役所による文化破壊が進行してきたのが、日本の近代の裏面だ。
行政を担う役所が業務の効率化を目指すことを一概に悪いとは言わない。しかし、日本人が古来から守ってきた叡智をないがしろにするかのような愚かな行為を平然としてしまうことには怒りを感じざるを得ない。
なんの話かといえば地名である。日本は古来より地震、雷、火事、親父(?)と災害の多い国である。災害のなかでも台風に伴う高潮、地震に伴う津波、山津波と避けようがない天災が多発する国でもある。
だから先人は地名に天災を匂わすような名称を付けることで、後世に警告を残してきた。表題の書は、その古来よりの地名につて解説したものだ。その内容について、私の貧弱な知識では良し悪しを判別できないが、大変刺激になった書籍であるのは確かだ。
ところで日本人は言葉を捻くり、いじくるのが好きだ。太平洋戦争における敵であった連合国(UNITED NATIONS)を戦後になって国際連合と言い換えたのが典型的な例だ。ちなみに国連憲章では、未だにドイツと日本を敵性国家だと規定している。
戦後の日本は軍事支出を最小限に絞る一方で。経済発展を至上の命題として突き進んできた。経済はタイムイズマネーであるからして効率を重んじる。それゆえに日本古来から続く地名を効率化の名のもとに蔑ろにしてきた。
これは行政だけでなく、不動産業界も深く関わっている。実は日本の地名には、地震や津波、山津波などの天災の被害を後世に伝える地名が少なくない。ところが、それでは土地が売れない、あるいはイメージが悪いと、行政の効率化の名のもとに地名を変えてしまうケースがよくある。
私は人生の大半を東京の世田谷区で過ごしてきた。江戸時代には武州砧村として知られた地である。有名な繁華街に二子玉川がある。通称ニコタマであり、緩やかに流れる多摩川と、多摩丘陵に挟まれた穏やかな市街である。
成城や自由が丘からのアクセスも良く、高島屋を中心とした商業地と、わりと広めの戸建住宅が立ち並ぶセレブ垂涎の地でもあるらしい。そのせいか、昨今流行りのタワーマンションも建てられている。
ただ古くから住んでいる私らからすると、いささか印象が異なる。子供の頃はザリガニ釣りに通った地であり、区内でも屈指の急坂がある街でもある。農道や用水路もあり、高級住宅地だと云われるといささか戸惑う。
特に気になるのは、この界隈は大雨が降ると多摩川が氾濫する地でもあることだ。実は東京側の多摩丘陵と川崎側の多摩丘陵が最も狭まった地域であり、下手に堤防を作るとむしろ却って氾濫してしまうことで知られている。
しかし、大山街道が多摩川を渡る箇所であり、戦後は小田急線と東急線が渡る箇所でもある。そして、その橋脚周辺で川の流れが変わるらしく、大雨が降るとしばしば氾濫することで知られていた。ただし、氾濫した水が流れて貯まる原っぱがあり、私らガキどもは大雨の後を狙って魚や虫を捕まえに行ったものだ。
ところがバブルが弾けてしばらくすると、その氾濫した水を受け止めていた原っぱが売りに出された。そこに瀟洒なマンションが建ち並ぶようになり、挙句にタワーマンションまで出来るようになった。当然ながら古くからの住人は堤防の必要性に気付いて行政に働きかけた。
しかし、新しく越してきた住人は堤防が出来ると景観が損なわれて資産価値が落ちると主張し、それを後押しする不動産業者も出てきて行政に反対意見を叩きつけた。こうなると行政はどっちつかずの対応で時間稼ぎを始める。
そして2019年の大雨で多摩川が氾濫すると、当然のように新興住宅地に水が流れ込んだ。半地下があるマンションなんて一階まで水没する有様である。また川崎側のタワーマンションは地下に設けた発電機などが止まり、下水も満足に使えず、高層階の住民は多大な労苦を強いられたと報道されていた。
噴飯ものなのは、堤防に反対していた有志市民が立ち上げていたHPが、あっという間に削除されていたことだ。かつて氾濫した水を蓄えていた原っぱが埋め立てられた以上、堤防がないのだから住宅地に流れ込むのは必然である。
ところで行政上の区分として二子玉川という地名は存在しない。元々は瀬田である。古語としては瀬戸のなまりであり、狭い海域を示す言葉であり、そこから転じて多摩川を多摩丘陵が挟んだ地域の名称として瀬田と古来から称された。つまり東京都側の瀬田と、神奈川県側の瀬田があり、かつては同じ行政区分であった。
山梨から細く流れ出し、東京に入るあたりには都内屈指の河川となった多摩川が二つの丘陵に挟まれているのだから川の氾濫が起きやすいのは当然である。でも一般名称として使われる二子玉川という名称から、そのことを想起することは難しい。古人の叡智は無駄となってしまった。
表題の書では、過去の地震、津波などの天災を想起される地名について、著者独自の解釈を含めて様々と取り上げられています。見かけたら是非ご一読をお勧めします。