。

ちなみにこの数字、政治学者の福岡政行氏の講演からの聞き覚えなので、少し不確定です。どうも平均値らしいのですが、その点確認していません。でも、欧米が通貨供給量を増やしたのは間違いないでしょう。

一方、我が国の日銀様は第二次世界大戦後のハイパーインフレの記憶が、半世紀以上たった今も忘れがたく、頑なにデフレ政策を堅持している。3年前の通貨供給量を100とすると、現在は104程度だとされる。

現在の国際通貨であるドル、ユーロが通貨供給量を大幅に増やしている以上、日本の円の価値が相対的に上がるのは必然なのだ。

つまり、円高の原因は日銀が作っている。数十億円の為替介入程度で円高が収まるわけがない。あれは、一応仕事してますよ、という言い訳、あるいは誤魔化しとして指弾されるべきものだ。

皮肉なことに、自民党時代に日銀の独立性はより強固なものとなり、今や政府はもちろんのこと、財務省の言うことにさえ耳を傾けない。

この依怙地に愚かな日銀のバカどもこそが、日本を低迷させる大きな原因になっている。円高があるからこそ、大量に輸入される石油や原材料の価格が抑えられているのは事実だ。だが、輸出の低迷は、やはり円高あってのものだ。

日銀のデフレ政策でメガバンクを保護する時代は終わったはずだ。今こそ大量の通貨を発行して、それを震災と人災(福島、放射能被害)の被災地に投入すべきだ。

そのためになら、国債の買い入れはもちろん、できることをすべてやってみるべきだ。

だが、日銀はなにもしない。なにもしないことが仕事だと思っている。一体、マスコミはなにをしているのか。日銀批判をなぜに浮黷驕B日銀はタブーなのか?

日銀という頑固な愚か者を動かすには、もはや世論しかない。世論が動かねば、政府も動けず、霞ヶ関も動けない。それなのに、その世論に強い影響力をもつマスコミが、日銀に関しては知らん顔。

一体、我が国のマスコミ様はなにをしているのだ?
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