ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

今年を振り返って

2011-12-31 11:58:00 | 日記

今年も残すところわずかとなりました。

ようやく景気回復の兆しが見えたと思ったら、突如東日本を襲った地震と津波。そして相次ぐ余震と福島原発事故が、日本経済を直撃し、あげくに台風の襲来で被害続出。

ただでさえ民主党政権という人災に悩む日本に、相次ぐ天災の襲来は景気のみならず、人心までもを萎縮させる残酷な一年であったと思います。

私自身、震災で本棚が爆発的に壊れ、本津波に家中を荒される始末。5日ほどですが、水道も止まり、改めて何気ない日常生活の当たり前が、当たり前でない現実に驚かされたものです。

お間抜け民主党政権のおかげで復興予算も年末ギリギリの醜態。おかげで中小企業を相手にしている私のような仕事は、バブル以来最悪の一年となり、細かい仕事を積み重ねてようやく前年並みの収入を確保。

年末賞与を払って、空っぽの銀行口座を見つめながら、とりあえず今年もなんとか乗り切ったと安堵のため息をついている始末です。

そんな散々な一年でしたが、読書はなんとか昨年並みの量をこなせた気がします。いささか小説に偏りすぎではありますが、私なりに楽しめた一年でもありました。

今年一番の衝撃は、はやり「葉桜の季節にきみを想うということ」(歌野晶午)でした。絶対映像化不可能なこの作品は、小説に映画やTVに負けない魅力があることを証明したと思うのです。未読の方は是非とも読んで頂きたい。そして、驚愕の顛末に呆然として欲しいです。

一方、再読したなかでは「さらば愛しきひとよ」(レイモンド・チャンドラー)が深く印象に残りました。初読は中学生の頃だと思うのですが、あの頃は派手なアクション・シーンが少ないことに不満を抱いた程度の印象しかなかったのです。ところが、幾度となく恋愛で間抜けな失敗を繰り返した今となると、男の愚かさを正面から受け止めるマーロウの格好の良さは、是非見習いたいものだと痛感した次第。

漫画では、これといった新作にはお目にかかれませんでした。悔しいことに週刊誌に連載するプロの作家としては、失格の烙印を押されるべき冨樫義博の、「HUNTER×HUNTER」の力技に押し切られてしまいました。一年近いお休みの後、再開された漫画は、毎週読まずにはいられない面白さ。

読者の期待を良い意味で裏切る奇想天外なストーリー展開と、人の表情を描く上手さは当代随一かもしれません。主人公が当分、登場できそうもないのはともかく、ジンやレオリオ、ヒソカといったキャラが再び登場しての今後は盛り上がること必至。目が離せないのですが、そろそろ休載かもしれない。嗚呼、この漫画を選ばざるえないのが悔しい。

もうじき今年も終わります。来年は今年よりもいい年であって欲しいものです。さて、私はこれから大聡怩ニ年賀状書きです。それでは皆さんも良いお年をどうぞ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冷たい月夜にぬくもりを

2011-12-28 12:44:00 | その他

あの日もこんな眩しいくらいの月夜だった。

大学を卒業して、新社会人として働く日々は辛かった。上司の汚れ仕事を押し付けられ、お局OLからはいびられ、毎日残業続き。

今日も11時まで仕事で、一杯やる時間さえなく家に帰る。実家なので家事に追われずに済むのが救いだった。でも、親とも顔を合わせるのは朝だけ。

こんな北風が冷たい夜は、誰かと和やかに笑い合いたいよ。満月には少し足りないお月様が、そんな気弱なボクを笑っている気がしたぐらい。

その時、足元で「ニャー」と小さな猫の鳴き声がした。眩しいほどの月に照らされた路地の片隅に、小さなダンボールの箱があり、覗いてみたら一匹の子猫がいた。

弱々しいほどの声で懸命に鳴いていたが、月を見上げるために立ち止まらなかったら聴こえなかったかもしれない。捨て猫らしい、しかも最後まで拾われなかったらしく、他にも数匹いたようだが、今はその子猫だけが片隅に縮こまっていた。

ちょっと毛並みがボロボロで、しかも痩せすぎなので残ってしまったらしい。一人、最後まで社内で残業していた我が身を思い出して、知らず内に手を伸ばして抱きかかえていた。儚いほどの温もりだが、心が暖かくなった気がした。

そのまま抱きかかえて家に帰り、ボクは自分の部屋の片隅に空箱を置いて、そこに子猫を飼うことに決めた。台所でミルクを人肌に温めて、小皿に入れてあげると、懸命に舐めている。

もう大丈夫、お前は今日からうちの子さ。ボクの言うことが分るのか、子猫は安心したようにゴロゴロと咽喉を鳴らし、直に寝入ってしまった。

気疲れで帰宅した夜は、なかなか寝付けないものだが、優しい気持ちになれた今夜はボクもすぐに眠れた。朝の陽射しに気がつくより、子猫の鳴き声で目を覚ましたことは、今もよく覚えている。

朝になって猫の鳴き声に気がついた父母を説得するのに苦労したが、子猫が我が家の家族として受け入れられるのに時間はかからなかった。たぶん、両親もボクが家にいない時間の多さを持て余していたのだと思うな。

あれから十数年がたった。子猫はまんまるの猫に育ったが、臆病で外へ出るのも厭う引きこもり猫になってしまった。ボクはといえば、相変わらず仕事が忙しく家庭を持つ暇も無く、今日も深夜の帰宅だった。

家に帰ると、猫が玄関先で待っていた。珍しいなと思いつつ、ただいまと声をかけるとニャーと小さく返事する。元気ないなと思い、抱き上げると甘えるように丸くなった。

そのまま台所へ行き、猫をかかえたまま冷蔵庫を開けてビールを取り出す。缶を開けようと猫を膝の上に降ろそうとして気がついた。反応がない、いや、それどころか動かない。

慌てて胸に手をあてるが、心音が聞こえない。おい、起きろよ、鳴いてくれよ。異変に気がついて起きて来た母が見たのは、台所で猫を抱えたまま立ち尽くしてボロボロと涙を流して泣いているボクだった。

ボクが拾ってきた猫だから、ボクの手のなかで逝きたかったのかもしれない。そう思うことにしている。

冷たい月夜の夜だった。月を見上げると、今もボクはあのぬくもりを思い出さずにはいられないよ。ボクに暖かい安らぎを与えてくれてありがとう。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リアルスティール 

2011-12-27 12:11:00 | 映画

間違いなく、来るべき未来で実現すると思った。

古来より人間は、ある種の残酷さを好み、愛し、熱狂した。有名なのは古代ローマ帝国のコロッセアムにおける格闘技興業であろう。

善意にとって古代ローマ人は、スポーツを愛したなどと解釈してはいけない。彼等は戦いの興奮に身を委ねたのだ。剣闘士同士が戦い、血を流し、悲鳴をあげ、そして訪れる残酷な結末にこそ熱狂したのだ。

別にローマだけではない。世界中至る所で、人々が争い、流血する残虐な場面を楽しむことは行われた。自らは傷つくことなく、他人の流す血と破壊される人体の残虐さを鑑賞して興奮する楽しみは確かにある。

人間という生き物の救いがたき愚かな性だと思わないでもないが、私自身子供ころからプロレスや相撲、ボクシングなどを見るのが好きだったのだから、到底非難することは出来ない。

表題の映画のなかでは、人間に代わってロボットがリングの上で殴りあう。ボディに鋼鉄の拳骨を叩きつけると、オイルが噴出して動きが鈍る。人間を凌ぐ破壊力を持つ拳骨が、スティール製のボディを痛めつける。

そして最後は強烈なアッパーカットで相手の首をもぎ飛ばす。観客はその壮絶な場面に興奮して、勝者を褒め称え、敗者は惨めにスクラップとされる。

人間同士の公開殺人が容認されない以上、ロボット同士の戦いによる激烈、残虐な格闘シーンが展開されるこの新しい競技が人気となるのも当然だろう。

そう遠くない将来において、このロボット同士の格闘技は実現されると思う。

ボディをぶっ壊し、首がもげるほどの迫力ある試合は、到底人間同士では出来ない。だから人間のボクサーはお払い箱となる。

そのお払い箱の駄目親父は、オンボロ・ロボットをトレーラーで運び、全米各地のロボット競技会で出場して稼ぐ。でも、失敗続きの人生で、最後のチャンスさえ棒に振ってしまう。

そんな彼の元に現れたのが、別れた元妻との間に設けた一人息子。親権を叔母に譲り渡す条件として、短期間息子と暮らす羽目に陥る。顔さえ忘れていた息子とだ。さて、どうする駄目親父。

この映画の主人公は、間違いなくこの駄目親父。迫力在るファイトを展開するロボットの格闘シーンは見事だし、健気な息子が不信感と隠されていた父親への憧れを垣間見せる場面も悪くは無い。

でも、やっぱり駄目親父が、息子の視線に耐えかねて立ち上がり、再起してみせるからこそ、この映画は面白い。お涙頂戴の感動作とは思わなかったけど、十分楽しめる作品だと思います。

家庭の大型TVでもいいけれど、やっぱり映画館の大スクリーンで観て欲しい映画です。年末年始、機会がありましたら是非どうぞ。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

料理人 ハリー・クレッシング

2011-12-26 12:23:00 | 

美味しい食事が、人生における最上の楽しみの一つであることは否定しない。

私自身、日本において最高級のお店が軒を並べる銀座という街で十数年働いているので、美味しい食事の快楽を否定する気はまったくない。

とにかく、金に糸目をつけなければ美味しい食事に困ることはない。ただし家賃相場からいって、安くて美味いはありえない街でもある。ただ、単に働くために銀座にいるので、日々の昼食には少し難儀せざるえない。

ただ、ありがたいことにデパートのお弁当売り場は充実している。また近年、安いお弁当やさんも点在しているので、大分助かっている。やはり、毎日贅沢なんざ出来ない。

そう、贅沢な食事はたまでいい。お財布の事情が、たまの贅沢しか許さないのはともかく、身体と心のためにも贅沢はたまでいいと本気でそう思っている。

当たり前のことだが、美味しい食事はカロリーが高い。また塩分などの味付けも必然的に濃くなっている。過剰だからこそ、美味しいと感じられるのが人間の味覚ってものだ。

たまの贅沢は心のリフレッシュになるし、モチベーションの維持にも役に立つ。残業続きの日が続き、スタッフに疲れがみえた時なんかは、ちょっとした贅沢な美味しい食事が、仕事のやる気を高める。これは経験的に間違いないと思う。

しかし、たまだからイイ。日常的な贅沢は、むしろ心に脂肪をまとわせ、感性を鈍くさせる。グルメ気取りの御仁には、しばしば傲慢さや増長ぶりが見受けられるのも当然だと思う。

私個人としては、安い食材を丁寧に調理して、美味しい料理を創ることに満足感を覚える。タマネギを弱火で時間をかけて丁寧にあめ色に炒めあげる作業は、単調で退屈でついつい火力を上げたくなる。

しかし、そこを我慢して弱火でじっくり、ゆったりと炒め上げる。この季節、台所に椅子を持ち込み、文庫本を読みながら、頁をめくるたびにタマネギを焦がさぬようにかき混ぜる。

そうして、かれこれ40分ちかくかけて炒めたタマネギは、香ばしい飴色の食材に変貌を遂げている。そのままコンソメで煮込んでオニオンスープにしてもいいし、カレーにつかえば芳醇な味を引き出す。ジャガイモを炒めてポタージュを造ってもイイ。

私は大枚払って銀座の高級料理店で食べるのも嫌いではないが、自分で手間隙かけて美味しい料理を造るのも好きだ。さりとて忙しい平日の夜は、疲れて帰宅するので、こんな手間のかかることは出来ない。

だから週末の暇な時に、料理に手間隙かける。やっぱり美味しい食事は人生に必要不可欠だと思う。日頃が手抜き料理だけに、つくづくそう思う。

表題の作品は、そんな人間の食に関する欲望を題材にしたブラック・ユーモアの古典的名作だと思う。とある田舎町の資産家に雇われたコックの巻き起こす騒動と、その呆れた結末には、ただ呆然とするばかり。

贅沢はたまにするからイイのであって、普段は質素でいいと思いますね。別に手抜き料理の言い訳ではありませんぞ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国料理とミシュラン

2011-12-22 12:03:00 | 健康・病気・薬・食事

少し気の毒に思っていたのが、グルメ・ガイドのミシュランにおける韓国料理への評価だ。

私はプルゴギ(焼肉)料理を始めとした韓国料理は、けっこう美味しいと思っている。ゴチャゴチャにかき回して食べるのが美味しいビビンバなどの丼ものも、けっこう好きだ。

だが、ミシュランのガイドブックには、韓国料理が取り上げられる可能性は低いことも知っていた。何故かというと、ミシュランでは、客の前に完成された料理が提供されることを前提にしている。

つまりプルコギのように、客が自ら肉を焼くことは、未完成の料理を出すことに他ならない。これは旅行者向けのグルメ・ガイドを標榜するミシュランには認めがたい。だから、いくら韓国料理が美味しかろうと、星を与えるわけにはいかなかった。

実際、世界各地の一流ホテルは、フランス料理、中華料理、イタリア料理が中心だ。たまに日本料理が加わる程度で、韓国料理を提供するレストランが入ったホテルは、まず存在しない。

客自らが肉を焼いたり、料理をゴチャゴチャにかき回して食べるようなメニューは、一流ホテルには向かないとされてしまったのだと思う。

さらに付け加えるなら、プルコギは客席で焼くと、必然的に煙が大量に出る。これも一流ホテルに厭われる一因となっている。ちなみに日本の韓国料理店でよく使われる無煙ロースターは、日本で開発されたもので、焼肉に詳しい人は、あれだと肉は上手く焼けないと嫌がる。

やはり炭火で煙をもくもくと上げながら焼くのが、一番美味しいらしい。東京だと大久保あたりのコリアン・タウンに行くと、そのへんに気を配ったお店がある。

炭火の頭上に、巨大な排気筒があり、煙を吸いだしていくのは壮観だが、美的感覚からは程遠いと思った。でも、店主自らが焼き方を教えてくれたおかげで、美味しいプルコギを食べられたのだから、私は満足だった。でも、いくら美味しくても、ミシュランの星には縁遠いことも分っていた。

ところがだ、今年のミシュランでは、韓国料理の「モランポン」が星二つで掲載されていたそうだ。こりゃ、驚いた。多分、ミシュラン初の韓国料理店だと思う。

「モランポン」は、焼肉のたれをスーパーなどで売っているので、そのタレを知っている人はいるかもしれないが、お店で食べたことがある人は、まだ少ないのではないか。

私は偶然だが、何度か食べに行ったことがある。今は移転してないが、地元の駅前に「モランポン」があり、なぜかそれを知っていた父に連れて行ってもらったのだ。

うろ覚えだが、焼肉というより韓国の家庭料理といった感じのお店だったと思う。ただ、その時父が「この店は、北朝鮮系の料理だぞ」と言っていたのが記憶に残っている。韓国の人は嫌がるかもしれないが、朝鮮半島では料理は、南のソウルよりも北のピョンヤンのほうが本場であったらしい。

もっとも、現在の食糧事情、経済事情を考えれば、料理は圧倒的に南のほうが美味しいと思うが、私はどちらも行ったことがないので、判断はしかねる。

とはいえ、久々に耳にしたモランポンを探して食べに行ってみたくなった。まァ、今はミーハーな客で一杯だろうから、落ち着いたら是非とも食べに行ってみよう。

コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする